イスラーム地域研究5班
研究会報告

b グループ第5回研究会報告

(東京外国語大学AA研共同研究プロジェクト・「イスラーム圏における国際関係の歴史的展開−オスマン帝国を中心に−」1999年度第2回研究会)

日時:7月10日(土)14:00−16:00
場所:東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所・大会議室

 本年度第2回目の研究会は、AA研共同研究員15名を含む31名の参加を得て開催された。 堀川徹「16世紀中央アジアの巡礼とオスマン帝国」は、まず最初に巡礼を宗教システムの中に組み込まれた「旅」と位置づけ、オスマン帝国にとっては社会内部の統合手段でありスルタンによる支配の正統性を示すものである、との議論の前提を示した。そのうえで、オスマン帝国内部の巡礼ルートと外部からの巡礼ルートとが概観され、後者の議論において、その時々の国際関係が影響を及ぼしている点が指摘された。さらに15世紀から16世紀にかけて生きたスーフィー教団のシャイフであったフサイン・ホレズミーの、サマルカンドからメッカへの長距離におよぶ巡礼の具体的なルートが明らかにされた。彼に同伴した巡礼団は300人にものぼる大規模なものであった。こうした巡礼団が各地でいかなる保護や便宜を受けていたかについても具体的な説明がなされた。そのうえで、ロシアとイランという、オスマン帝国と度々交戦した国家を越えて移動していた巡礼団が、オスマン帝国から特別な待遇を受け、あるときは使者の役割すらになっていたこと、そしてオスマン帝国領域を超えて広がるスーフィー教団のネットワークの形成にも資していたことが指摘された。報告の後、巡礼者からの情報聴取についてや、巡礼者に同行する商人たちの活動などについて議論があった。

 松井真子「オスマン帝国と『自由貿易』−19世紀前半における関税政策の検討」は、1830年代から60年代にかけてオスマン帝国から極東の日本にまでおよんだ、イギリスを中心とした自由貿易網の拡大過程を対象として、そこでオスマン帝国の市場開放の意味を問う、との問題意識をまず提示した。そのうえでオスマン帝国の経済政策を概観し、カピテュラシオンに規定された対外貿易の枠組が説明された。さらに対外関税と国内関税というオスマン帝国の二重関税体制や通行料等の諸税、関税率の変化や関税表の意味について論じ、1827年の内国関税表を具体的に示した。全部で727品目におよぶこの関税表では、個々の商品の価格も明らかになったが、ムスリム商人と非ムスリム商人とで税率がどのように異なるかも具体的に説明がなされた。そのうえで、1838年のオスマン・イギリス通商条約の意味を、自由貿易という概念とともに再検討する必要性が強調された。報告の後、18世紀ヨーロッパの関税制度の形成過程と比較することの有効性、オスマン経済思想家の論策を検討することの必要性などが指摘され、議論がおこなわれた。

(文責・黒木 英充)


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