TAJ MAHAL

 

  ジャムナ川を背に東西300m、南北560mに及ぶ敷地は、前庭・16分割庭園・墓廟の3部分から構成される。チャハル・バーグ形式の大庭園に配される大墓廟建築というテーマに対して、フマユーン、アクバル、ジャハンギールの前三代皇帝のいずれも墓建築が中心部を占めたのに対し、ムガル朝5代皇帝シャー・ジャハンが造営した当建築は16分割庭園がチャハル・バーグであるが、この中心には泉が設けられ墓建築は最奥に位置する。奥の院へと到達するヒンドゥー的動線を加えたとも解釈することができよう。門をくぐって墓廟へと通じる動線は、あたかも広大な庭園の中に設けられた参道のようであり、墓建築自体は四面対称ながらその配置によって建築の表と裏を巧妙に演出している。墓廟本体が左右対称に同じ建物(モスクとサライ)を両わきに備える点は別として、墓建築自体はフマイユーン廟の発展した形態をもっている。中央墓室の前後左右にイーワーンを配し四隅に2層構成の8角形の部屋を置く形態で、ティムール朝の宮殿建築や墓廟建築と深い関係を有する。これは、ムガル朝皇帝のペルシア好みをあらわしているといえよう。

  一辺95m、高さ7mの基壇の四隅には基壇上の高さ42mの円形断面のミナレットが建ち、祖父帝アクバル廟の門の四隅のミナレット、父帝ジャハンギール廟から踏襲された形態といえるものの、当建築においてはあたかも聖域を区切る結界柱のような効果をもつ。基壇中央部分に遺体を葬った玄室があり、その上部に皇帝シャー・ジャハンと早逝した愛妃ムムタズ・マハルのセノタフ(棺型墓碑)の置かれた墓室となる。墓室の外観は基壇上高さ58mに達するのブルバスなドームを頂き、屋上のドーム四隅にはインド建築特有のチャハトリが脇を固める。各面の中央に設けられた、外に向かって開く吹抜けイーワーンを加え、完全に左右対称に徹した当建築はペルシア的な基盤に立ちながらも各所にインド固有の要素を加えたインド・イスラームを代表する建築の一つである。基壇からドーム頂部までファサードだけでなく内部をも完全に白大理石で覆い、精巧な象眼細工を各所に施したあたかも巨大な宝石のようなこの墓廟は、ムガール頂建築の絶頂期を意味する存在である。シャー・ジャハンの息子オウラングゼブ帝は敬虔なムスリムで自らの墓廟を建設することは拒み、デカンのダルガーの片隅に葬られてはいるものの、オーランガバードに建設された彼の妃を葬るビビ・カ・マクバラはタージ・マハルのレプリカともいえる。しかしながらその建築は決して本物に追いつくことは出来ず、明らかに凋落の影を宿している。(深見奈緒子)

 

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