イスラーム地域研究5班
研究会報告

aグループ「中東の都市空間と建築文化」特別研究会報告

日時 : 2002年2月21日(木)15:00〜17:00
場所 : 東京大学東洋文化研究所・3階大会議室

 2月21日(木)、東京大学東洋文化研究所3階大会議室において、カザフスタン第一建築アカデミー教授イスカンダール・アジーモフ氏より「中世ウ ズベキスタン建築の単一性と特色」の発表が行われた。中央アジアよりアジーモフ氏他、4名の参加者を迎え、興味深い発表に活発な質疑応答がな された。以下に発表の要旨を抄録する。

イスカンダール・アジーモフ(カザフスタン第一建築アカデミー教授)「中世のウズベキスタン建築の単一性と特色」

現在のウズベキスタンでは、国家の歴史的建造物として3000件を登録している。世俗建造物として住宅、宮殿、キャラヴァン・サライなど、そして 宗教建造物としてモスク、ミナレット、マドラサ、廟等が挙げられる。

紀元前4世紀、アレキサンダー大王の率いるマケドニア軍が襲来した。歴史的文献調査により当時、中央アジアで最も大きな河川であるオクサス河 とタナイス河間には要塞と町邑が広がっていたことがわかっている。また、中央アジアにおいてパルフャーノ(現トルクメニスタン)、グレーコ・ バクトリア(現アフガニスタン)、アラル海地方ではホレズム(現ウズベキスタンの一都市)、パミール・アライ山とチャニ・シャーニ山間はフェルガ ナ(現ウズベキスタンの一都市)等の独立国家が生まれ始めている。

1-3世紀は中央アジアの大部分とアフガニスタン、パキスタン、北インドを含めた一帯をクシャン王国が治めていた。この王国時代、この一帯には 仏教が広まった。

8世紀の初頭、中央アジア地方にアラブ人らがイスラーム教を伝え始める。同時にモスク、ミナレットなどの建設が始まる。この時期ウズベキスタ ン一帯は、アラブ系の文化へ移行し、都市の象徴でもあるオクサス河とタナイス河はアムダリアとシルダリアと改名される。

9世紀末(サーマーン朝時代)、宗教建築には焼き煉瓦が使われていた。着色はなく、煉瓦積による装飾表現が施された。カラハーン朝時代には建 築では、浮彫りが施されたテラコッタとモニュメンタルな刻文による装飾が中心となる。

13世紀にチンギス・ハーンによる襲撃があったことは建築文化に大きな影響を与えている。建築文化の復興は14-15世紀のティムールの時代に起こ る。当時政治的、文化的中心はサマルカンドであった。巨大な宮殿や宗教的複合施設が多く建設された。建築的特徴としては、外壁には絵付けタイ ルとモザイク・タイルが使われ、インテリアは金をあしらった装飾が頻繁に使われた。

16世紀にはシャイバーン一族がティムール一族にかわり、国を治めるようになる。首都はブハラに移された。ティムール一族の時代に比べ、都市建 造のスケールは若干小さいものとなる。しかし、社会的、経済的、文化的な施設建設は進んだ。

18-20世紀初頭まではウズベキスタンはブハラ汗、フェルガナ汗、ホレズム汗の3つの国家に分割され、ウズベキスタン地方を治めるための勢力争い をしていた。建築に関しては汗それぞれが独自のデザインによって建造物をつくっていたが、それぞれの汗国によって用途的な違いは見られない。 主たる建造物として住宅、宮殿と廟、モスクが建設された。3つの汗国は気候的や地形的に大きく異なり、また対立する関係上、お互いの文化や情 報の交流を行なっていなかったため、それぞれが独自の建築文化を開花させた。また我々の調査研究の結果、当時ウズベキスタン地域にはサマルカ ンド、タシュケント、カシカダリンに建築流派があったことがわかった。これらの建築流派は空間構成、装飾デザイン、構造においてそれぞれの特 色があった。我々は現存する歴史的建造物を調査研修し、各学派の特色(特徴や違い)を今後明らかにしていかなければならない。それぞれの流派 の特色が現在も息づいているが、20世紀には建築文化の交流によって影響を与え合う機会も増え、相互作用が生まれている。


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