イスラーム地域研究5班
研究会案内

c グループ「比較史の可能性」第 4 回研究会のご案内


 2 年度目の「比較史の可能性」研究会は、引き続き「所有・契約・市場」のテーマを、角度を変えながら掘り下げていく形でいくつかの企画を考えております。
(幹事による「99 年度のまとめと展望」をホームページに掲載しましたので、あわせてご覧ください
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~5jimu/reports/000303-j.html」)

 2 年度目の初回の研究会(通算第 4 回)「市場の関係論的秩序」を下記の趣旨と要領で開催いたします。ご参加予定の方は、6 月 7 日(水)までに事務局(5jimu@ioc.u-tokyo.ac.jp または Tel.&Fax.(03)3815-9565 )宛にお申し込みをいただければ、各報告者の報告要旨(参考文献付)を事前にご送付いたします。もちろん、当日の飛び入りも歓迎です。衆議院総選挙と重なる気配がありますが、研究会は予定どおり決行いたします。

日時 : 2000 年 6 月 25 日(日) 12:30-18:00 
場所 : 東京大学東洋文化研究所・3 階大会議室

プログラム :
12:30-14:00
 原洋之介(東京大学東洋文化研究所、アジア経済論)
 「市場秩序に関する経済学の問題点」

14:15-15:45
 桜井英治(北海道大学文学部、日本中世史)
 「室町幕府財政の発想:贈与・市場との関係」

16:00-17:30
 坂井信三(南山大学文学部、西アフリカ社会人類学)
 「西スーダンの市場(いちば):交易と政治権力の構造」

17:30-18:00
 総合討論

※研究会の後、簡単な懇親会を予定しております。
※当日は、研究所入口の自動ドアが閉まっている場合がありますので、その際は掲示にご注意下さい。

 昨年度の比較史研究会(1-3 回)の「活動の記録」(趣意書、報告要旨、報告資料、質疑・討論、観戦記、幹事のまとめ)を冊子にまとめました。研究会の当日、ご希望の方にお配りいたします。

<趣意書>
 昨年度は、「所有」「契約」「市場」をそれぞれテーマとして 3 回の研究会をもち、中東イスラーム世界、中国、東南アジアの研究者からご報告をいただいた。今年度の最初の研究会は、昨年度の 3 つのテーマの接点となる問題をとりあげることによって、本研究会の目的である「原理的比較」の掘り下げを図りたい。報告の対象地域も、上述 3 地域の比較という枠にとらわれず、日本やアフリカからも討ち入っていただくこととした。

 昨年度の 3 テーマはいずれも、「経済」「法」「社会」の諸分野の枠を越えて相互乗り入れしつつ、人々の作りなす秩序のかたちを考えてみる、という意図をもって企画された。そこでは、人々の行為と社会的制度との相互形成ともいうべき状況が、往々にして注目された。例えば、人と人とが取引契約を行う場合、それは何らの社会的な前提なき抽象的な人間同士の合意なのではない。契約の前提となる所有の観念や、契約破りへの制裁を支える社会的結合なしには、その契約は契約として機能しないであろう。即ち、合意に基づく契約が実現されるためには、それを支える規範意識や社会制度が先行条件として必須であるともいえる。しかし一方、その社会制度や規範意識がどのように形成されたのかを問うとき、生身の人間の交渉や合意の過程をぬきに、そうした制度や法が突然天から降ってきたわけでもないのである。人々の行為とそれを方向づける規範・秩序とは、論理的にも歴史的にも、どちらが先行するというのでもなく、混沌とからみあっている。
 そうした観点から、今回は「市場の関係論的秩序」をテーマとして設定してみた。その含意は、大略次のごとくである。「市場」という言葉は、具体的なイチバをさす場合もあり、またイチバを結節点に取引される商品やサービスの需要供給の範囲を示す場合もあるが、いずれにせよ、人々が私益を追求しながらかつ一定の秩序がそこに形成されているという、興味深い秩序のモデルを提供してきた。この「市場秩序」のモデルは、経済学的な抽象的・論理的かつ普遍的なモデルとして構想される場合もあれば、歴史個性的な法や慣習に支えら得た個別具体的な類型として提示される場合もあったといえよう。本研究会でめざしたいのは、いわばその両者の「間」のアプローチである。市場の秩序を抽象的な論理として考える場合には、歴史的な市場秩序のあり方の多様性が視野から落ちてしまうし、一方、個々の市場秩序のあり方の歴史的・文化的独自性を強調しすぎると、なにゆえに人々はそうした秩序を形成したのか、という問いが往々にしてぬけおちてしまう。いずれにせよ、比較史的な対話にむけての契機がつみとられてしまうように思われるのだ。本研究会の趣旨は、抽象的な論理や市場秩序の類型についての出来上がったモデルをいったん脱ぎ捨てて、相互に交渉するさまざまなアクターの行動を観察し、解読するなかから、市場の秩序を生成的に眺めてみようとするところにある。普遍主義にも硬い類型論にも陥らない一種の手探り感、不透明感をともに味わいたい。

 たとえば具体的には、従来の研究でさまざまに扱われてきた次のような論点をめぐって議論が可能であろう。

  1. 経済活動の「合理性」
     ホモ・エコノミクス的な個人像を前提として歴史上の市場を論ずることの限界は、すでに多く指摘されている。しかし、我々が人々の行動を「説明」しようとする際、そこには何らかの「合理性(理解可能性という意味での)」が存在しているはずである。それは何なのか。我々はどのような意味で「方法的個人主義」者であるべきなのかあるいはないのか。

  2. 市場を動かす「仕組み」
     市場秩序の維持(人々が交渉する際の不確定性・複雑性の縮減)や市場の効率性の増大(取引費用の節約)は、どのような仕組みによって行われているのか。それらを比較する際に、どのような座標軸が可能か。例えば、法的ー人的、公的ー私的、集中ー分散、など。具体的な問題としては、契約保証人・仲介業者・請負業者。情報・保険・所有権保護・制裁。貨幣と信用。価格決定のあり方(中央市場と個別的値切り交渉)等など。

  3. 市場を支える「権力」
     私益を求める個々の市場参与者と区別される「公」の観念とその体現者は、どのようなものか。やくざのショバ代と公的商業税はどのように区別されるのか。国家は市場に対し、どのように関わるのか、あるいは関わるべきだと考えられているのか(専売、市場監督官など)。市場に対する統制のあり方(「適正価格」「取引の自由」など)。商人団体など中間団体の存在形態と機能。

  4. 市場秩序のモデル化
     市場秩序に対しては、従来から、モラルエコノミーとポリティカルエコノミー、公的・団体的秩序と私的・自生的ネットワーク、といった形の対比的モデル化が行われてきた。これらモデルの意義と問題点。なぜある場合にはこうした型の市場ができ、他の場合には別の型の市場ができるのか、整合的な説明は可能か。特定の市場像を特権化することなく、歴史上の個性ある市場秩序のあり方を位置づけ得るような共通の座標軸は可能か。
 以上、私の個人的な関心にひきつけて、はなはだ未整理かつ雑駁に述べてきた。むろん、本研究会の目的は、こうした未熟な「趣意」を乗り越えて、さまざまな地域・分野からの意表をつく斬り込みにより活発な争論を行っていただくところにある。「趣意書」の方向性や枠組にとらわれず、日ごろのご関心を披瀝し、討論を盛り上げてくださるよう、報告者・参加者の皆様にお願いする次第である。

(岸本 美緒)


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