イスラーム地域研究5班
研究会報告

国際商業史研究会・第7回例会の報告

日時:1999年5月14日(金) 13:30-17:30
場所:東京大学文学部・法文2号館2階・多分野交流演習室

プログラム:
報告事項の伝達と報告者以外の参加者による文献情報提供・回覧ののち、井上光子氏の報告「17-18世紀のデンマーク史におけるズンド(エーアソン)海峡通行税」および高松洋一氏の報告「国際商業に関するオスマン朝の文書・記録史料(16-19世紀初頭を中心に)」がおこなわれ、つづいて活発な質疑応答がおこなわれた。

参加者数:研究会会員16名、IAS登録メンバー8名。

井上報告要旨:
 バルト海と西欧圏を結ぶ回路の貿易ルートは、16世紀以降とくにオランダの商業的繁栄と相まって、国際商業における重要な役割を担ってきた。バルト海貿易の玄関口となるエーアソン(ズンド)海峡は、中世よりデンマーク国王の統治下にあり、1429年以降は海峡を航行する船舶に通行税が課されるようになる。この通行税徴収のためにデンマークでは、あらゆる船舶の航行および積載品に関する記録が残され、特に16世紀後期からは19世紀半ばに通行税が廃止されるまで、毎年分の記録が膨大な史料として伝えられている。1783年までについては、この史料に基づく統計が『ズンド海峡通行税台帳』として刊行されており、ヨーロッパ経済史における貴重なデータとして、すでに様々な研究者による分析の対象となってきた。しかし、この台帳の記載内容には問題点が多々指摘されており、同一船舶の記録が他の関税記録や出航記録などと違っているといったことから、台帳の内容に誤りがあることも明らかにされている。
 本報告は、そうした問題点を含めてズンド海峡通行税台帳の記録をより正確に理解することを目的に、この海峡通行税をめぐる歴史的経緯をはじめ、その税関業務の内容にまで及んで、当時の徴税のあり方をデンマーク近世史のなかで解明しようとする試みの一つである。まず、バルト海貿易をめぐる複雑な利害関係が海峡通行税に与えた影響に着目し、オランダをはじめ経済的主導国らが、海峡通行税に関してどのように優遇されていたかを明らかにした。さらに、ズンド海峡での税関業務がどのような組織形態であったかなど、業務内容の詳細に触れることで、課税額を決定する際の記録の不正確さ、また積載品の検査を受けない船舶が多かった事実など、各種の問題点を指摘した。
高松報告要旨:
 本報告の目的は、16−19世紀初頭のオスマン朝の文書・記録史料の存在状況を紹介しつつ、国際商業史に関する史料としての可能性を探ることである。時期を限定する理由は、15世紀以前の史料の伝存がまれなことと、19世紀半ば以降については一連の改革の結果として史料の存在構造が激変してしまうことによる。文書は特定の差出者の受取者に対する意志伝達手段であっておおむね紙葉の形態をとる一方、記録は会計帳簿ないしは個々の文書の控えであっておおむね冊子の形態をとる。これらオスマン朝の第一次史料は、量は膨大であるものの、圧倒的大部分が公文書であって、私文書の伝存例が極端に少ないことが特徴である。従って伝存する文書・記録のほとんどは中央政府か地方機関が作成、発給、接受したものに限られ、国際商業の担い手である商人たちの通信や、彼らが作成した帳簿の伝存は全く期待できない。現在では、オスマン朝の中央政府が保管していた文書・記録史料はトルコ共和国とブルガリアに、地方機関が保管していた文書・記録史料はオスマン朝の旧領の各地の史料館に所蔵されている。これら公文書のうち国際商業に関するものとしては、オスマン朝の領土での外国商人の活動に触れる史料が散発的に存在しないわけではないが、大多数はオスマン朝の通商政策に関係する史料であり、それにより末端の商業活動の実態を解明することは困難である。また膨大な税関関係の史料も、徴税請負と関税収入の用途に関する記録が大半であるため、国際商業の実態を知るには不適当である。しかしオスマン朝の文書・記録は、国際商業史の史料として全く利用価値がない訳ではない。史料の「モノ」としての側面に注目すれば、オスマン朝の公文書はほとんどがヨーロッパ、特にイタリア製の紙に作成されていることが、料紙の「すかし」から立証される。すかしが紙の生産者側の情報を提供する一方、記載内容からは文書・記録の年代と作成場所の特定が可能である。つまり東地中海域における紙の交易の問題に限れば、オスマン朝の文書・記録の料紙そのものにまさる史料群は存在しないと言えるのである。

(文責・深沢 克己)


戻る