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科目情報

ヴァナキュラー文化研究入門(通文化研究基礎論II)

菅豊/Yutaka Suga

※本科目はオンライン講義に移行する可能性があります。オンライン参加のための会議室URL等は、UTASの本科目ページでご確認ください(会議室URLは更新される可能性がありますので、毎週の講義前にUTASを確認してください)。

授業の目標・概要/Course Objectives/Overview

●概要
 日本の民俗学と世界各国の民俗学とでは、研究ジャンルが非対称である。世界の民俗学では積極的に取り組まれているのに対し、日本の民俗学では十分に取り組まれてこなかった重要な研究ジャンルがある。それが芸術=アートである(本授業では美術・工芸に加え音楽、演芸、さらに審美性を必ずしも追求しない創作活動なども含めてアートと表現する)。本授業は、現代民俗学のキーコンセプトである「ヴァナキュラー(vernacular)」概念で捉えられるアート、すなわちヴァナキュラー・アートを題材に、民俗学的アート論の方法や理論、具体的事例を検討する。
 
●本授業の学術的背景と核心をなす学術的「問い」
 日本において、早くも1928年に民俗芸術の会が設立され、雑誌『民俗芸術』が発刊されたが、それは民俗芸能偏重で芸術一般を取り扱うことはなかった。しかし、その会に参画した柳田国男は芸術に関心を示し、芸術が「面白い研究課題」であり、その研究が「世界のフオクロア」に対して貢献できると強調した。そして生け花や庭園、化粧、芝居演劇、絵画などを例に、「素人」や「専門家に非ざる百姓」「小学校に入ったばかりの子供」といった「普通人」や「無名の常民」の芸術活動を研究することの意義を訴えた(柳田 1934:147-152)。現代のアート論においても先駆的であると思われる柳田のこの主張は、その後、鶴見俊輔の「限界芸術論」に引き継がれたものの、残念なことに民俗学では忘却されてしまった。また民俗学は、それと同時代に生起した柳宗悦らの民藝運動とも直接接触することはなかった。結果、日本の民俗学は伝統的な民俗芸能や口承文芸には関心をもったものの、芸術を「便宜的・表面的な分類ラベル程度のものでしかなく、内実をもった概念にまで高める必要のないもの」(小松 1999:6)として軽視し続けてきた。その状況は現在でも変わらない。
 しかし、アルフレッド・ジェルやティム・インゴルドなどの研究をもち出すまでもなく、近年、人類学的アート研究が活性化しており、また社会学など民俗学の隣接科学でもアートが重要課題となっている。そして海外の民俗学に目を転じれば、古くより美術や工芸に関してFolk Art(英米)や「民間藝術」(中国)という明確なジャンルが定められ、積極的に考究されてきた。さらに翻って日本のアート界を眺望すれば、地域の芸術祭が隆盛するなど、現代美術の重心が前衛的なコンセプチュアル・アートから、「風土」「伝統」といった土着的な民俗文化を求めるものへ移行する「民俗学的転回(Folkloric Turn)」(福住 2017:29)を経験しており、アートにとって民俗学的世界は見過ごせない重要課題となってきている。
 このような学術的背景のもと、日本の民俗学においてアートというジャンルを、その研究の射程に収めることの重要性は高まりつつある。もちろん、アートを民俗学で考究する際、他のディシプリンと異なる民俗学独自の視角が求められることは言を俟たない。その民俗学的アート論を起ち上げる際に、本授業が採用する概念がヴァナキュラーである。ヴァナキュラーは、元来、土地固有の土着性や、さらに地方語、話し言葉、日常語を意味する言葉として使用されていたが、今日の文化研究において「権力、近代、人種、階級から、個人や集団の創造性、さらに研究者の位置性や政策に関わる問題等、きわめて多様なテーマ」(小長谷 2017:28)が関わる文化概念として用いられ、米国の民俗学でもキーコンセプトとなっている(Bauman 2008など)。その語には土着や周縁、非権力、異端、邪道、粗野、アンオフィシャル、アマチュア、ディレッタント、在野、非エリート、俗、非市場、独学、手仕事といった、実に多様な含意を読み取ることができる。
 このヴァナキュラーという語で形容されるアートのジャンル、すなわちヴァナキュラー・アートは、芸術の専門教育を受けておらず、そして自分のことを「芸術家」だと認識していない「芸術家」たちによって制作されるアートであり、独学芸術(Self-taught Art)や、障害をもつ人びとが一般的に行為主体とされるアール・ブリュット(Art Brut)、その英訳であるアウトサイダー・アート(Outsider Art)、さらに機能性に欠ける奇異な構造物を数十年かけて、こつこつと無目的に創り上げる幻視風景(Visionary Environment)などのアート・ジャンルと多くの部分で重なり合う。ただし、ヴァナキュラー・アートの場合、天賦の才に恵まれ敬意を集める芸術家や、反対に「変人」扱いされる人びと、そしてアフリカン・アメリカンや障害者といったマイノリティのように、社会的に「しるしづけられた(有徴の)存在」による創作だけではなく、市井のどこにでもいる、表舞台で脚光を浴びない普通の人びとの、ありきたりな日常生活における創作を含む点が特徴的である。その創作は人びとの生活と不可分であり、衣食住と同じように日常生活に埋め込まれ、淡々と行われている。その点で、民俗学において考究する意義が大きい。ヴァナキュラー・アート研究では、行為主体の非専門性や行為の日常性を重要視するのである。このヴァナキュラーという概念を獲得することにより、民俗学は伝統と不可分であるFolk Artや民間藝術とともに、伝統に囚われない日常生活における「いま」のアートの創作活動を研究の視野に収めることができる。
 アカデミズムの外、すなわち「野」で生起した「野の学問」である日本の民俗学で、普通の人びと=「野の芸術家」の生活の卑近な創作活動=「野の芸術」の具体像を把握するため、本授業では「普通の人びとは日常生活のなかで、いつ、どこで、なぜ、どのように創作活動を行っているのか?」、「普通の人びとがもつ創造性とはいかなるものか?」、「普通の人びとが生活のなかで『アートする(doing art)』ことはいかなる社会的意味と価値をもっているのか?」、そして「普通の人びとのアート・ワールド(芸術世界)はどのような構造になっているのか?」といった、学術的「問い」を設定した。これらの学術的「問い」は、柳田国男がその研究の必要性を力説したにもかかわらず、その後、民俗学で忘却された、「素人」や「専門家に非ざる」人びとの芸術活動に対する「問い」と相通じるものでもある。
 
【引用・参考文献】
柳田国男1934『民間伝承論』共立社
小松和彦他編1999『芸術と娯楽の民俗』雄山閣
福住廉2017「民俗学的転回」『美術手帖』2017年12月号(1062号)
小長谷英代2017『〈フォーク〉からの転回 ―文化批判と領域史』春風社
Richard Bauman 2008 The Philology of the Vernacular, Journal of Folklore Research 45(1).

科目番号/Course ID Number 31M220-1140S
31D220-1140S
分野/Field 総論
単位/Credit 2
場所/Venue 本郷キャンパス 東洋文化研究所7階705号室
授業時間/Semester/Time S1S2
水曜4限 Wed, 4th
使用言語/Language 日本語 Japanese
授業予定/Schedule 1、ヴァナキュラー、ヴァナキュラー文化、ヴァナキュラー芸術とはなにか?
2、ヴァナキュラー芸術の諸相1―根芸
3、ヴァナキュラー芸術の諸相2―錦鯉
4、ヴァナキュラー芸術の諸相3―花鳥字
5、ヴァナキュラー芸術の諸相4―中国民間芸術のヴァナキュラー性
6、ヴァナキュラー芸術関連論考の輪読発表1
7、ヴァナキュラー芸術関連論考の輪読発表2
8、ヴァナキュラー芸術関連論考の輪読発表3
9、ヴァナキュラー芸術関連論考の輪読発表4
10、ヴァナキュラー芸術関連論考の輪読発表5
11、ヴァナキュラー芸術関連論考の輪読発表6
12、ヴァナキュラー芸術のワークショップ1
13、ヴァナキュラー芸術のワークショップ2
14、ヴァナキュラー芸術のワークショップ3
15、ヴァナキュラー芸術研究の可能性
※上記は授業の具体的な進行を示すものではない
履修上の注意/Notes on Taking the Course 初回開講は4月8日(水)4限14:55を予定しているが、新型コロナウイルスの流行もあり不確定である。土日集中開講などの授業日程の調整、あるいはオンラインを通じたテレビ授業などの可能性もある。初回開講の可否、開講方法を通知するため、受講希望者は4月6日までにsuga@ioc.u-tokyo.ac.jpまで、必ずメールで連絡すること。開講場所は、本郷キャンパス・東京大学東洋文化研究所7階705号室を予定。
キーワード/Keywords
教科書/Textbooks 授業で使用するヴァナキュラー芸術関連論考は、教員が提供する
参考書/Books for Reference 鶴見俊輔1999『限界芸術論』筑摩書房(ちくま学芸文庫)(新しい増刷版でよい)
授業の方法/Teaching Methods 教員の講義に引き続き、受講者は教員が提供するヴァナキュラー芸術関連論考を輪読し、発表・討論を行う。さらに教員が提示する研究例、分析例、発表例を参考に、個々が関心をもつヴァナキュラー芸術を取り上げ、その芸術を自ら体験し報告する。
成績評価方法/Method of Evaluation 評価は、出席、発表、議論、ワークショップへの寄与などの結果をもとに行う。
その他/Others