イスラーム地域研究5班
回顧 <Beyond the Border>

Session 2-4: Human Mobility and Political Process

内田あかね


はじめに
 サブセッション"Human Mobility and Political Process"は、今回の国際会議に設けられた3つの大きなセッションのうち、"The Influence of Human Mobility"の1部を構成するものとして開かれ、3人の研究発表が行われた。いずれの発表も近現代をテーマに選んでおり、その内容は現実社会との深い結びつきを持つ。実際の生活に強く影響し、日本の新聞記事にも取り上げられることのあるそれらのテーマは、話題性に富み、発表の後には質疑応答が盛んに行われた。発表者は、発表の順に、Mohammed Boudoudou氏、栗田禎子氏、Nilufer Naruli氏である。それぞれ、北アフリカ、スーダン、トルコを中心に扱いながら、大戦後の植民地化や都市化などによってもたらされた人々の移動について、また、人々の移動と政治との関連などについて述べた。しかし、各自の具体的なテーマの違いを越えて、3氏の発表には、共通点もみてとれたように思う。その1つとして、移動する人々とアイデンティティーの問題があげられるだろう。今まで自分のよりどころとしてきた文化から離れ、所属感を抱けるようなものを見いだせなくなって、人々は、自分が何者であるか、アイデンティティーが何であるかということを問わざるを得なくなった。そのことが、人々の移動を生み、或いは移動した人々に多大な影響を及ぼしたのである。アイデンティティー─自己同一性、自己確認などといわれることもあるが─という言葉が使われるようになって久しいが、アイデンティティーとそれをめぐる葛藤は、人々の移動が激しい現代においては、異なる文化的背景を持つ人どうしがいかに共存していくかなどといった点において、より大きな重要性をもって扱われるようになってくるであろう。


 Boudoudou氏の発表は、北アフリカにおける植民地化と、それに伴う国内外での人々の移動を論じたもので、人々の移動のあり方を、世界経済や国際化が急速に拡大されていった近現代という時代において考察する上で、大きな意義を持つと思われる。氏は、植民地化が北アフリカ社会にもたらした非常に大きな変化を、"Great Transformation"という言葉を利用して表現する。氏によれば、植民地化は、"Nation-State-Economy-Society"の状態を基盤とする国際経済や国際化を広めていったのであり、北アフリカもその例外ではなかった。その一方で、このような社会変化の影響を受け、アイデンティティーを見失う人々が現れた。すなわち、北アフリカでは、植民地化によって数千人の農民が土地を奪われた。土地は、農民にとって、経済的な支えのみならず精神的な側面を含めて生活の全ての基盤となるものであったから、これらの農民はそれまでの生活のあり方や生き方から全く切り離され、新しく導入された社会システムの中で身の置き所を失った。このため、農民は、自らの土地があった地方を離れ、国際労働市場へと流出していったのである。このような移動は、農民と土地が結びついていた植民地化以前の社会システムを、完全に崩壊させる結果となった。移動の様子は、3つの段階に分けることができる。第1段階は、第一次世界大戦に始まる時期で、農民は、植民地宗主国軍の兵士になり、地方から都市へ向かった。そうすることで、兵というアイデンティティーが得られたからである。第2段階は、第二次世界大戦からの時期で、ヨーロッパ諸国への出稼ぎが始まった。しかし、それはあくまで出稼ぎであり、移動先のヨーロッパ各国で、国民として扱われることはなかった。やがて、第3段階として、家族ぐるみでの移動が起き、これらの人々の受け入れの仕方、また、もともとの住人との関係が、各国で問題となってくるのである。造語を多く利用するために分かりにくい点もあるが、氏はこのようにして植民地化への対応としての移動を論じ、また、移民問題の1つの原因を考察する。ある出来事への対応として移動が行われるのは、特別なことではないが、ここで論じられているような、以前からの社会の仕組みと新しい社会の仕組みとの狭間にあって起きた人々の移動は、世界経済のような新しい社会システムが全世界的規模でしかも急速に広がりをみせた近現代において、1つの特徴的な移動のあり方といえるのではないだろうか。近現代または植民地化以降の人間の移動については、前近代の移動のあり方と何らかの違いがあるのではないかということが、最終日の総合討論でも指摘されている。
 続く栗田禎子氏の発表は、移動によってもとは属していなかった社会に入った人々が、政治的にどのような役割を果たしたかということを、スーダンの場合を中心にして述べるものであった。その論によると、人々の移動に伴う政治思想の伝達が、他の地域の政治に変化をもたらしていくと同時に、移動することによって、人々は自らのアイデンティティーに変革をきたし、そのことが政治状況に強く影響する場合があるという。氏は、3人の人物を取り上げて、このような人々の移動と政治思想の関連を具体的に論じた。その1人が、Felix Dar Furである。この人物は、ナポレオンによるエジプト侵略の際に、奴隷としてスーダンからエジプトに連れてこられたが、後にフランスへ移り、そこで教育を受けた。ハイチ共和国が成立すると、彼は、共和国の理想に惹かれ、また「黒人」としての自覚によって、ハイチへ移住していくが、ハイチ政府の腐敗に落胆しそれを厳しく批判したために処刑される。彼が、幼い頃に既にスーダンを離れていたにも関わらず、「黒人」としての自覚を強く持っていたのは、移動によって元来自分が属していなかった社会に入ることで、アイデンティティーが問い直されていくということを示すものである。2人目の人物は、Duse Muhammad 'Aliで、恐らくエジプト軍のスーダン人を父に持ち、後にイギリスへ移った。彼はそこで、帝国主義を批判し、帝国主義と人種主義の連関を指摘するとともに、汎イスラミズム、汎アフリカニズムの主張を行い、エジプト・ナショナリズムにも関わった。彼の汎アフリカニズムは、アメリカ合衆国で特に大きな影響を持つことになる。3人目の'Ali 'Abd al-Latifも、奴隷取引の結果、もともと住んでいた社会から離れた経験を持つ人物である。彼は、前述の2人とは異なり、主にスーダン内部で活躍した。彼は、イギリスの植民地支配に抵抗する同盟の指導者であり、エジプトとスーダンの団結及びスーダン・ナショナリズムを唱えた。氏の記述に現れるこれら3人の人物に共通するのは、出身地を離れ、もともと属していたものではない社会の中で生活した経験を持つことによって、自分が何者であるかを考えるようになったということにあるだろう。しかし、このようにして顕在化したアイデンティティーが、今ある社会システムの中ではうまく表現できない場合、それは、アイデンティティーを表現できる場として更に新しい社会システムを模索し、革新的な政治思想を生んでいくことにつながったのではないだろうか。この他にも、ハイチ出身であるが、フランスの植民地政策の結果としてナイジェリアへ移住していった人物の例があることが、参加者から指摘された。スーダンの場合、特に興味深く思われるのは、移動の結果としてアイデンティティーを問い直し、革新的思想を持つに至ったこのような人々について、現代のスーダンの人々が研究し、その活動を改めて評価しているということである。現在のスーダンでは、クーデターによってNational Islamic Frontが権力をとって以来、多くのスーダン人が国外で暮らすことを余儀なくされ、また、スーダン内部でも「イスラム」「アラビズム」が人々のアイデンティティーとして強制される状況にあるという。現代のスーダンの人々は、前述の3人のような人々の立場に、自分たちを重ね合わせ、クーデターによってもたらされた新しい社会システムへの対応を模索しているといえるのではないか。この現代スーダン人の動向については、押しつけられたアイデンティティーを受け入れる代わりに、本来の自分たちのアイデンティティーを問い直す動きを示すものであるというコメントがあった。
 一方、Nilufer Naruli氏の発表は、アイデンティティーを探し求める人々に対して、何が受け皿となったかということを考察したものである。氏によれば、20世紀のトルコにみられたイスラミストの活動は、イデオロギーの面からのみ論じるべきものではない。急激な人口増加に対して経済成長が追いつかないと、仕事を手に入れることができない人々が増え、また現行の政治に対する不満も高まってくる。当時のトルコでは、地方から都市へ集まってきた若者が、仕事を得られずまた都市に自分の居場所を見つけられず、不安と不満を強めていた。イスラミストの活動は、もともと、トルコ共和国の成立の後に政治的・経済的基盤を失ったシャイフたちを中心とする地下活動で、小規模商工業者を主な支持基盤としていたが、やがて都市に集まるこれらの若者たちを吸収し、勢力をのばしていったのである。共和国成立の後のイスラムのあり方については、質疑でも取り上げられたが、法的側面では世俗化がはかられたものの、社会の様々な部分でイスラムは強力な影響力を誇示していたのであった。イスラミストは、後に政党を成立させ、アナトリアなどの宗教的保守派勢力や小規模商工業者を支持層に取り込んで、議会からの追放といった経験をしながらも、やがて選挙で大勝して連立政権を組むに至った。この連立政権下で、神学校の地位が引き上げられたことなどに伴い、イスラミスト支持の若者層が、社会においてより幅広く活動できるようになる。この後、軍事クーデターによって軍事政権がたつものの、イスラミストの政党は現在の政治状況に不満をもつ人々に働きかけを続け、中流階級層を含む新しく都市に住むようになった人々からの支持を受けて、再度、連立政権の座につくことに成功するが、軍部や非イスラミスト政権の支持層との対立の中で、間もなく政権は崩壊した。しかし、近年、再びイスラミストを中心とする党が成立し、それまでイスラミストの政党に向けられてきた反民主・反女性のイメージの一掃に努めている。このように、イスラミストの活動は、主に新しく都市に入って不安を抱える人々、政治状況に不満を持つ人々によって支えられてきたのである。以上のような氏の論は、イスラミストの活動を、人々の不安と不満を受けとめてきたものとする点で興味深い。イスラミストの支持層に関しては、ヨーロッパに出稼ぎに行っているトルコ人や、クルド人について、質疑で取り上げられた。支持層の世代交代に関しても取り上げられたが、都市に来たものの居場所を見つけられなかった若者だけでなく、これらの若者たちの子供や孫の世代においても、彼らの親や祖父が移動してくる以前からずっと都市に住み続けている集団との間に対抗関係があり、不安や疎外感は除かれたわけではなかったと考えられる。彼らが都市で教育を受け中流階級に属していた場合でも、このような対抗意識や不安感は発生したであろう。これらの人々は、イスラミストの活動を支持することで、どこかに所属しているという安心感を得ようとしたのではないか。また、トルコだけでなくヨルダンやイランのイスラミストの活動に関する事柄の例をあげ、更なる事例研究を促すコメントがあった。


 このサブセッションの発表に関して、特に興味深く思われるのは、1つには、ある社会システムの中に生活していた人々が、別の新しい社会システムを経験したとき、その新しい社会システムにどのように答え、または働きかけていくかということが論じられた点である。新しいシステムの中で、自分の居場所を見つけるために模索した結果、人々は、移動などの対応によって、以前とは生活のあり方を大幅に変えながらも、少なくとも形の上では新しいシステムに入っていったようである。しかし、自分たちの新しい立場に満足していたかどうかは別問題であった。人々の中には、更に新しい社会システムを求めて改革的な政治思想を唱える者が現れたが、それは、自分で納得のいく立場を求める行動の現れではなかったか。
 このような、新しい社会システムへの対応のあり方は、人々のアイデンティティーと深い関わりを持っているように思われる。大規模なシステムの変革は、第一に、自分が何者であるかということ、すなわちアイデンティティーについて、問い直す機会を人々に与えた。植民地化に伴って土地を失った農民のように、新しい社会システムにおいて以前と同じような立場で振る舞えなくなったとすれば、自分がどのような位置を占めているのか考えざるを得なかっただろう。また、今まで接触のなかった集団とふれ合う中で、「自分」と「他者」の区別が強く意識されるようになったのではないか。自分が何者であるかということは、そのとき置かれた社会状況や比較の対象になる他者のあり方に伴って認識が変化すると考えられるから、アイデンティティーとは一定の形を持つものではなく、時と場所によって大きく変化するといえる。しかも、自分の認識と他の人からの認識は、必ずしも一致しないのである。システム変革とアイデンティティーの関わりで第二にいえることは、アイデンティティーについて問い直そうとしても、その答えが出にくい場合があったと考えられることである。人々は、地域的や社会的な点で今まで属していた場所を離れる一方、馴染みのない新しい社会システムの中では、所属感を持てる場所を新たに見つけることは容易ではなく、自分の居場所も役割も見いだせなくなることがあったのではないか。この場合、人々は、アイデンティティーを確立できない状況にあるといえる。
 先に述べたように、近現代は、大規模でしかも強制力の強いシステム変革が、全世界的に起こった時期ではないかと思われる。植民地化がそのようなシステム変革の顕著な例としてあげられよう。新しい社会システムの中では、アイデンティティーの顕在化とその危機が引き起こされた。それに伴って、アイデンティティーを確立し或いはそれを表現するために、国内外での人々の移動が盛んに行われ、また、改革的な政治思想が生み出されてそれを支持する人々も現れた。このような、社会システムの大規模な変化に起因する集団の移動と改革的な政治思想の誕生は、人々の移動という側面から考えたとき、近現代に特徴的な1つの側面として捉えることができるのではないか。また、アイデンティティーに関していえば、新しい社会システムとの出会いとは、大規模なシステム変革の起きた近現代には特に顕著にみられるが、他の時代や場面においても、人々の移動とともに不断に起こり続けてきた出来事である。その点では、アイデンティティーをめぐる問題は、Human Mobilityの研究において、非常に重要な位置を占めると思われるのである。

おわりに
 現代は、度々国際化の時代として捉えられる。それは、1つには、全世界的規模のシステム変革や交通網の発達に伴って移動が活発化し、様々な人々が混じり合って生活するようになったことを意味するだろう。しかし、以前とは違う社会システムの中で模索を続け、改革的な政治思想を生みだしていく人々の姿から分かるように、様々な人々がある社会において混じり合うことは、各自の文化的背景を薄れさせたり、皆に何らかの共通な基盤を与えることを意味するものではない。むしろ、アイデンティティーをめぐる模索の中で、集団の間に齟齬が生まれることが考えられる。このような齟齬をいかに解決し、人々の共存をはかるかということが、今日、各地の社会の1つの課題であると思われる。総合討論の際に、人間の移動について、そのメリットだけでなく、移動したことに起因する様々な問題点も論じていく必要があるのではないかとするコメントが出たことが、大変印象的であった。


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