IBRAHIM RAUZA

 このロゥザ全体は広大な囲壁のほぼ中央の西側寄りに並ぶ、四角平面の墓建築を西側に、階段を備えた泉水の池を中央に挟んで東側に長方形のモスクを備えるといういわば墓廟コンプレクスであり、その意味合いからいえば、規模や建造物配置の点ははるかに異なるがアーグラの「タージ・マハル」の建造物群の場合とよく似ている。しかし、この遺跡群の特徴は、なんといってもその繊細で脆弱にさえ映るその造形と壁面その他に残された華麗でまた脆弱にさえみえる繊細な文様彫刻とにある。その点では私たちが撮影し、ここに紹介する写真は遺憾ながらその全貌を伝えるにはほど遠い。H・カズンズがその著書のなかで13頁にもわたる図版を付していることも、この点からしてよく理解できるのである。
 この墓廟の遺跡コンプレクスのなかの西側に造られた墓建築は、七つの広狭のアーチを開く回廊部を持ち、その内部に五つの入口を持つ正方形の墓室を造り、さらに三つの入口を備える内室を造り出している。写真からもわかるように、その造りや壁面の彫刻の繊細さは、その完成度において見る者を驚かすに十分である。カズンズが記すようにその天井は「吊り天井 hanging ceiling」のようで他の墓建築にみられない特徴を備えているが、その内室の柱やその他の場所にヒンドゥー様式の影響が窺われる点も見逃せない。内室の壁面の文様装飾には彩色の跡も、一部にかすかながら残っている。
 泉水施設を挟んで東側に立つモスクの方は、間口五間の奥行三間の長方形の建造物だが、この場合も墓建築と同様に至るところに繊細華麗な文様が施されれており、中央のミフラーブは西側に四角の部屋を張り出す形となっている。ただ、墓建築の方がヒンドゥー神殿によくみられるような梁と柱の構築によって天井を支えているのに対して、モスクの方はアーチを重ねる構築法を用いてイテよりムスリム建築的な特徴を創り出している。墓建築もモスクも花弁の上に乗る宝珠形のドームを頂き、屋根の四隅に小ドームを頂く細く高い繊細なミーナールを掲げているが、モスクの方は西側に張り出した四角いミフラーブの屋根の四隅にさらにやや低いが細く高いミーナールを掲げていて、全部で八本のミーナールを立ち上げることとなっている。
 この墓建築とモスクとからなる特異な墓廟は、アーディル・シャーヒーの時代の建築の技法と美的センスの諸特徴をさままな点で総合的に示しており、その点で他の建造物に比べて一段と重要な歴史的意義を持つ遺跡コンプレクスといえると考える。(荒松雄)

 

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