GWALIOR


 グワリオルでは、平地から切り立った台地状の城塞とその北東に広がる旧市街地からなる。城塞には、6世紀に遡る刻文が残り、その後も、ヒンドゥー諸勢力、デリー、マルワー、ジョウンプル等のイスラーム勢力が抗争する舞台となった。城塞には城門、いくつかの宮殿の他にサス・バフー寺院やテリカ・マンディルなどの重要なヒンドゥー建築も遺存する。旧市街地には、ムガル朝期のジャーマ・マスジド、ムハンマド・ガウスの墓、タンセンの墓が残る。(深見奈緒子)
町の風景写真

<代表史跡>
1.FORT
2.MAN SINGH PALACE
3.TOMB OF MUHAMMAD GHAUS


1.FORT

 長方形の砂岩の台地という自然的条件を巧みに利用した巨大な城砦で、その規模や堅固さにかけては南アジアでも屈指の要塞といえよう。ヒンドゥーのカチャワハKachhawaha 勢力の首領スーラジ・セーン Suraj Sen によって、スーラジ・パールSuraj Pal への氏名変更の勧奨に従って950年頃に造営されたものとする伝承が行われてきた。すなわち、この大城砦の造営にはらい患者であった彼が一人のヒンドゥー行者によって快癒させられ、その求めdeこの城砦を造ったという伝承である。(荒松雄)
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2.MAN SINGH PALACE

 グワリオル城砦の中に設けられた宮殿のひとつである。15世紀末に建立され、19世紀に改修された。現存するヒンドゥー宮殿の中で最も古い。大中庭と、4つの小さな中庭からなる建築で、地上2層、地下2層の建築である。地下には、夏用の部屋が作られ、ムガル朝時代には牢獄として使われたという。砂岩に浮き彫りが施され、小中庭を囲む諸室には、さまざまな形の天井が作られる。同時代のマンドゥーの宮殿建築、次世代のファテープル・シクリ等、イスラーム宮殿と比較する上で重要な遺構である。(深見奈緒子)
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3.TOMB OF MUHAMMAD GHAUS

 ムハンマド・ガゥスは、その兄弟の一人のシェイフ・プフール(Shaikh Phul シェイフ・バハロールBahlul)とともにムガル帝国初期の著名なスーフィー聖者の一人で、とくに二代皇帝フマーユーンによって精神的な師として崇敬されていたという。グワリオルの城砦の麓に近く建てられているその墓所は大きなドームを頂く四角平面の墓建築であるが、円形やピラミッド形の小ドームを頂くキオスク風の多数の建造物と、墓建築の四集に造られた三層のアーチ形の小塔の添加によって、他の墓建築にはみられないユニークな形態と構造を持っている。それは基本的にはローディー朝とムガル初期の墓建築の様式を踏襲しながら、グワリオルの歴史が持つヒンドゥー技術や美的感覚の影響をつよく示しているものとして、歴史的な意味を持つものと評価されている。(荒松雄)
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