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第24回東文研・ASNET共催セミナー「意味への収斂とその外部:ランの葬送儀礼の変容をめぐって」

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【報告】第24回東文研・ASNET共催セミナー
「意味への収斂とその外部:ランの葬送儀礼の変容をめぐって」

第24回東文研・ASNET共催セミナーが2011年1月20日(木)に開催されました。
以下、報告させていただきます。

日時:2011年1月20日(木)午後5時~6時
場所:東京大学東洋文化研究所 大会議室
テーマ:「意味への収斂とその外部:ランの葬送儀礼の変容をめぐって」
報告者:名和克郎(東京大学東洋文化研究所、准教授)



講演要旨
 本発表では、極西部ネパールからインドのウッタラーンチャル州東部のヒマラヤ地域に住み、ランという自民族範疇を共有する人々の「伝統的」な葬送儀礼のあり方と、葬送儀礼の過去半世紀ほどの変容過程とを再構成した上で、葬送儀礼およびそこで「伝統的」に用いられていた伝承のあり方の現状を予備的に分析した。
 嘗てランの葬送儀礼はグォンと呼ばれる形式をとっており、その中心は死者の魂に対してなされると長大な口頭伝承セーヤーモの朗誦にあった。この伝承の最後の部分は、死者の魂を祖先の地へと導き、祖先の一員にするものと一般に理解されている。本発表では、伝承の「テクスト」自体における動詞の形態論的な分析から、伝承の朗誦自体が、実際に魂を送る言語行為となっている可能性を提示した。
20世紀中葉以降、幾つかの理由により葬送儀礼に対して様々な形での短縮と変更が行われてきたが、発表者の主たる調査村チャングルを含む複数の村では、ほぼ半世紀前に、グォンに代えて新たにサラートという葬送儀礼を導入し、セーヤーモを廃止して『ガルダ・プラーナ』を読むようになった。以前指摘したように、一種のヒンドゥー化を意図したこうした動きは、チベット仏教僧によるテクストの読み上げをも可能にするなど予想外の帰結をもたらすことともなった。
 21世紀に入り、セーヤーモのテクスト(デーヴァナーガリー表記)とヒンディー語訳を収録した著作が刊行されたことにより、サラートを行っていた村でも再びセーヤーモが葬送儀礼に用いられるようになった。しかし、少なくともチャングルに関する限り、儀礼自体が嘗てのグォンに戻された訳ではなく読まれるテクストが変更されただけでであること、セーヤーモの原文でなくヒンディー語訳が読み上げられていること、また従来のセーヤーモのテクストが作動させる言語行為が、ヒンディー語訳では必ずしも上手く作動しないと考えられることなどから、葬送儀礼が嘗てのあり方に回帰したと単純に捉えることは出来ず、儀礼の場で読まれるテクストがより正統的とされるものに入れ替わる一方、そのテクストの具体的な意味は通常儀礼の場の外部でヒンディー語のテクストを読むことにより理解されるという、一種の分化が進行していると考えられる。
 また、葬送儀礼の場において、セーヤーモ或いは何らかのテクストの読み上げのみが行われている訳ではなく、死者の魂に直接呼びかけうる女性の泣き歌と、親族集団内の生者と死者との永遠の共在を示唆する所作とが、「魂を祖先に変換する」という儀礼の進行に対して必ずしも調和的でない形で、行われ続けている。

質疑応答では、儀礼の変更に対する社会的規制の問題、儀礼的行為と意味の関係の問題等に関して鋭い質問、コメントを多数頂戴した。改めて感謝申し上げる。
[名和克郎]