CHAHAR MINAR

 この建造物の創建もムハンマド・クリー・クトゥブ・シャーに負うとされ、1590あるいは91年といわれている。その名称が示すとおり、この建造物の四隅には小さなドームを頂き合わせて五層の小アーチの入口を開くバルコニーを持つ堂々たるミーナールが設けられており、その四隅の塔の間に設けられた、七つのアーチを開く第二層目とその上のやや小さい15のアーチを並べた第三層のバルコニーの存在が、この建造物に華麗な印象を与えるもととなっている。第一層は四つの各面とも階段を備えた基壇を持っているが、大きく広いアーチ形をした入口を四面に開いており、その両側はそれぞれ四つのアーチ形のニッチで彩られていて、これまたミーナール全体に重量感をあたえるのに役立っている。これらのアーチ形の入口が、ハイダラーバード市のメイン・ストリートが合流する場所となっているのであり、市の象徴としての意味を如実に示しているのである。
 今日ではこの著名なインド−イスラム文化を象徴するこの大ミーナールのふもとに、小さなヒンドゥー教の神祠が建てられていて、いかにも今日のインド国にみられるヒンドゥー・ムスリムの間の緊張関係を象徴しているかのようであり、歴史を学ぶ者にはインド共和国独立前後のハイダラーバード地方における社会的、政治的動乱を思い起こさせる。(荒松雄)

 

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