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第36回東文研・ASNET共催セミナー「人間開発アプローチの有効性と課題:客観的幸福指標の可能性」

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【報告】第36回東文研・ASNET共催セミナー
「人間開発アプローチの有効性と課題:客観的幸福指標の可能性」

第36回東文研・ASNET共催セミナーが2011年9月22日(木)に開催されました。
以下、報告させていただきます。

日時:2011年9月22日(木)17:00-18:00
場所:東京大学東洋文化研究所 1階ロビー
テーマ:「人間開発アプローチの有効性と課題:客観的幸福指標の可能性」
報告者::平位匡(日本学術振興会特別研究員PD)

【報告要旨】
 本発表では、人間開発が経済成長モデルに対抗する開発アプローチとして普及してきた背景及び理由、そして今後の課題として客観的幸福指標の可能性について論じた。
 まず、国際機関における開発アプローチの変遷を整理した。戦後、ブレトンウッズ体制の下で経済成長モデルが開発の主流派となるが、1950年中盤から発展途上国を中心としてこの経済一辺倒の開発に対する不信が生じた。その結果、1960年代中盤に社会開発アプローチ、そして1970年代中盤には基本的ニーズアプローチが提唱されることとなる。しかしながら1980年代の世界不況による緊縮政策の下、再び経済成長モデルの勢いが増し、その間に貧困問題は蔑ろにされた。こうした状況を受け、1990年に国連開発計画(UNDP)により人間開発アプローチが誕生した。
 人間を経済成長の手段とみなす経済成長モデルとは異なり、人間開発アプローチは、人間を開発の究極目的とし、人々の本質的自由の拡大を目指す。そして、その際に重要となる情報空間を「機能」と、そのベクトルの集合である「ケイパビリティ」とする。機能とは人の状態や人が何かをすることであり、ケイパビリティとは選択可能な機能の様々な組み合わせの集合を指す。また、この機能とケイパビリティは個々人が価値を認める理由に基づくものでなければならず、それらはその人が属する社会における公開議論を通じて常に影響を受けることになる。人間開発の状況を示すために作成された人間開発指数(HDI)は人の暮らしに不可欠な三つの側面(健康・教育・まともな生活水準)からなる合成指数であり、経済成長モデルにおけるGDPに対抗する指数としての意義をもつ。
 次に、他の開発アプローチとは異なり、人間開発アプローチが誕生以来今日に至るまで普及し続けている理由に関する分析を行った。まず概念的特徴として、当アプローチは個々人の多面性・文化の多面性を尊重している点が挙げられる。さらに、人を開発の受け手としてではなくより主体的なものとみなすことにより、公開議論による民主的プロセスが重視され、また自らの福祉に直結するか否かに関わらず自身の価値に基づいた選択がなされているかが注視される等、人類繁栄のための開発を目指していることも特徴的である。また、HDIによる政策面でのインパクトも当アプローチの普及に大きく寄与している。HDIは複数の要素を一つの数値として指数化することで、政策立案者に広く受け入れられ、GDPの対抗指数としての地位を確立することに成功した。最後に、UNDPの分権的組織体系が当アプローチを実践する上で好ましい環境を提供している点が挙げられる。国際機関は開発政策を行う上で強力なバックアップとしての効果がある一方で、主力国による政治的圧力に晒されやすい。しかしながらUNDPは世界中にカントリーオフィスを有するおかげで、国際機関としてのバックアップを利用しつつ主力国の政治的圧力をできる限り回避できる。この分権的組織体系により、政府・NGO・研究者や現地の人々の間で公開議論の活発化が見込まれ、とりわけ研究者と連携を図ることで実践する上で簡略化されがちな豊かな概念を常に意識し、より概念に忠実な政策を目指すことが可能となる。
 しかし、人間開発アプローチには課題も残されている。その一つとして当アプローチの重要な特徴である「人々の価値に基づく開発」をどう実践するか。実際、HDIは達成された機能面のみを反映していて、その機能が人々の価値に基づいて自由に選択されているか、という過程を反映していない。つまり、人々の価値を反映するケイパビリティの計測が課題となる。まず、個人間比較を行うにあたり、ケイパビリティは客観的な情報に基づいている必要がある。なぜなら主観的な情報では適応型選好の問題が生じるからである。そして、この客観性を示すために公共的な判断が有用となる。つまり、ケイパビリティの計測では「公共の理由を前提として、人々の価値を反映し自由な選択ができるか」を調べることになる。これによって示される幸福を「客観的幸福」とする。このように解釈することで本来は主観的色彩の強い幸福という概念を客観的なものとして扱うことができる。つまり、幸福の一部をなす効用とは異なり、個人間比較が可能となるばかりでなく、幸福を人間の繁栄(Eudaimonia)とし、そこには高尚な価値がなくてはならないとするアリストテレスの解釈とも一致する。
 質疑では、ケイパビリティを公共的なものとして扱う疑念、また公共性に関する定義、そして個々人の自由な選択の前提として公共の理由を置くことが家父長的ではないか、との意見をいただいた。今後の研究に役立てていきたい。
 [平位匡]