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 デリーの南200キロメートル、ジャムナー川岸に位置する。アクバル大帝時代に本格的な都市建設が行われた。南下するジャムナー川が東へと折れ曲がる地点の西岸に城砦が設けられ、その城砦を半円形の市街地が取り囲む。赤砂岩で造られた城砦はラール・キッラー(レッド・フォート)と異名をとる。ジャムナー川の両岸は、ムガル朝時代には庭園が数多く建立され、タージ・マハルもそれらの庭園の一つである。
 城砦は、南と西に門を有する。主門たる西門を入ると直線のバーザールが設けられており、城砦内にバーザールを構築する珍しい例といえよう。アクバル時代の初期の建物としては、ジャハンギリ・マハルが有名で、ヒンドゥー宮殿との関係を示唆する住居系の建築である。その後も増改築が行われ、シャー・ジャハン時代の総白大理石造りのモーティ・マスジドは名高い。
 城砦の北西には、シャー・ジャハンによって1648年に建立されたジャーマ・マスジドがあり、ジグザグ文様で飾られた大きな3つのドームがその位置を知らせてくれる。ジャーマ・マスジドの周辺にはムガル朝期に端を発するバーザールが広がる。(深見奈緒子)


<代表史跡>

1.TAJ MAHAL1632-54


1.TAJ MAHAL

拡大してみる* ムガル朝期の帝都アグラに皇帝シャー・ジャハンが建立した愛后ムムタズ・マハルを葬る墓建築。1658年没の彼もここに眠る。アグラの城塞の南東、ジャムナ川に南面する敷地が選定され、対岸にはムガル朝の庭園区域が広がる。建築家はシーラーズ出身のイサ・ハーン、ヨーロッパ人名匠も参加したといわれる。巨大な複合建築で南入口から奥の河畔にむかって、庭園と隊商宿を配した入口部分、四分庭園(チャハル・バーグ)、基壇上にのる墓建築および両側を守るモスクと迎賓館へと続く。墓建築はティムール朝起源の5の目形式がフマーユーン廟を経て洗練を増した完成形である。中央ドーム室の直交軸線上には4つのイーヴァーンが開口し、高い中央ドームの四隅をインド建築起源のチャハトリで固め、基壇の四隅をミナレットで区切り、平立面ともに対称性を完遂する優美な建築。白亜の大理石を生地に流麗な貴石象眼を施し、後世、オリエンタリズム建築の手本となる。(深見奈緒子)
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