ADINA MASJID

西側の中央礼拝室は、もとはトンネル様の屋根で被われていたらしく今は崩落している。煉瓦造りの上部を除く石を貼ったその西壁の大半の部分には、中央の二重のアーチの多彩な彫刻の施されたミフラーブとその上に彫られた見事で雄大な彫刻文様が残っており、上下に小部屋様の構築物を持つミンバルとともに、この壮大なモスクのキブラ壁にふさわしい威厳を備えており、このことは、五つの間を持つ回廊の中央に位する主礼拝室の部分の西側背面の様相からもよく窺われる。この西側回廊の北側の一部には太く短い多面の柱に支えられアーチ形の間に仕切られた二階の部屋が造られており、南アジアのモスクにときに見られるザナーナzananahすなわち女性のための部屋とみる説もあるが、「バードシャーヒー・カ・タフトBadshahi ka takht(皇帝の王座)」と呼ばれた王とその一族、関係者のための部屋だったとする説もある。小さなドーム天井を持つこの二階の部屋の西側の部分にも、立派な彫刻を施したキブラ壁とともにミフラーブが残っている。

この壮大なモスクをムハンマド・ビン・トゥグルクが造ったと思われるデリー現存のベーガムプーリー・マスジッドにならって造られたという説もあるが、確かに似た部分もある。このモスクの東側回廊部には相当な規模を持つ入口の門がなく、遺蹟の現状から東側回廊の東南部の小さな三間の入口から入ったとする説もあるが、大規模な金曜日のモスクであるだけに奇妙な構造で、私見では保安その他の理由によるものとも推定する。なお、小さいことだが、東側壁面の一部に排水口が残っていた点をも指摘しておこう。(荒松雄)

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