イスラーム地域研究5班
回顧 <Beyond the Border>

Session2-5: Human Mobility Beyond the Borders Establish by Powers

川端直子


 今回の京都国際会議で印象に残った言葉は、会議最後に行われた全体討論時の「見える境界線 (Visible Border) 」は簡単に越えられるが、「見えない境界線(Invisible Border) は越えるのが難しい」というものと、「1つの境界線を越えると、また新しい境界線が生まれる」というものだった。
 ここでは、上の2点から各発表を報告したいと思う。どのような「境界線」を越え、何が越えられなかったのか、また新しくどんな「境界線」が生まれたのか、この問題は、イスラム世界だけではなく、全人類に関わる問題であり、かつ国際化が著しい速度で進む現在、無視することのできない大きな問題であると思う。

1. OISHI Takashi
Friction and Rivalry over the Pious Mobility: British Colonial Management of the Hajj and Its Reaction Among Indian Muslims, 1870 to 1920

 大石氏の発表は、巡礼の社会経済的利益をめぐる争いを、18世紀末から19世紀初頭のイギリス植民地下のインドに焦点をあてて考察しているものである。
 18世紀末、イギリスの植民政策のもと、航海事業はイギリスの航海会社に牛耳られていた。技術的にも、資本の大きさでも、インド・ムスリム商人は太刀打ちできず、その上、イギリスは自国の航海会社に有利になるような政策を採用していた。
 しかし、一時期、ムスリム商人は戦略によって航海事業でイギリスに勝ることができた。
 それは、巡礼路―イスラムをベースに―を意図的に作り上げたからであった。イギリスの目を避けるために、ペルシア湾のジッダ経由で行ったり、また、インドのムスリムに対しての権威を強めたいとの目的でオスマン朝スルタンが大型船を与えたこともあった。
 イギリスの越えられない「境界線」、それがイスラムであったと言えよう。インドという国の中は支配できても、国境を越えて、最もイスラム的なハッジを支配することは難しかったのである。

2. Dale EICKELMAN
Blurred Boundaries: Travel, New Media and the Emerging Public Sphere in Contemporariy Muslim Societies

 EICKELMAN氏は、現代ムスリムと社会のパブリック・スフィアの広がりを、教育、メディアとの関係で論じた。「ビデオ、ラジオ、カセットテープ、衛星放送、インターネットなどのメディアを通じて、空間的なつながりのない集団が新しく生まれた。そして、その集団は宗教・民族・言語といったもので結びついている。」

 EICKELMAN氏の論を簡単にまとめると、メディアの普及により、情報により早く、簡単に接触することができるようになった。そして、こういったメディアを通じて、宗教や政治の論争が、今まで以上に広いパブリック・スフィアで多くの人を交えて、論じられるようになった。そして、こういったメディアを通じてのパブリック・スフィアを、国家権力や公的機関は規制することはできないのである。(例えば、サウジアラビアでは、FAXを使っての政府批判が急速に広がっているが、FAXの使用を制限すると、経済に大きなダメージを与えることになる。)また、ここでいうパブリックとは、単なる大衆ではなく、お互いの関係が「参加」によって成り立っている。多くの人が、宗教についての論議に参加することで、意見の多様化がもたらされ、また国境を越えてのコミュニケーションの形成に伴い、下からのグローバリゼーションもなされた。このように新しいメディアと教育(特に高等教育)の普及も相まって、イスラムについての考え方・行動・コミュニティの世論というものが多様化した。
 インターネットのようなメディアは、最も「見える境界線」の関係しない世界である。そして、この新しく生まれた公的なコミュニケイションの場では、宗教が大きな役割を担っている。この中での関係は「見えない」もの(宗教・言葉・民族)だけが結束の要因である。各国の政府といった「見える境界線」内での「見える」権力よりも、結束力があり、人々の生活に影響を与えていくのであろう。思想、経済、政治、救援活動・・・・。これからの国際政治は、こういったメディアによる人的つながり、思考の流れをくみ取り、政策決定に反映させていかなければならないだろう。

 今まで、大石氏とEICKELMAN氏の発表から、「国境(Visible Border)を越えて、そこに残るイスラムという宗教という結びつき」を見てきたが、次に国境を越えての旅行者が、「見えない境界線」をどう捉えていたかという点について、ROUSSILLON氏の発表を見てみようと思う。

3. Alain ROUSSILLON
Remaining Oneself Beyond the Borders: Identity and Travel in the Colonial and Post-Colonial Division of the World

 ROUSSILLON氏による、6冊の旅行記を使っての植民地やその本国に旅行した人々のアイデンティティに関する研究は、私にとって非常に興味深いものであった。ここでは特に、エジプト人Louis Awadとモロッコ人Abdelmajid Benjellounの旅行記について触れたいと思う。
 エジプト人Louis Awadは、上エジプト出身者で、第2次世界大戦前に、ケンブリッジ大学で奨学金を得て、植民地支配とナショナリズムの勃興の時代を生きた人物である。パリやジェノバにも行っており、政治思想の上でフランス革命の影響を強く受けた。彼は、ヨーロッパを旅していくうちに、自分のことをエジプトにいても、フランスやイギリスにいても、同じように感じるようになっていく。それは「マルセイユの人々とアレクサンドリアの人々」を一括りにする言葉からも窺える。
 モロッコ人Abdelmajid Benjelloun は、世界大戦中、幼少期をイギリスで過ごしたが、父親がマンチェスターで事業に失敗し、十代をモロッコで過ごした。彼はモロッコにいながら、自分のアイデンティティ確立に大変苦労した人物である。ムスリムとしての祈りをするように父親に言われても、素直にできなくなってしまう。しかし、後に彼はモロッコ人として、ナショナリズムに文学という形で荷担していくことになる。
 この二人は国というアイデンティティをめぐって対照的である。国境という「見える境界線」は簡単に越えることができるが、国民性という形で、各自の中でしっかり内面化されているものなのであろう。(今回は植民地といった特殊な環境下での、アイデンティティだが。)そして、その国境をめぐって現在でも多くの国が紛争を繰り返している。

最後に
 国家権力などの様々な権力を越えての人間の移動を可能にしたものは何だったのか。そして、その人間の移動によってどのような影響がもたらされたのだろうか。 権力によって作られた境界線を越えての人間の移動 (Human Mobility Beyond theBorders Establish by Powers)という本サブセッションの主題を軸に、簡単なコメントを付し、結びとしたいと思う。
 イスラム世界は、18世紀から周縁をヨーロッパ諸国に徐々に侵略され、19世紀に経済的政治的圧迫をさらに受け、帝国主義による植民地支配や世界分割にさらされることになった。その中にあり、イギリスの植民地インドで、一時的であってもインド・ムスリムによる巡礼が経済的にイギリスに勝ったのは、異教徒権力を越えたムスリムというネットワークを駆使したからであった。
 第一次世界大戦までに例外なくヨーロッパ諸国の圧迫にさらされるようになったアフリカでは、世俗主義やモダニズムに感化された新しい思想潮流が生まれるが、それとともに、正統イスラムの伝統的教学を重視する思想も同時に存在した。そのような異なる思想体系の存在は、ヨーロッパを旅行したムスリム個人の中にも見受けられ、そのアイデンティティ確立に悩む姿は想像に難くない。そして、その中から生まれた民族意識が各国の独立を導き、現在の国民国家が様々な問題を抱えながらも誕生した。
 15世紀末に始まる大航海時代の人間の移動が、主に西洋と東洋の物質・技術的接触の時代であったとするならば、18・19世紀の人間の移動は、西洋と東洋の思想的接触の時代であったと言えるかもしれない。
 そして、現在。距離に制約されない、即時性のある、女性やマイノリティも参加できるメディアの登場により、国家を越えての人的交流が思想的に新しい動きを生み、政治(国家権力)にも影響を与えている。 
ムスリム社会での地域を越えた結びつきは、イスラムという共通項をもとに以前から、存在した。それは、イスラムが狭義のいわゆる宗教の範疇を越えて、社会のあらゆる面について守るべき規定を定めているからであることは、今さら言うまでもない。
 これから、さらに様々なメデイアが普及し、国際政治もその重大さを増し、人の移動、情報の移動がますます盛んになることが予想されるが、その際、いかにお互いの文化を尊重し、民族・宗教といった「見えない境界線」を乗り越えていくかが、鍵となるであろう。


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