イスラーム地域研究5班
研究会報告

aグループ第11回「中東の都市空間と建築文化」研究会報告

日時 : 2002年2月23日(土)10:30〜12:30
場所 : 東京大学東洋文化研究所・3階大会議室

 2月23日(土)、東京大学東洋文化研究所3階において、美術史家の山田篤美女史によって「タージ・マハル・コンプレクスのプランについての新解 釈及びアフマド・ヤサヴィー廟における終末的シンボリズム」の発表が行われた。以下に発表の要旨を抄録する。

 タージ・マハルの特異性は、庭園の中央部に墓建築を置かず墓建築の両翼にモスクと迎賓室を置くこと、碑文装飾における終末場面の描写と歴史 書に見る楽園の描写が食い違う事にある。

タージ・マハル論争の中で、ビーグリーはタージ・マハルの廟を天国の神の座で、庭園部は天国の庭のレプリカであり、イブン・アル・アラビーの 終末のダイアグラムとの類似性を指摘した。しかしながら、ビーグリーの著述には、楽園思想と終末思想の混同がある。

イブン・アル・アラビーの終末のダイアグラムは、スーフィーにとって終末の日の正統的解釈であるといえる。そこには、神の玉座の下に、神から 向かって右手に天国、左手に地獄が描かれ、そして、中央には終末の日のハウド(泉)が示されている。

トゥルケスタンにティムールによって建立されたアフマド・ヤサヴィー廟は、北側に墓室を置き、その東西に迎賓室とモスクを置く。墓室の南に中 央に水盤を配した大集会室を置き、その西に台所と図書館、東に井戸と集会室を置くプランである。この平面は、イブン・アル・アラビーのダイア グラムと酷似している。ティムール朝時代以前には、スーフィー聖者の壮大な複合建築は見当たらない。中央アジアにおいて強大な権力を得たティ ムールが墓建築を再建するにあたって、モニュメンタリティーを表現するために復活の日における最後の審判の光景をその平面に組み込んだと考え られる。

タージ・マハルを建立したシャー・ジャハーンは、建物の設計に積極的に関与し、ティムールにかなり傾倒していたことが知られる。タージ・マハ ルにおけるモスクと迎賓室の配置、その前に広がる庭園、コーランの終末場面の刻文は、ヤサヴィー廟を介した終末思想の表現として捉えるべきで あろう。


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