ANONYMOUS TOMB WEST OF DAI KA MAHAL

 私の調査メモには「ジャーリー・マハル」とあり、このマーンドゥーにはその名で呼ばれる建造物が二件あるが、諸報告書の記載とあわず、実際にもジャーリー・スクリーン(石製打抜き窓)が見当たらないので、ここではあえて「不明の墓建築」として紹介しておく。この地には前項の「チャッパン・マハル」のように「マハル(宮殿)」の名で呼ばれながら実際には墓建築である遺跡もあるが、現存する「ジャーリー・マハル」なる遺跡も墓建築で、残念ながらここには紹介できない。ここに紹介する建造物も「マハル」の名で呼ばれてもおかしくない遺跡で、前項の墓建築とよく似た四角平面の堂々たる建造物で、平坦なドームの基部は八角形を形成していて威厳を持っている。
 なお、この墓建築について強調しておきたいのは、その墓室内の特異な構造と様式であ。煉瓦を用いた広いアーチの入口や、とくに部屋の四隅の三重のアーチと下方の二つのアーチ形のがんなどは、他の墓建築の場合に類例をみない独特な構造と様式とを備えている。さらに四角平面ではあるが事実上は八角形をなす壁面の上部の、ドームの基部につらなる部分に設けられている微妙に異なるアーチ形をした16個のがんの列や、その上部を占める二重の帯状の文様もまた、他には見られない特異なものである。披葬者不明の墓建築ではあるが、中央インドの中世インド−イスラム建築の構造と様式の一つの極限を示したものとして貴重な遺跡であると思う。(荒松雄)

 

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