DHAR
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かつては、パラマーラ朝マルワーの首都であった都市で、デリーのハルジー朝のアラー・ウッディーン(1296-1316年在位)の征服以後イスラム勢力がダールへと浸透した。市街地より約3キロメートルほど西に城砦が位置する。この城砦は1344年にダラギリの城砦をムハンマド・ビン・トゥグルクが改築したものである。1387年にディラーワル・ハーン・ゴーリーが統治者に任命されたが、彼は1400年にはスルタンを称し、マンドゥーへと都を移した。現在のダールの町は東に新市街が伸び、ダールの街の中心部にカマル・モゥラー・マスジドが、南東の端にラートゥ・キ・マスジドがのこる。両者ともパラマーラ朝の建築をモスクへと改装したものである。(深見奈緒子) |
<代表史跡>
1.LAT -KI MASJID (1404)
2.KAMAL MAULA MASJID (15世紀前半)
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モスクの俗称の「ラートゥ」には、「古い」(lat)の意味を持つ言葉とは別に「柱」(lath)という語もあるが、この俗称のほかに「ラートゥ・マスジド」と呼ばれる場合もあるのである。前者の場合は、西側礼拝室や回廊部で目立つ多数の柱列からくる「柱のモスク」、後者の場合は「古いモスク」の意味だとみることもできるであろう。しかしながら、一般には、パラマーラ朝のラージャ・ボージャーがこの建造物の近傍に建てた勝利の記念塔の存在に由来するという説の方が有力のようである。(荒松雄)
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▲中庭を南西よりのぞむ。左手に北門、 右手に東門 |