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第10回東文研・ASNET共催セミナー「戦間期東アジアにおける国際衛生事業」

  • 報告

【報告】第10回東文研・ASNET共催セミナー
「戦間期東アジアにおける国際衛生事業」

第10回共催セミナーが9月2日(木)に開催されました。
以下、会の様子を報告させていただきます。

日時:9月2日(木)午後5時~6時
場所:東京大学東洋文化研究所 1階ロビー
テーマ:「戦間期東アジアにおける国際衛生事業」
報告者:安田佳代(東洋文化研究所)

 

セミナー内容

国際連盟の東アジアにおける国際衛生事業を紹介し、当該事業が東アジアの国際関係、
とりわけ戦間期の日本外交と日中関係にどのような影響を及ぼしたのか、
そして戦間期の経験が戦後の国際衛生事業にどのような影響を与えたのかについての報告でした。

国際連盟は1920年に多くの期待を背負って設立されましたが、
実際には、多くの点において、設立前の期待を具体化するものではありませんでした。
たとえば、連盟に設けられた理事会では軍縮や紛争問題といった安全保障問題が優先的に検討され、
また要職もヨーロッパ主要国の外交官が多数派を占めていました。
国際連盟は次第に、「ヨーロッパの機関」とみなされるようになりました。

こうした中で国際連盟の手がけた保健衛生事業は、とりわけ非西欧諸国にとって特別な意味合いを持つこととなりました。

国際連盟が設立される前から、衛生問題への国際的な取り組みは始まっていました。
しかし、帝国諸国の外交官が寄り集まり、植民地から帝国への伝染病の伝播を食い止めることがその主たる目的でありました。
そのため1921年に国際連盟保健機関(LNHO)が設立されたことは、以下三点において、国際衛生史において画期的な出来事となりました。
第一は、専門知識を備えたテクノクラートが活躍するようになったこと、
第二は、ヨーロッパのみならず、アジアや中南米など非西欧地域にも活動を拡大したことです。
そして第三は、伝染病情報業務のみならず、予防医学の分野にも活動を拡大したことであります。
これらの事業の多くが、戦後にも引き継がれました。

LNHOは極東にも事業を展開しました。
今回の報告では、具体的な事例として、LNHO極東支部シンガポール伝染病情報局(1925年~)を中心とする伝染病情報業務と、
対中国技術協力事業が取り上げられました。

LNHOは戦間期の東アジアにおいて、伝染病情報網の整備、衛生状況の改善に貢献しました。
中国での事業はその後、国連にも引き継がれるなど、戦後の事業の土台を築いたことは確かな功績であったといえます。
他方、これらの事業は表向きには「純技術的」な事業であるとされていましたが、関係諸国の外交的思惑を内包するものとなりました。
安全保障問題と社会的国際協力事業を連盟理事会が共に扱っていたという連盟の行政構造が、こうした歪みを生み出したのでした。

現在、国連の下では国際衛生事業などの専門事業は安全保障理事会ではなく、
経済社会理事会という別個の理事会によって扱われています。
この背景には、以上のような、戦前の経験があるということです。

次回の第11回東文研・ASNET共催セミナーは9月9日(木)17時より、開催されます。
http://www.asnet.u-tokyo.ac.jp/node/6941
多くの皆様のご参加をお待ち申し上げております。
[安田佳代]