イスラーム地域研究5班
回顧 <Beyond the Border>

国際会議「Beyond the Border」を振り返って

渡部良子


 10月8-10日、京都にて開催された国際会議、「Beyond the Border」について、その全体的な報告を一般参加者の立場から記したい。そのさい、以下の2点について前もってお断りしておかなければならない。
 第一に、本報告は上述のごとく会議全体の概観であり、個々のサブセッション、発表の内容に一つ一つ立ち入ることはできない。各サブセッションの詳細な報告は当ホームページに別のかたちで掲載されるはずなので、本報告はなるべく会議全体の構成、傾向や成果に関するものとしたいと思っている。そこで、まず会議の構成と流れを概観し、ついで筆者の受けた印象に基づき会議全体の傾向に関わる感想を述べて、報告としたい。
 第二に、筆者は会議の開会日から終了まで全プログラムに参加したが、一部のサブセッションの開催時間の重複のため、当然のことながらすべての発表を聞くことはできなかった。筆者が傍聴したサブセッションは、1-1、2-1、2-2(8日)、1-4、2-4、2-5(9日)、3-1、3-2(10日)である。参加者個々人の関心、その関心に基づくサブセッションの選択如何によって、会議全体から得られるものも変わってくるであろう。以下に記す感想は、上記のサブセッションに参加した筆者の感想に基づくものであることを、あらかじめご了承いただきたい。
 では、まず、会議全体がどのように構成されていたか、できる限り簡潔に述べてみたい。
 3日に亘った国際会議は、「境界を越えて」という大テーマのもと、3つのセッション、「イスラーム法・思想における領域の概念」「人間移動の影響」「相互作用の都市:エルサレム」に分かれ、それぞれのセッションのテーマに属するサブセッションにおいて発表とディスカッションが行われた。第1セッション「イスラーム法・思想における領域の概念」では、セッション1-1「イデオロギーとしてのDar al-Islam」において、イスラーム世界の根本的な領域概念Dar al-Islamについて、Brannon Wheeler、Michael Lecker、Haideh Ghomiから発表がなされた。いずれの発表も、Dar al-Islamの定義の復習というものではなく、Dar al-Islamのイメージの読み直しとでも言うべき興味深い方法をとっていた。セッション1-2「イスラーム史における領域の概念」では、Elmostafa Rezraziから領域概念Iqlimについて、柳橋博之から法学の立場から見た、ムスリムをイスラーム共同体につなぐ段階的な帰属の概念について、奥田敦からシリアにおける歴史的現実としてのDar al-Islamについて、それぞれ議論が提示された。セッション1-3「Dar al-Islamから近代的領域概念へ」では、領域概念が変容する近代、イスラーム世界での伝統的概念のリアクションと変容について、Tetz Rooke、Iik Arfin Mansurnoor、Eugenia Kermeli-Unalがシリア、マレーシア、オスマン帝国の事例を提示して論じた。セッション1-4「Dar al-Harbに直面したムスリム達」では、イスラーム世界のフロンティアの様相について、太田敬子がイスラーム初期のビザンツとの境界を、中村妙子が十字軍時代のシリアを、Hamidullah Boltaboevが中央アジアを、Stephane Dudoignonがシベリアのイスラーム・フロンティアを、それぞれ事例として紹介した。
 第2セッション「人間移動の影響」は、第1セッションにおいて議論された「領域」の「境界を越える」動きについて議論するもので、5つのサブセッション、「歴史における人間移動1」「歴史における人間移動2」「人間移動と情報」「人間移動と政治的プロセス」「権力が設定する境界を越える人間移動」にわけられた。内容的にも、量的にも、本会議の中心をなすセッションであったと言えるかもしれない。セッション2-1では、大体12世紀まで、モンゴルのイスラーム世界侵攻以前のイスラーム史の一段落が取り扱われ、森本一夫がこの時代に起きたサイイドのナキーブ職の成立と広域的普及について、Yaacov LevとTaef Kamal el-Azhariがともに十字軍時代のシリア、エジプトにおけるトルコ系ムスリムの影響力の拡大についてそれぞれの視点から論じた。セッション2-2は2-1に続く近代に至るまでの時代を対象とし、Ibrahim Jadlaが中世チュニジアにおけるBlacks(al Sudan)の移動について、黒木英充が19世紀アレッポにおける非ムスリムの移動について、Meruert Abuseitovaが16-17世紀カザフスタンにおけるイスラームの拡大について事例を提示した。セッション2-3は、人間移動と情報の関係をテーマとし、Stefka Parvevaがオスマン帝国支配下のバルカンからの聖地巡礼における情報媒体について、Lilia Labidiが19-20世紀エジプトにおける近代医療の成立について、Makhsuma NiyazovaがブハラにおけるKubachi貴金属細工師の技術伝達について、Asami Yasushi、Ayse Sema Kubat、Ismail Istekがトルコにおける街路ネットワーク・パターンのイスラーム的特徴について発表を行った。最後の2つのサブセッション、セッション2-4、2-5は、主に近現代における政治的動きの人間移動への影響、近代以降の政治的変化により新たに設定された境界をなおも越えてゆく人間の動きに注目したと見てよいだろう。セッション2-4ではまずMohammed Boudoudouが植民地主義の影響によるマグレブの労働移民について、栗田禎子が近代スーダンにおけるディアスポラについて、Nilufer Narliが現代トルコの都市化と政治的イスラームの関係について論じた。セッション2-5では、大石高志が、植民地期インドにおける巡礼メディアへのイギリスの介入とそれに対するインド・ムスリムの反応について、John Schoeberleinが中央アジアにおける遊牧民のイスラームのありかたについて、Alain Roussillonが植民地主義時代の旅行記にあらわれるアラブ・ムスリムのアイデンティティについて、Dale Eickelmanが現代ムスリム社会において新メディアがもたらす変動についてそれぞれ興味深い議論を行った。
 第3セッション「相互作用の都市:エルサレム」は、現在まさに「境界を越える」こころみが焦眉の問題である都市、エルサレムがテーマとして取り上げられた。セッション3-1「共生と紛争」では、Amnon Cohenがオスマン帝国時代のエルサレムにおけるユダヤ人コミュニティについて、Yasir Suleimanが社会言語学的分析により見えるエルサレムにおける政治的力関係について、Michael Dumperがエルサレムにおけるパレスチナ人のワクフについて発表を行い、藤田進はパレスチナ人とイスラエル人の共生関係と抗争に関し自らの聞き取り調査を交えた報告を、臼杵陽は日本人キリスト教徒のエルサレム観に関する紹介を行った。セッション3-2「中東和平プロセスとエルサレム」では、まずGeries Khouryがキリスト教・ユダヤ教・イスラームの3宗教に共有されるエルサレムについて論じ、ついでAnn Leschがエルサレム問題の詳細な分析とその解決のシナリオについて、池田明史が1967年以降のエルサレムにおける変化について、立山良司がエルサレム問題に関する視点について、それぞれ議論と意見を提示した。
 すべての発表は個別の質疑応答を含んで30分であり、サブセッションの最後に30分がディスカッションにあてられた。全3セッション終了後、1時間の総括討論が行われた。
 これらの発表はすべて、テーマに基づいて公募され、選考されたものであるという。会議のテーマは見てのごとく非常に大きな漠然としたものであり、特定フィールドの専門家達が共通の認識を前提に緻密な議論を行うといったタイプの会議にはなりえないことはすぐ了解される。イスラーム研究という共通の大枠は一応あるものの、その中での研究者達のディスィプリンは歴史学・人類学・法学・政治学と千差万別である。会議の呼びかけに対して誰から、どのような反応が起こるかは、いわば、予想がつかないことであったと想像される。内容も傾向も様々な発表を相互に関連づけ、統一性のあるプログラムを構成した運営陣に敬意を表したい。
 各サブセッションにおけるディスカッションにおいても、全体として活発な議論が行われ、個々の発表が提示した個別の問題を、常に各セッションの共通テーマに結びつけていこうとする姿勢が参加者達のなかにうかがわれた。
 しかし、会議の構成について、筆者が疑問に感じたことを2点述べたい。
 第1点は、総括討論で私市正年が指摘したように、全体として地域的な偏りがあったことである。本会議の諸発表を地域という点から見ると、中央アジア、(歴史的)シリアは充実しており、トルコ、アフリカもカバーされていたが、イスラーム世界の境域地帯として歴史的にも現代的にも個性と重要性を持つインド、パキスタン、東南アジア諸地域からは、インドの大石高志、マレーシアのMansurnoorがそれぞれ発表を行ったのみであり、イスラーム世界の中で独特の地位を持つイラン、中国に関しては、Ghomiがペルシア神秘主義文学の立場から発表した以外、関連の発表も、その地域からの参加者もいなかった。
 このような結果は、一つには発表の公募という会議の組織方法からやむをえず出てきたのであろうが、もう一つ、会議の構成が地域の独自性・地域差というコンセプトを含んでいなかったことにも原因があろう。各サブセッションは、それぞれの個別テーマについて、いくつかの地域における事例を提示するというかたちで行われた。しかし、各サブセッションで取り上げられた地域に偏りがあり、イスラーム世界の多様な地域性という問題を踏まえずに構成されていたために、その結果テーマとして取り上げられた問題が、イスラーム世界の地域的多様性のなかでどのようなあらわれかたを見せたのか、「越境」という営みに地域の独自性・地域差の問題はどう影響するのか、という総合的な比較討論の議論には至れなかった。
 無論この、研究における地域分化の枠を取り払うというやりかたは、この会議のねらいの一つであったともいえる。「地域」とは、自然環境・歴史的文化的背景がそれぞれ異なる領域というだけでなく、それぞれ独立した傾向・研究史の背景を持つ研究上の分業の枠組みでもある。「境界を越える」というテーマで、あくまで動態的にイスラーム世界を分析しようとする時、ディスィプリン同様、専門分化してそれぞれが独立した「地域」という枠は障害になる。従来、少なくとも日本では(これは、世界的な研究の状況を反映しているのだろうが)、イスラーム世界全体の議論をする上で例えば「トルコでは」「アラブでは」「中央アジアでは」と地域の差異にこだわる傾向が強すぎた。このような方法が繰り返される議論のあり方を終わりにし、イスラーム世界の総合的・動態的な分析を行うための新しい視座をつくりだしたい、という望みは、多くの研究者が抱いていることだろう。  しかし、本会議の構成がその新しい試みを実現できたかというと、上にも述べたように、残念ながらそれはできなかったという印象を受けた。その理由は、ひとつには地域差・地域の多様性という問題を、(実際の地域の独自性という点からも、それぞれの地域で独立した研究上の方法のありかたという点からも、)研究者達がまだ十分に議論していないことだと思う。領域の概念、越境の動き、新たな境界の成立・・・といった「Beyond the Border」の諸問題のありかたは、地域によって異なっていた、あるいは異なっていることは言うまでもない。そして、「Beyond the Border」というテーマに取り組もうとするとき、研究者はそれぞれの地域の独自性にもとづく問題関心のあり方から出発し、あるいはそれに拘束される。これが今の「イスラーム研究」「イスラーム地域研究」の状態だろう。欲を言えば、「Beyond the Border」というテーマに対し、様々なディスィプリン・地域におけるイスラーム研究の現状を鑑みた上で、どのようなアプローチが可能であるか、方法論的な問題提議をする場が設けられるべきだった。そうすれば、個々の発表が提供してくれたものを討論の中でより活かせたのではないだろうか。が、そのような問題は、本会議の参加者の間で基本的な共通認識として意識されていなかったように思える。この、いわば議論の共通の土台の弱さのゆえに、参加者達の討論への積極的な参加があったにもかかわらず、各サブセッションの議論は結果的にそれぞれのテーマに関するいくつかの具体例の確認に留まり、地域的な多様性をはらむイスラーム世界における「越境」の動態的なイメージをリアルに共有しえなかったという不満が残った。
 研究フィールドやディスィプリンの境界を取り払った総合的・学際的な共同研究に取り組むためには、まずそれぞれの専門分野内部での研究の傾向や現状について、相互の理解があることが必要である。でなければ、個々の専門分野におけるそれまでの蓄積がその研究に十分に反映されなくなる。非常に素朴にして難しい問題であるが、学際的・総合的であることをこころざす研究にはつねにこのような現実的問題がつきまとうのではないかと思う。同じ問題が、本会議にも解決の糸口を与えられないままに表れた、そのような印象があった。
 会議構成上の問題の第2点として、「Beyond the Border」というテーマの取り扱われかたについて述べたい。
 先に述べたように、3つのセッションとそのサブセッション群からなる会議の全体的なプログラムは、よく構成されていた。ディスィプリンやフィールドの相互の連絡はやや不十分であっても、各セッション、サブセッションの小テーマを踏み台にして、これから様々な議論を引き出しうる、興味深い材料が数多く提供されたと思う。
 しかし、個々の発表における「領域」「境界」「移動」または「越境」のイメージは実に千差万別であったことは、「Beyond the Border」という中心的テーマを曖昧なままにとどめてしまったという観もある。例えば、上述のプログラムの内容を見てもわかるが、「移動」に関わる発表のなかには、実際には人間移動によって起こる新しい領域や境界の設定について論じているものも少なくない。にもかかわらず、「境界を越える」営みを漠然と肯定的に眺め、イスラーム世界はつねに境界を越えようとする動きが起こる(よい)世界である、というようなイメージがこの会議のテーマから作り上げられてしまったような印象がある。総括討論における「Beyond the Borderという言葉に楽観的なイメージだけを見ているようだ」という山岸智子のコメントに、頷いた参加者は少なくなかったのではないだろうか。
 イスラーム世界における「領域」「境界」「越境」という問題はいかにして論じられるのか、それら諸問題において、浮かび上がってくるイスラーム世界の特徴とはなにか。それはこの会議の発表から得たものを出発点として、これから明らかにしてゆくよりほかないだろうが、今回の会議の構成を反省的に振り返る限り、個々の発表が提供した材料を踏まえて、より議論を絞るための補足的ないくつかの視座が可能であったとはいえると思われる。その一例として、総括討論における栗田禎子の「コロニアリズムという視点が取り入れられていない」という批判的コメントは、重要な指摘であった。近代以降、イスラーム世界とは、コロニアリズムとその影響の下で「領域」「境界」「越境」の問題にぶつかったという点で、―第1に挙げた問題と関連づけて言えば―地域を越えた共通の試練を抱えた世界であったのであり、イスラーム世界において「境界を越える」というテーマを考えるためには、コロニアリズムの時代は時間軸から外すわけにはいかないだろう。セッション2-4、2-5のBoudoudou、栗田、大石、Roussillon発表は、いずれもコロニアリズム、ポスト・コロニアリズムの問題に触れるものだったが、この視座が強調されなかったために、その内容を十分に活かすことができなかったと思われる。また、セッション1-4のDudoignon発表、セッション2-5のSchoeberlein発表の他充実していた中央アジアからの諸発表と、セッション2-1のLev、el-Azhari発表を、ノマドという視座から相互に結びつけて考察することも可能であっただろう。
 「イスラームの下での平等」「絶え間ない移動と交流」「開放性」などといったイメージでイスラーム世界を語る研究者はもういないかもしれないが、こうした漠然とした明るいイメージは、現在でも時として繰り返されないこともない。イスラームおよびイスラーム世界をあえて総合的に論じようとするとき、より具体的な視座が次々に打ち出され、検討されることが必要である。ここで可能性のあるすべての視座について検討することはできないが、この会議が与えた様々な議論や問題提議を再検討しつづけてゆくことにより、これからのイスラーム世界における「越境」の研究に有効なキー・ワードを見つけてゆくことができるのではないだろうか。それはこの会議に参加する機会を得た筆者自身の課題であり、その課題が与えられたことが、この会議に参加した最も大きな成果であったと考えたい。(文中敬称略)


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