ASNET -東京大学 日本・アジアに関する教育研究ネットワーク--

ASNET関連セミナー

第23回東文研・ASNET共催セミナー「政治と言葉:中江兆民《日本に哲学なし》再考」

  • 報告

【報告】第23回東文研・ASNET共催セミナー
「政治と言葉:中江兆民《日本に哲学なし》再考」

第23回東文研・ASNET共催セミナーが2011年1月13日(木)に開催されました。
以下、報告させていただきます。

日時:2011年1月13日(木)午後5時~6時
場所:東京大学東洋文化研究所 大会議室
テーマ:「政治と言葉:中江兆民《日本に哲学なし》再考」
報告者:ミヒャエル・ブルチャー(東京大学東洋文化研究所、准教授[東京大学国際本部兼任])


講演要旨
 「東洋のルソー」といわれる中江兆民〔1847―1901〕は、その頻繁に引用される「我日本古より今に至る迄哲学無し」という一節で、明治日本に「哲学」が無いと言おうとしただろうか。今回の発表では、まずは明治時代の「哲学」ブームについて、その用語の「濫用」を嘆いた三宅雪嶺や、井上円了が創立した哲学館で行われた「哲学祭」のことを中国語で述べた梁啓超の証言を基に、紹介した。
中江兆民の上記の一節を正しく理解するためには、兆民自身がフランス語のPhilosophieを「理学」と訳したことを、見逃してはいけない。そこで、「我日本古より今に至る迄理学無し」と彼は書いていなかった。その「哲学無し」のアイロニーの効いた一節で、兆民が一体何を意図したかを解明するために、彼の訳書である『理学沿革史』(1886)におけるカント紹介の一箇所を踏まえながら、当時の哲学と憲法思想の密接な関係について指摘した。その哲学と憲法思想の密接な関係は、「理学」としての朱子学と「理学」としてのPhilosophieの、兆民にとってのつながりの背景にもあった。こうした朱子学とPhilosophieの合流の観点から、「主観」と「主体」という翻訳語の由来についても簡単に紹介した上で、中江兆民の『一年有半』と丸山真男の『日本の思想』の考え方の共通点と違いについていくつかの考えを述べた。
[ミヒャエル・ブルチャー]