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第54回東文研・ASNET共催セミナー「抗う市長――パレスチナ被占領地における抵抗運動の一局面」

第54回東文研・ASNET共催セミナー/The 54th Tobunken-ASNET seminar
「抗う市長――パレスチナ被占領地における抵抗運動の一局面」
‘The Resisting Mayors: One Aspect of the Palestinian Resistance Movement in the Occupied Territories’

下記の要領で第54回セミナーを開催いたしますので、ご案内いたします。
参加申し込みは必要ありませんので、奮ってご参加下さい。

The 54th Tobunken-ASNET seminar will be held as follows.
This seminar is open to public without entry.

このセミナーは終了しました。以下の開催レポートをご覧下さい。

日時/Date:2012年6月21日(木)17:00-18:00
会場/Venue:東京大学東洋文化研究所1階 ロビー
Lobby, 1st Floor, Institute for Advanced Studies on Asia, University of Tokyo
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/access/index.html
報告者/Presenter:鈴木啓之氏/SUZUKI Hiroyuki(東京大学大学院総合文化研究科・日本学術振興会特別研究員DC/Ph.D. candidate in Graduate School of Arts and Sciences, The University of Tokyo・JSPS Research Fellow)
タイトル/Title:「抗う市長――パレスチナ被占領地における抵抗運動の一局面」
‘The Resisting Mayors: One Aspect of the Palestinian Resistance Movement in the Occupied Territories’

報告要旨/Abstract
本報告は、1970年代から80年代にかけてその活動に注目が集まったパレスチナ人市長を取り上げる。1967年からイスラエルの占領下に置かれたヨルダン川西岸地区では、1972年と1976年に占領当局の監督のもとで地方議会選挙が行われた。特に1976年の選挙で選出された市長らは、イスラエルによる占領政策に強く反対する姿勢を打ち出し、抵抗運動の旗手となった。彼らの活動に注目することで、被占領地における抵抗運動の発展の軌跡を明らかにする。

This presentation focuses on Palestinian mayors in the occupied territories in the 1970s and 1980s. Since the Israeli occupation, two municipal elections have been held in the West Bank, in 1972 and 1976. In the 1976 election, most of the mayors voted in were Palestinian nationalists who strongly persisted in opposing the Israeli occupation policy and supporting the PLO’s political attitude. This win revealed their immense popularity. They became leaders of the nonviolent resistance movement in the territories in the 1970s and 1980s. Studying their activity is very important for understanding how the Palestinian resistance movement grew under the occupation.

お問合せ先/Contact to:日本・アジアに関する教育研究ネットワーク(ASNET)
Network for Education and Research on Asia
電話/tel :03-5841-5868
e-mail: asnet[at]asnet.u-tokyo.ac.jp

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【開催報告/Report】


 本報告では、被占領下のヨルダン川西岸地区で実施された2回の地方議会選挙(1972年、1976年)を軸に、被占領下の抵抗運動がいかに展開してきたかを見た。
 1970年代から80年代初頭にかけて、カリーム・ハラフ(ラーマッラー市長、1972年選出、1976年再選)、バッサーム・シャカア(ナーブルス市長、1976年選出)など被占領地内部の市長らは、イスラエルによる占領を厳しく非難し、非武装の政治活動に力を注いだ。彼らの登場は、東アラブ地域で長らく続いた名望家政治が、被占領地で一応の終わりを迎えたことを意味する。この市長らを中心に、労働組合連合の代表や女性団体代表、学生団体などが参加して結成された超党派の組織「民族指導委員会」(NGC)は、パレスチナの独立を求めて被占領地で人々を動員した。
 イスラエル占領当局は、自らの傀儡組織である村落同盟の結成によって政治活動が先鋭化する都市部の抑え込みを図ったが、目的を達するに至らなかった。市長に対する圧力はより直接的なものへと変化し、1980年に入ってからは市長の域外追放が連続した。さらに、ハラフやシャカアのような著名な市長に対しては、ユダヤ人入植者の過激派による攻撃も加えられた。1980年6月2日、自家用車に埋設された地雷によってハラフは片足を切断、シャカアは両足を失った。事件当時についてシャカアは、「危険な状態であったが術後2時間で私は会見を開き、人々は病院の前などでデモを展開した」と語った。その会見に臨む彼は微笑んでいたとされ、後に外国の記者から理由を問われた際に、「大地に近くなれたから」と答えたという(2012年4月1日、ナーブルスの自宅にて発表者聞き取り)。
 ハラフとシャカアは足を失いながらも市長職に留まり続け、不屈の抵抗運動を体現した指導者として尊敬を集めた。しかし、それゆえに占領当局によってさらなる取り締まりの対象とされ、1982年蜂起(アル=ビーレのイブラーヒーム・タウィール市長の解任を端緒として始まった蜂起)が展開するなか解任される。同時に「民族指導委員会」も非合法化され、以降被占領地では指導者不在の大衆蜂起が頻発する時期が到来した。ここに、被占領地の抵抗運動において市長が役割を担った時代は終わりを迎える。しかし、その後の大衆蜂起インティファーダ(1987年開始)の展開を考慮するならば、1970年代から1980年代初頭にかけての抵抗運動の発展は、被占領地の政治構造に大きな変化をもたらした重要な出来事であったといえる。今後はより包括的に社会全体を捉えることを目指し、引き続き調査を進めて行きたい。  (鈴木啓之)