日時 6月26日(土) 12:30-17:30
場所 東京大学東洋文化研究所3階大会議室
報告は、1時間程度、その後30分の質疑を行います。
*事前に参加の申し込みをいただいた方には、報告要旨(参考文献リスト付)をお送り致します。これは、当日の質疑や討論を活発にするために、多少なりとも頭と体の準備をしたうえで、報告に臨もうという趣旨のものです。申し込みは、6月10日までにe-mailで5班事務局5jimu@ioc.u-tokyo.ac.jpにご連絡ください。もちろん、当日の飛び入り参加も歓迎いたします。
*当日は、休日のため通常は入口が閉まっています。11:50より12:30の間は、正面入口を開けておきますので、できるだけこの時間帯に入館くださるようにお願いいたします。遅れてお出でになる方は、正面入口右側にある内線電話を使って、会場(内:85889)または5班事務局(内:25883)と連絡をお取り下されば、ドアをお開けいたします。
「比較史の可能性」研究グループは、「対象地域による現象の異同を発見し、地域の独自性を強調する」というレヴェルに止まる傾向のあった従来の比較論のあり方から一歩進んで、「諸現象の異同の由来を、より原理的レヴェル(文化・社会秩序)で考察することによって、新たな分析概念やモデルの発見をめざす」ことを目標としている。「原理的レヴェルの考察」とは何だろうか。それは必ずしも、ある文化圏に固有の「原理」が存在することを前提としつつ、すべてをその「原理」に帰着させて説明しようとするものではない。
各地域に見られる様々な事象を、単に現象的に列挙したり、または外在的な指標を以て性格づけして事足れりとするのではなく、その文化圏独特の文脈のなかに位置づけ、生成的・整合的にとらえようとすることーーそれぞれの文化圏独自の論理的脈絡を重視するこのような方向性は、研究者のもつ自文化中心的な枠組みの相対化に、大きく寄与してきたことは確かである。しかしそうした方向性への固着が、「文化圏」の枠の実体化や各文化圏における意味の体系の完結性・整合性の過大評価など、いわば「文化相対主義の絶対化」とでもいうべき新たな問題点を生み出しているのではないかという危惧も、当然ありうるだろう。
本研究会では、世界史上の様々な地域において生成してきた意味の体系と、その相互接触を通じての歴史的変容過程とを、「およそ人間の作りなす秩序とはどのようなものであり得るのか」という開かれた関心のもとで、再度普遍的な場のなかに位置づけなおしてゆくことを目指したい。これは、足場の不安定さを自覚しながら建物を建ててゆくような、一種危なっかしい模索の感覚を伴う作業であるように思われる。例えば、「国家」「法」「人間」など、社会にかかわる諸々の基本概念の一つとして、「所有」という概念を取り上げてみよう。我々が様々な文化圏における「所有」のあり方を比較しようとする場合、比較の枠組みを定める「所有」という言葉そのものが、他の文化圏において正しい対応物をもつという保証はない。「所有」自体は自明に普遍的なものであり、ただそのあり方に様々な個性があるだけだ、といった素朴な確信を前提に話しを進めるわけにはいかない。それにもかかわらず、異なる文化圏を通じて、たとえば「所有」などの語で近似的に括れる共通の何物かがあると私たちは感じている。というより、そうした共通性を媒介とする「翻訳」「通約」の作業なしには我々は他文化に接近することすらできないのだと思われる。そして実際、様々な地域の人々は、そうした近似的翻訳(その翻訳は「誤って」いたかもしれないが)を行いながら、自らの社会を再解釈し、変容させてきたのである。
その事実を認めるならば、我々の「所有」概念を他文化に直接当てはめることはできないという、正当な、しかしネガティヴな議論にとどまらず、次のような形で問題を立ててみることができるのではないか。我々が「所有」という語で表現したい、あるいは比較したいとおもっているものは何なのだろうか。それを、どのような言葉で表現したら最もフェアな対話の場に乗りやすいのか。我々が「所有」という語で多くの人間社会に共通するある課題を指示しようとしているなら、その課題に答えうる「所有」の可能的なかたちは、論理的にどのような広がりをもって存在するのだろうか。歴史上の様々な具体的「所有」観念は、その広がりのなかで、どのようなズレを持ちつつ分布しているのか、等々。
こうした関心は、それぞれの「所有」のあり方がその上に配置されるところの一種の普遍的な座標軸を想定している。むろん、私たちが特定の言語を使って論じているという一事から見ても、完全にフェアな座標軸を設定しうるという考えは幻想であろう。しかし、私たちが他文化に些かでも接近するということ自体、そのような共通の座標軸を仲立ちにすることなしにはあり得ないのではなかろうか。とするならむしろ、積極的にその座標軸の自覚化と洗練を目指すべきであると思われるのである。冒頭に述べた「原理的なレヴェル」とは、比較の可能性を可能な限り原理的に考えてみようという、こうしたアプローチの原理性を指している。
比較史グループ研究会幹事
三浦 徹(お茶の水女子大学、イスラーム史)、岸本 美緒(東京大学、中国史)、関本 照夫(東京大学、東南アジア社会人類学)
*本研究会についての質問やご意見があれば、下記にお寄せください。
連絡先 三浦 徹
Tel&Fax 045-337-0450
E-mail: miura-t@pis.bekkoame.ne.jp