イスラーム地域研究5班
回顧 <Beyond the Border>

Session 2-2: Human Mobility in History, Part Two

野坂潤子


 " The Influence of Human Mobility " 「人の移動の影響」と題された第2分科会の第2部会では、 " Human Mobility in History " 「歴史における人の移動」を主題に3つの報告がなされ、それぞれに異なる視点から「人の移動」の多様な局面が分析された。歴史的な現象としての「移動」には様々な形態がある。空間的移動の事例に限定しても、移動の主体が個人であるのか集団であるのか、自発的移動なのか強制的移動なのか、移動の方向が一方向的なものであるのか双方向的なものであるのか、さらに、恒常的な移動か否か等々の点で様々に異なる数多くの「移動」の諸相が分析の対象とされてきたし、また、社会内部における階層間の「移動」の問題を含めれば、このテーマを軸にした議論の幅は一層広くなる。その意味で、本部会の各報告及び議論は、空間的移動とそれに伴う地域社会内部の変動を視野に入れた総合的な分析の可能性を探ったものと言えるだろう。
 第1の報告は、チュニス第1大学のイブラヒム・ジャドラによる「中世のイフリキーヤ(チュニジア)における黒人」で、サハラ以南から以北への黒人奴隷貿易とマグリブ社会への黒人奴隷の統合の問題が論じられた。元来サハラ以南の地に住み、部族的な紐帯によって規定される社会を構成していた黒人は、アラブ人によるマグリブの征服を契機として、戦時捕虜から奴隷とされるようになり、やがて、9世紀から19世紀に至るまで存続するサハラ以南と以北の間の奴隷貿易を通じて、マグリブその他の地中海沿岸諸都市の社会内部に主に家内奴隷として定着していく。ジャドラは、黒人奴隷がサハラ以南のカネム、ガーナ、トゥクロールを含む非常に広範囲の地域からシジルマーサ、フェザンなどを中継地点として、マグレブやスペイン、エジプトへと移動させられていく過程で、固有の言語、文化、慣習を棄てることを余儀なくされ、アラビア語を習得し、イスラームを受容して、移動先の社会に同化されたことを、統合の「成功」と評価しつつも、黒人が、このことによって自らの出身部族の紐帯から切り離され、商品として個々に断片化された存在として、マグリブ諸都市内の垂直的な階層構造の最底辺に置かれ、相互に団結して上層社会層に対決する可能性を奪われていた点も同時に指摘している。また、ジャドラは、黒人が階層社会を上昇する場合の顕著な例として、黒人のイスラーム法学者ないし神学者の名を挙げつつ、それが非常に限定された事例にすぎなかったと指摘し、社会内での黒人排斥が恒常的なものであったとしている。彼によれば、イスラームは、黒人の奴隷身分からの解放の促進や社会的上昇の手段となる側面とともに、黒人が白人に対抗する集団的な連帯意識を形成することの阻害要因となる側面を持ったことになる。報告後の会場の議論では、社会内部の分裂の存在を指摘しながら、統合の「成功」と規定したことに対して、疑問が出されたが、報告者は、他地域における奴隷ないし農奴の事例と比較しての相対的な「成功」と述べるにとどまった。しかし、この点に関して他地域ないし他の時代との比較において論じるならば、イスラームが支配的な社会で、イスラームが下層社会層の政治的なプロテストの主柱として機能しなかった点にこそ注目すべきであろう。言語と宗教の受容による同化へのプロセスが、直ちに、社会内部での分裂の解消を保証するものではないことは一般的に言い得るとしても、報告者が取り上げた時期のマグレブにおけるイスラームは、上層社会層の宗教であって、黒人奴隷及び解放奴隷への浸透はあくまで表面的なものにとどまっていたと考えるのが自然である。この点は、報告の中で、通常ムスリムには許されない行為が黒人に限って許容されていたと指摘された点とも合致する。そうであるならば、社会への統合の「成功」とまで言い得るのかは疑問であり、むしろ単なる同化の一段階にすぎなかったと解釈すべきであろう。
 第2の報告は、東京外国語大学の黒木英充による「19世紀半ばのアレッポにおける非ムスリムの移動」で、1844年と1849年のジズヤの支払い記録を史料として、アレッポの人口動態の分析と都市内外の人の移動の諸相の再構成が行われた。報告では、アレッポの都市人口に関する複数の先行研究を踏まえて、19世紀の同地域の人口推計(約10万人)の諸例と、当時の人口変動の要因として、コレラと天然痘による死者数に関する資料が挙げられた上で、1844年に関しては5080件、1849年に関しては5232件のジズヤの記録を基にアレッポの非ムスリム人口の変動が分析された。特に、報告の中心となったのは、両年の記録のジズヤ支払い者の名簿を突き合わせて、記載が重複する者とそうでない者の割合を算出し、そこから読みとれる傾向を多角的に検討したことであった。記録は、各マハラ内のキリスト教徒各派(メルク派、シリア教会、アルメニア教会、マロン派)ごとの数値と都市全体のユダヤ教徒及び外来者の数値に分けて整理され、その結果、予想に反して、記載の重複する者の割合がそれほど高くないことが指摘された。5年の間に全体で概ね37%のキリスト教徒が記載から消え、38%が新たに現れ、また、ユダヤ教徒もほぼ同様の傾向を示していて、34%が記載から消え、42%が新たに現れたと分析された。報告者は、この大幅な住民交替の理由を出生率と死亡率のみに帰すことには無理があるとし、他地域の人口統計を基にした出生率と死亡率との比較と1848年のコレラによる死亡者数概算を合わせた分析の結果、約10%〜12%の都市人口が5年間に流出・流入したと結論した。また、同じ記録から、都市の内部でマハラ間の移動や宗教ごとの生業の特化が観察されることを指摘し、さらに、ニスバによる出身地の推定を基に周辺地域からアレッポへの人口流入の特徴が分析された。報告の最後では、こうしたジズヤの支払い記録は19世紀のオスマン帝国の非ムスリムにとって臣民の忠誠の証であり、パスポートの役割も果たしていたことが史料に即して指摘された。全体として、報告の議論の焦点となったのは、アレッポの住民構成と人口の流入・流出に関する問題であるが、使用された史料がジズヤという非ムスリムに限定されたものであって、かつ5年という比較的短期間の変動を扱っているため、筆者には、アレッポにおける人の移動の総体的なイメージは掴み難かったものの、史料としてのジズヤの分析の方向性が提示されたことやキリスト教徒各派及びユダヤ教徒の具体的な割合が明確に示されたことなどの点で、大変興味深い報告であった。より長期間を対象とした他の諸史料と合わせての総合的な分析が待たれる。
 第3の報告は、アルマトイ東洋学研究所のメルエルト・アブセイトヴァによる「16-17世紀における中央アジアからカザフスタンへのイスラームの伝播」で、中央アジア及びカザフスタンで活躍した複数のスーフィーの聖者伝を史料として、スーフィーの活動を介したカザフ人へのイスラームの普及が論じられたが、この報告は、この地域でのイスラーム化の問題を扱うというよりはむしろ、様々な聖者伝の史料的な紹介を主な内容としていた。報告後の会場の議論では、カザフスタンのイスラーム化を考える際にはカザフ人全体にイスラームが浸透した18-19世紀のモメントを重要視すべきで、16世紀のモメントは支配者層のイスラーム受容にすぎないとの適切な指摘があったが、そもそも、報告の主旨が、16-17世紀のカザフ社会の分析史料として聖者伝を使用する可能性を述べるにとどまるものであり、イスラームを契機とするカザフ社会全体の変容は報告の視野外であったと思われる。従来、中央アジアと比較してカザフスタンではイスラームの影響力が弱いとされ、この点に関係して、現在に至るまでシャーマニズムが強固に残存していることが指摘されているが、報告の中で、こうしたカザフ社会特有の諸慣習とイスラームの間の緊張関係に関する具体的な問題点の分析がなかったのは残念である。
  " Human Mobility " 「人の移動」を共通のテーマとした第2分科会の中で、この部会全体を概観すると、地域と時代を異にする「移動」の具体的な姿と、その「移動」の主体が「移動」先の社会でどのように受け入れられ定着したかという問題を中心に議論が行われたと言えるだろう。第2分科会の他の部会との関連で言えば、「移動」の要因や結果(第4部会の「人の移動と政治過程」)及び「移動」がもたらした情報・技術(第3部会の「人の移動と情報」)を議論する上での前提となる「移動」の実態の分析が試みられたとも言えるが、この点は、必ずしも全ての報告が成功していたとは言いがたい。さらに、残念ながら、「移動」がもたらした歴史的なインパクトという点に関しては、あまり明確な指摘がなされなかった。特に、イスラームの受容の問題を取り上げた点で、第1と第3の報告は共通するが、どちらの地域の場合もイスラーム化の契機は一度ではなく、その数度にわたる契機が一元的に同列に論じられるものではないならば、分析の対象となった時期のイスラームの受容が他の時期のものと比べてどのような意味を持っていたかについて、より立ち入った指摘が欲しかった。また、第2の報告では、都市を対象に住民構成や流入・流出の問題が取り上げられたが、第1の報告においても、黒人奴隷の移動先であるマグレブその他の諸都市内部の人口構成や、都市によって黒人奴隷の出身地に偏りがあったかどうかなどの問題について、何らかの情報が提示されれば(おそらく史料的な制約があるであろうことは承知しているが)、全体の議論がより深まったと思われる。


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