| 『紀要』第120冊 |
川村康 「宋代杖殺考」要旨 |
| 宋代の正規の死刑は凌遅処死・斬・絞の三等のみとする通説を批判。史料にあらわれた |
| 死刑の法定刑名と執行刑名を検討し、杖殺が宋代にも正規の死刑として存続していたこ |
| とを立証した。 |
| 『紀要』第120冊 |
廣瀬玲子「西廂記または物語の謎解き」 要旨 |
| 本稿は、(1)唐代伝奇『鶯鴛伝』、(2)金代の諸宮調(語り物)『〓解元西廂記』、(3)元代雑劇『西廂記』を、同一素材による文学史的発展として捉える従来の見方から離れて読みくらべ、(1)は、心理描写なしに出来事だけが起こる謎めいた物語であり、(2)は、この謎に因果という「解釈」を与えて団円への直線的進行を可能にし、(3)は、初めから相思相愛の男女が団円を延期されるさまを「笑い」などの逸脱を交えつつ繰り広げていることを明らかにする。 |
| 『紀要』第120冊 |
松岡俊裕 「魯迅の祖父周福清考(四)——その家系、生涯及び人物像について——」要旨 |
| (四)は第四章「翰林院庶吉士時代」。第一節「庶吉士授職時の翰林院」:本節では同治十年辛未科教習庶吉士及び同年冬季の翰林院の主要官員と先輩翰林の名簿を掲げた。第二節「『文史通義』と『校讐通義』の版本を巡る物議」:恐らく周福清の庶吉士時代のことであろう,福清の挙人同年,譚献の言うところに依ると,譚献は紹興を再遊し,福清一族の者から『文史通義』と『校讐通義』の残缺版木を手に入れ,その後所蔵する旧刻本と合わせて刊行した。第三節「辛未科散館試(卒業試験)」:周福清は,同治十三年に散館試を受験し,知県即用となった。第四節「一時帰郷」:福清は散館試直後に帰郷の準備をし,知県即用となった後,五月に帰郷,遅くとも六月末には帰京。帰郷の主たる目的は将来の昇進に備えて同知銜(肩書)を捐納するためである。 |