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第27回東文研・ASNET共催セミナー「民族寄宿学校と『少数民族」』現代ベトナムにおける地方のイニシアティブと人々の認識」

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【報告】第27回東文研・ASNET共催セミナー
「民族寄宿学校と『少数民族」』現代ベトナムにおける地方のイニシアティブと人々の認識」

第27回東文研・ASNET共催セミナーが2011年2月10日(木)に開催されました。
以下、報告させていただきます。

日時:2011年2月10日(木)午後2時~4時
場所:東京大学東洋文化研究所 大会議室
テーマ:「民族寄宿学校と『少数民族」』現代ベトナムにおける地方のイニシアティブと人々の認識」
報告者:伊藤未帆(日本学術振興会特別研究員)



講演要旨
 ベトナムは、53の少数民族が居住する多民族社会である。1986年のドイモイ政策導入により、社会が劇的な変容を遂げつつある中で、少数民族の暮らしや認識もまた、大きく変容しつつある。とりわけ教育の分野では、学校に通うことが将来の自己実現へ結びつくと認識されはじめたことにより、それまで公教育の仕組みに包摂されてこなかった少数民族のあいだでも、教育アスピレーションが高揚しつつある。本報告では、少数民族を取り巻く近年の教育環境の変化を背景として、進学を目的とした少数民族優遇政策の利益分配と、それを取り巻く地方行政の関わりについて解き明かすことを目的とした。
 1990年代初に新設された民族寄宿学校は、原則として少数民族のみを対象とした、ベトナムでは数少ない学校制度の一つである。すべての学校には寄宿舎が併設され、生徒全員がこの寄宿舎で集団生活を送りながら、一般の公立学校と同じ教育カリキュラムに基づいて、ベトナム語で教育を受ける。中学校と高校の中等教育課程に位置づけられるが、学費が無償であるほか、全員に奨学金が支給される。教育訓練省が統括する、統一的な教育制度でありながら、その一方で、生徒の選抜方法に関しては、一定程度、地方の教育行政による自由裁量が認められた。これにより、それぞれの地域における民族寄宿学校の選抜メカニズムは、その地域に応じた社会的条件、民族の居住状況に合わせて、さまざまなスタイルで発展していくこととなった。
 本報告では、フート省とラオカイ省における2004年度の受験者データの定量分析を用いて、これら二つの地域の民族寄宿学校をめぐる選抜メカニズムを比較分析し、民族寄宿学校が、誰に、どのようにその恩恵を分配しているのかという問いを明らかにした。もともと教育水準が高いムオン族が集住するフート省の民族寄宿学校では、能力主義的な選抜方法、すなわち競争原理によって優秀な生徒を選抜し、補習授業など積極的に活用した教育方法を実践することにより、少数民族生徒の質的水準の向上を目指した。その結果、キン族が多く通う一般の普通高校と比べても、相対的に高い高等教育機関進学率が達成され、学歴エリート養成学校としての役割を果たすことになった。
 これに対し、相対的に見て教育水準が低い民族が、数多く居住するラオカイ省では、入学試験での得点よりも、民族籍や出身中学校など、いくつかの優遇条件を設けて、それに当てはまる人々を積極的に選抜する仕組みがとられた。これにより結果の平等が保障され、普通学校にはなかなか進学することができない人々、すなわち、僻地に居住していたり、人口の極めて少ない少数派の少数民族の子どもたちにも、高校に進学する貴重な機会を開いた。ただしその一方で、競争原理に基づかない選抜メカニズムを実践したことで、学校自体の質的水準は次第に低下し、高等教育機関への進学者数も減少していった。
 選抜メカニズムをめぐるこうした地域的な多様性とは、さまざまな条件を持つ人々が混住するベトナム社会において、国家としてのまとまりを維持するために設けられた、柔軟な対応策のあり方を反映していた。もともと上位下達の関係にあると考えられてきた、社会主義国家における中央と地方の関係性においては、実は、国家によって作り出された制度的な枠組みに対し、地方が、それぞれの地域の特性や状況に応じて、自在な運用を可能にする一定の裁量権を有することで、緩やかに結びついている場合がある。本報告で見た、民族寄宿学校をめぐる地方の教育行政の対応とは、まさにこうした緩やかな相互関係の中で、政策の運用がうまく施行されている一つの事例である。地方がそのイニシアティブを発揮し、それぞれの地域ごとに事情に合わせて選抜メカニズムのあり方を調整することによって、少数民族優遇政策をめぐる利益分配が、人々のあいだに大きな混乱を引き起こすことなく、地域社会に受け入れられるための巧みな方策として見ることが可能である。
 本報告ではまた、民族寄宿学校という学校制度が、山間部地域社会の人々にもたらした新たな動きとして、少数民族化ムーブメントについても指摘した。これは、より多くの大学進学の可能性を得るために、民族寄宿学校に接近することを目的として、キン族から少数民族へと民族籍を変更する人々の動きである。現状ではあくまで合法的な範囲で行われているものの、自分の「民族籍」と民族意識が必ずしも結び付かないケースが出現するなど、今後、エスニシティとしての民族のあり方を問い直す事態へと発展していく可能性もあることが示唆される。