DARGAH OF SHAH ALAM

 

 広い囲壁に囲まれたこのダルガーの中心は二つの墓廟と壮大なモスクである。境内への入口はアーチ形の門と二階にアーチ形の窓を連ねた格式ある建造物である。広大な境内には、池を備えた敷地のなかに墓廟を中心に大小のさまざまな付属の建造物が設けられているが、多数の墓石群が残っており、この聖者の宗教的権威とその影響力の強さをつよく感じさせられる。シャー・アーラムは、その墓の入口に掲げられているペルシアごの歴史刻文によって、880AH年(1475)に死んだことがわかる。この刻文は、さらにその彼の墓が888AH年(1483)に完成されたことをも述べ、それを建設した貴族の名をも記している。ラジャン氏も述べているように、このシャー・アーラムのダルガーには、1475年から1575年のほぼ百年間に造られたさまざまな建造物が残っているのだが、なかでも次に紹介する二つの墓建築とモスクおよびジャマーァト・ハーナがその中心となっている。
 サイイド・シャー・アーラムの墓はこのダルガーの東端の部分のほぼ中央に造られていて、屋根の中央にかなり高めのドームを頂く12本柱の墓建築をさらに24個の小ドームを頂く二重の回廊部が取り囲むという形式の堂々たる四角平面の建造物である。四方にアーチ形の入口を備えているが、主入口は西方で、小さなドームを頂く張り出した部分を造っている。墓建築全体の壁面は、中央部の入口の両側にそれぞれ三つのアーチ形の窓とその上に造られたアーチ形の部分を持っており、これらのアーチの部分はいずれもジャーリー・スクリーンで被われていて、この墓建築に格式を与えるのに役立っている。私が訪ねた時は、屋根のドームすべてが白く塗られていて、このダルガーが今日もなお重要な崇敬の場となっていることをつよく印象付けられた。
 このシャー・アーラムの墓の西南西にこの墓と向かい合う格好で残っているのがサイイド・マクブール・アーラム
Saiyid Makhdum 'Alam の墓で、その規模も形態構造も、さきの聖者の墓廟と ほぼ同じである。墓の主人公であるの人物は、シャー・アーラムの六番目の孫に当たるといわれている。この墓建築もまた、東に向けての突出した入口の部分を備えており、屋根の上の24個の小ドームがとくに目立って見える建造物である。ただ、シャー・アーラムの墓とはちがってドームの部分も白く塗られてはいなかったのが、逆に印象に残った。この墓建築も内部は墓石で埋められた感があったが、とくに印象に残ったのはその四角の建造物の壁面を埋め尽くした感があるジャーリー・スクリーンの文様で、一つとして同じ文様を作り出していないその多様さにはいささか驚かれた。
 この墓建築の北方、シャー・アーラムの墓の西北西に立っているモスクはやや後代の造営ではあるが、端正な印象を与える造りで本廟との間の池をも備える広場に面してなかなかの風格を備えていた。とくに、特異な彫刻と文様とを持つスクインチを備えたその礼拝室の内部や、簡素な感じの円形アーチを作り出しているミフラーブなどもユニークな雰囲気をかもし出していていた。このモスクは、ラジャン氏によれば17世紀初期にナジャーバト・ハーン
Najabat Khan なるものによって創建され、1620年にサーイフ・ハーン Saif Khan なるものによって完工されたとされているが、その両端に設けられた高く細いミーナールの表面の文様彫刻は私にはかなり目立った特異なもののように思われた。(荒松雄)

 

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