イスラーム地域研究5班
「地域間交流史の諸相」第 2 回研究会報告
- 日 時 : 2000 年 1 月 8 日(土)14:00-18:00
- 場 所 : 東京大学東洋文化研究所・3 階第 1 会議室
- 参加者数 : 39 名
研究発表
「17世紀のハドラマウト情勢−ザイド派イマームのハドラマウト遠征を中心に−」栗山保之(日本学術振興会特別研究員)
(1) はじめに
- 発表の目的:
17 世紀中葉に生じたザイド派イマームのハドラマウト遠征を取り上げ、当時のハドラマウトと南アラビア地域の政治情勢を検討すること。あわせて、ハドラマウトの港町にも言及すること。
(2) ハドラマウト遠征の原因と経緯
- 1660 年、ハドラマウト・シフル・ズファールの支配家系カシーリー家の内紛に呼応して、サナアのザイド派イマームが軍を派遣。
- 1669 年、ズファールで叛乱発生。ザイド派イマーム軍の撤退。ハドラマウトにおけるイマームの権威縮小。
(3) シフルについて
- 現在は、急峻な山岳を背後にもつ小さな漁港。
- インド洋航路上の寄港地、積み荷の積み替え地。12-13 世紀から興隆。
- 特産物:竜涎香、乳香、没薬など。
- 17 世紀には、300 人のインド人商人(バーニヤーン)コミュニティーが存在。
- エチオピア出身の奴隷、ダームートの存在。
- ハドラマウトの奥地、タリームと関係を持つ学者、ウラマー、聖者たちの出入り口。
(4) 遠征の真相と南アラビア諸勢力の変容と展開
- 遠征の原因:ザイド派イマーム政権の性格の変化:「内」へ集中する方向から「外」へ拡大する方向へ。
- その理由:1636年、オスマン帝国勢力が南アラビア方面から撤退したこと。
- その結果:
-
1) ザイド派イマーム政権の支配領域が伸張し、アデン、モカなどの重要な港町を掌握。
- 2) 関税収入が増加し、軍隊の維持が容易になる。
- 3) インド洋交易ネットワークへの参入に伴い、周辺諸国家との交流活発となる。
(5) むすびにかえて
<まとめ>
- ザイド派イマーム政権の変容に伴う地域間交流や周辺諸国家との関係拡大。
- 国際交易港シフルの重要性。
<今後の展望>
- 16 世紀におけるザイド派イマーム政権の性格の研究。
- 16-17 世紀のインド洋海域世界における地域間交流の実態を追求。
- シフルにおけるカシーリー家支配の具体像の研究。
[主な質疑]
「聖者」という言葉の意味、インド人商人の活動の実態、シフルの具体的な港湾施設
「近世フランス港湾都市における商人社会の編成−地域間結合と国際ネットワーク−」深沢克己(東京大学人文社会系研究科)
レジュメを別に PDF ファイルと画像(地図資料)で示す。
レジュメ「Pf_fukazawa.pdf」
地図 1
地図 2
地図 3
※PDFファイルを開くには、"Adobe Acrobat Reader" をインストールする必要があります。
(右のボタンをクリックすると、無料ダウンロードのページにとびます。)
[主な質疑]
港町に見られる濃厚な宗教性、外国人コロニーの実態、外国へ出かけたフランス人商
人の活動、地域による偏差(例えば教育)、商人ネットワークの求心性と遠心性、商
業資本主義の世界的普遍性/地域的特殊性、国家と商人の関係
(文責:羽田 正)
戻る