イスラーム地域研究 5 班
研究会報告

「知識と社会」研究会第 3 回研究会


日時 : 2000 年 1 月 29 日(土)14:30〜17:00
場所 : 東京大学東洋文化研究所・3 階大会議室

 知識と社会研究会では、第 3 回の研究会を 1 月 29 日に開催した。今回の発表は、飯山陽氏による「暴動の真相:シナゴーグは何故破壊されたか?」であった。当日は年度末もせまる忙しい時期であったにも関わらずイスラーム史、イスラーム学のみならず、西洋史、インド史、教育学、人類学など様々な関心を持つ多くの方々の参加をえることができ、会は盛況であった。
 飯山氏の発表は、15 世紀末にマグリブはトゥアート地方で起こったシナゴーグ破壊事件を材料とする。この事件はこれまで一般にこの時代にマグリブ社会で強まった宗教的不寛容性の象徴として扱われてきた。飯山発表はこの事件に関連して発行されたファトワー、および事件を取り巻く政治的、経済的、社会的諸要因の検討を通じてこの定説に異議を申し立てるものである。
 シナゴーグ破壊事件はマギーリーという、もともとズィンミーに対して強硬な見解をもっていた遍歴のアジテーターの扇動によって引き起こされた。それに反対する当地のカーディー、アスヌーニーとの論争の過程で、マグリブ各地の学者達にファトワーが求められていった。諸ファトワーに含まれる論点は多様であるが、飯山氏はその中から特にズィンマの問題とマスラハ(公益)の問題を採りあげ、法学者達の議論をその学説史的背景を含めて説明した。なかでも、マスラハに関する議論において、法学者達が紛争(あるいは内乱? fitna )を避けることを重視したとの指摘は、しばしば述べられてきたこととはいえ、重要であろう。ところでファトワーを発行した学者達の構成をみると、破壊反対派の方が地位も声望も高い学者達によって構成されていたことがわかる。また、史料中の断片的な記述からは、暴動が必ずしも住民の総意にもとづいて起こったものではないことが判明する。しかし暴動は実際に起こった。そこで飯山氏は当時のトゥアート地方の状況を様々な側面から照射する。
 まず政治的側面からはトゥーアトがモロッコの王権の直接およばないいわゆる Bledal-Siba に属したことが指摘された。王朝権力との相互依存の関係を築きえたフェスなど大都市のユダヤ教徒とちがって、トゥアートでは、彼らは有力ムスリムとの個人的パトロネージに依存するしかなかったという。また、経済的側面からは、ポルトガルの進出などによりサハラ越えの南北交易が衰え、河川を使った東西方向での物資の移動が主流になったことが事件の大きな背景として述べられた。サハラ越えの交易に依存していたトゥアートでは経済の収縮が起こっていたという。最後に社会的側面からは、そのような経済収縮の中でもいぜん根強く残っていたと考えられるユダヤ教徒を裕福な商人であるとステレオタイプ的に考えるトゥアート住民の意識が指摘された。また、マギーリーは暴動を扇動するに際して賞金を出したことが知られているが、そのような賞金を出す者や、賞金をもらえれば殺人をもいとわないような者が存在したことも指摘された。
 以上のような検討にもとづき、飯山氏はこの事件が、決して時代の空気としての宗教的不寛容で説明できるような性質のものではなく、地域社会内の多様な因果関係のなかで生じたものであるとした。また、ファトワーが基本的には法的意見にすぎないことを確認しつつも、しかし社会状況によってはそれが大きな力を持つこともあった、とファトワーの社会における位相を表現した。さらに法学者達の議論のありように関しては、マギーリーに反対した学者達の見解を重視し、彼らが社会の安寧を優先していたことを指摘した。また、このような暴動が起こってもまだズィンミーがイスラーム世界に存在し続ける理由にも言及し、それは「隣人としての身近な感覚」というような次元から考察されなければならない問題であるとの見解を述べた。
 このような飯山氏の議論に対し、参加者からは、個々の反ユダヤ暴動に固有の因果関係があるのはもちろんだろうが、しかしスペインや南米までもまきこんだこの時代の反ユダヤ的動静との関連は検討しないでいいのか、という意見が出たが、飯山氏はマグリブでは同時代的に他にも目立った反ユダヤ暴動が多発したわけではないことやキリスト教世界における反セム主義とイスラーム世界における反ユダヤ的運動の質的差異などを挙げ、反論した。また、ファトワーは単なる意見であるという飯山氏の発言に、しかしそこに込められた「権威」を重視せねばならないのではないかといったコメントも寄せられた。私としては、トゥアートで暴動に関わっていた当事者達が、賞金も配布しその他の様々な条件をも整えいつでも行動を起こせる立場にあったようにみえるのに、なぜファトワーを求めねばならなかったのか、ファトワーを求めた側の心性などについても質問したかったが、果たせなかった。今回の研究会では、初回に続きファトワーを用いた研究の醍醐味、そしてその難しさもが示されたといえよう。

(文責:森本 一夫)


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