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第18回東文研・ASNET共催セミナー「環境史研究の可能性―生業技術からみるミクロな人間‐環境系―」

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【報告】第18回東文研・ASNET共催セミナー
「環境史研究の可能性―生業技術からみるミクロな人間‐環境系―」

第18回東文研・ASNET共催セミナーが11月11日(木)に開催されました。
以下、報告させていただきます。

日時:11月11日(木)午後5時~6時
場所:東京大学東洋文化研究所 大会議室
テーマ:「環境史研究の可能性―生業技術からみるミクロな人間‐環境系―」


 
報告者:卯田宗平(うだ しゅうへい 日本学術振興会特別研究員)
専門:人類生態学、中国地域研究
論文:「村落の変化をどう捉えるか-中国・長江流域の村落を中心としながら」『中国21』、
The Behavior of Fishers after Implementation of the Project to Exterminate Nonindigenous Fish in Lake Biwa, Japan. Human Ecology38、
「中国大陸の鵜飼い-漁撈技術の共通性と相違性」『日本民俗学』261号 など。

発表要旨
 本報告では、生業技術をひとつの切り口とした環境史研究の可能性と課題について検討した。今回取り上げた事例は、中国江西省ポーヤン湖の鵜飼い漁の事例である。

 本報告では、まず環境史研究の意義について述べた。報告者は、環境史研究を通じて、環境と人間とのかかわりの歴史を明らかにするだけでなく、従来の歴史 解釈とは異なる視点を提供できないかと考えた。ここでいう従来の歴史解釈とは、一般的に用いられている時代区分のことである。従来、時代は政治体制や政策 の変化をひとつの区切りとしてきた。しかし、人間-環境系の変化という環境史的切り口から過去を振り返るならば、政体の変化に基づく時代区分が必ずしも適 当であるとは限らない。それは、統治する主体が変わったからと言っても急に人間-環境系が変化するとも限らず、逆に政治体制が安定しているときに人間-環 境系が変化することもあるからである。こう考えてみると、環境史研究は、政体の変化にとらわれない時代の変化に着目する必要があるといえる。
 では、人間-環境系の変化をどのように捉えるのかが問題になるが、報告者は生業技術に着目した。なぜなら人間は、技術を介して対象となる環境と関係を持 つからである。言いかえれば、人間と環境を介している技術が変化することは、人間と環境との関係も変化したと考えられる。ここでいう技術とは、自然を利用 したり認識したりする技術、また人と人との関係を保つ技術が含まれる。調査では、在地のこうした技術がいつどのように変化したのか、その動機はなにかと いった問題を検討する。そして、ある時代になると技術の様相が大きく異なるのであれば、その時代の前後に人間と環境との関わりにも変化がみられると判断で きる。今回の報告では、こうした考え方を踏まえ、鵜飼い漁の事例からミクロな環境史研究の可能性について検討した。
 今回取り上げた時代は、中華人民共和国成立前後(1949年前後)および集団化政策実施時期(1952年前後)である。新中国成立以前、調査を対象とした湖岸のW村では、Bangpaiと呼ばれる漁師主導の自治組織が存在していた。そして、このBangpaiが地先の水域を事実上管理し、漁の規範も自主 的に定め、漁をめぐる秩序を維持していた。また当時、W村では、8羽前後のウと2隻の小舟を利用する漁法(Tongと呼ばれる)が行われていた。この漁法 は、湖底に障害物があるポイントで1時間程度操業する方法である。当時、W村が管理する水域には、良い漁場ポイントが240か所以上あった。一般に、ほか のBangpaiに所属する漁師がW村の水域で操業する際は、村の許可が必要である。しかし、正当な許可を得ずに勝手に操業する漁師も多く、こうした行為 が争いをうむ原因になっていた。
 その後、1949年に新中国が成立し、1950年に土地改革が実施された。この時代、各漁村のBangpaiは廃止され、地方政府に承認された漁業生産 隊が組織された。ただ、ここで重要な点は、漁業生産隊が組織された後も従来からの水域で従来からの漁法(Tong)を利用し、漁の規範も従来のものを利用 しながら漁を続けていたことである。つまり、この時代、漁師たちの所属はBangpaiから漁業生産隊に変わったが、それ以外は変化がなかった。言いかえ れば、1949年前後は国家レベルでは大きな変化が起こったが、ミクロな人間-環境系では変化が起こらなかっ
た。
 次に、本報告では集団化時代の鵜飼い漁の変化を考察した。W村では、1952年から集団化政策が実施されたが、それに伴い4-6世帯からなる生産小隊を ひとつの単位とした集団漁を行うように指導された。こうしたなか漁師たちは、従来の漁法であるTongを止め、Huozuoと呼ばれる集団漁を開発した。 この漁法は、複数の世帯が同時に操業できる方法である。また、集団化の時代には湖の区割りはなくなり、どこで操業しても良くなった。そのため、漁師たちは 遠方で操業し、数日間船上で生活するための大型船も新たに導入した。このように集団化政策の初期は、従来からの漁法や規範が否定されたが、漁師たちは新た な漁法を開発し、漁の規範も新たに策定した。そして、この結果、漁場や漁獲物なども変化した。こうした変化をみてみると、この時代は、国家政策の影響をも ろに受けるかたちで鵜飼い漁の技術も大きく変化したといえる。
 本報告で取り上げた時代を政体や政策の変化という視点からみれば、新中国成立から土地改革、集団化政策の実施という流れである。一方、人間-環境系の変 化に着目した環境史的視点からみれば、漁法や漁場、漁獲物が変化した集団化政策の実施時期をひとつの区切りとすることも可能ではないかと考える。このよう に、生業技術の変化に着目する環境史研究は、人間-環境系の変化と従来の時代区分との間にあるずれを見いだせるのではないかと指摘した。
 
 発表で頂いたコメントと著者の答えは以下の通り。
Q:「共有」や「納税」、「漁業生産隊」という言葉使いの妥当性
A:例えば、新中国成立以前に3つのBangpaiが共同で管理している水域を「共有」としたが、各Bangpaiが水域を所有していたわけではないので 「共有」という表現よりも「共同で管理している水域」の方が適当であった。また、「納税」という言葉は、今回対象とした時代に現在のような税制システムが 整備されていたわけではないので「物納」とする方が適当であった。「集団化以前に存在した漁業生産隊」と「集団化時代の漁業生産隊」はまったく別の組織で あるが、名称が同じであるため若干の混乱を招いた。

Q:環境史研究は、環境の大きな変化が人間生活に与えた影響とともに、人間活動が環境に与えたインパクトの相互作用を明らかにするものである。
A:今回の発表では、環境(とりわけ社会環境)の変化が人間の生活に与えた影響を捉えることに焦点をあてた。人間活動が自然環境に与えた影響を調査することは容易ではないが(資源量の増減や水質の変化など)、今後は人間-環境系の相互作用に着目する必要がある。

Q:環境史とはロングスパンの関係性に着目するもの
A:今回の報告では、目的にもあったようにミクロな人間-環境系を対象に、聞き取り調査で復元できる時代を対象とした。ただ、今回の内容を「環境史」と呼ぶ必然性に関しては今後考えて行きたい。

Q:なぜ現在でも鵜飼い漁が行われているのか
A:W村の鵜飼い漁はほかの漁(刺し網漁や定置網漁など)に比べて漁獲効率(単位時間当たりの漁獲高)が高い。そのため日々の収入は悪くない。その結果、上海などに出稼ぎにでた若者がW村に戻って鵜飼い漁を始めるものも多い。また、
中国には淡水魚を食べる魚食文化が背景にある。そのため、漁師たちが市場に持ち込んだコイやナマズなどは簡単に売りさばける。こうした淡水魚食文化も鵜飼い漁を成り立たせている背景にある。

Q:中国では観光鵜飼いはあるのか
A:杭州や広西チワン族自治区、湖南省長沙などでは観光鵜飼いが行われている。そこでは、観光客と写真をとったり(一枚5元)、漁を見せたりする。観光鵜飼いに従事する漁師の衣装は、長良川の鵜飼い漁師のそれになぜかそっくりである。

Q:生業という言葉の使い方
A:今回の発表では、生業を生計維持のための職業、現金獲得のための活動という意味で使用した。ただ、生業という言葉にも、民俗学的な「生業」、Occupation、Subsistenceなど概念上の違いがあるため今後は注意して使用したい。

[卯田宗平]