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ASNET主催 映画シンポジウム「アジアを知る―『真昼の星』上映&ウサーマ・ムハンマド監督講演―」

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ASNET主催 映画シンポジウム「アジアを知る―『真昼の星』上映&ウサーマ・ムハンマド監督講演―」を開催しました。


【報告】

2019年10月17日(金)夕刻より、ASNET主催 映画シンポジウム「アジアを知る―『真昼の星』上映&ウサーマ・ムハンマド監督講演―」が開催された。

山本薫氏による司会のもと、最初にシリアの映画監督ウサーマ・ムハンマド氏は「映画による出会い」に感謝する旨、簡単な挨拶を行った(以下、監督の発言に関しては森晋太郎氏がアラビア語通訳)。その後岡崎は、この度山形国際ドキュメンタリー映画祭の審査員として監督が来日されたことに合わせて、31年前の監督の代表作『真昼の星』(1988)を日本語字幕つきで上映することになった経緯を説明した。当映画(100分)の上映を経て、岡崎(Q)による質問形式で以下の通り監督(A)の講演が行われた。以下、監督の発言を訳出(繰り返し部分は削除)する。

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Q)何故監督は、『真昼の星』で自分の出身地であるラマ村を撮ることにこだわったのでしょうか?

A)同じような問いは過去にも受けてきましたが、これまでは「出身地は自分に近い場所、よく知っている場所だから」と答えてきました。とはいえ、歴史や親しみ、成長した空間に関わっているということだけが理由ではありません。『真昼の星』の場所は、すでに『一歩、一歩』(1979)というドキュメンタリー作品で関わった場所であり、もう一度その空間に戻って撮りたいと思ったのです。村で最も親しかった幼馴染の一人が、1976年にシリア軍によるレバノンのタッル・ザアタル・パレスチナ難民キャンプの包囲作戦に加わりました。幼少期は愛嬌と親しみのある友人で、こんな民謡を歌っていました。「おはよう、ご近所さん/君はテントで、僕は家の中/僕はハチになって君の頬の花を摘み取りたい♪」。この親友が包囲作戦に加わり、パレスチナ人を虐殺しました。私は「彼の心には幼少時から何かが潜んでいたのか。いったい何が詩人から殺人者へと変えてしまったのか」と自問しました。かくして私が映画を創る動機となったのは、「殺人を犯す友人を救う」ということでした。それ故に、『真昼の星』で同じ場所に戻りました。その土地の自然や社会、文化にその回答、さらには新しい問いを探ろうと思ったからです。

また見逃すことができなかったのは、シリアの軍事ファッショや治安機関の一部が私達の地域に由来するという事実でした。残念なことですが、私たちの出身地である小さな村は、シリアの流転する運命とつながっている場所でした。私は新しい人間が造られる過程、暴力的かつ滑稽な、単純かつ複雑な、そして恐ろしい人間が造られる過程を撮ろうとしました。なお『真昼の星』を完成した後、より多くの言うべきことがあると考えましたので、後に三作目の制作に取り掛かりました。それは孤独と狂信、暴力に関わるものでした。

Q)弟のカーシルは、兄ハリールから優しく扱われると同時に、殴られています。ところがその弟も暴力を通じてしか自分の主張を表現できない。日本でもパワハラを受けた人が部下や家族にパワハラするというのは問題となってきました。このカーシルは、暴力構造の末端に生きる人間の典型像だと思いますが、いかがでしょうか?

A)カーシルは、地域に特有の人間像ではないとは思います。さまざまな地域の人間にさまざまなレベルがありながらも共有されているものがあると考えます。暴力が他者を“教育”(しつける)ための手段にふさわしいとみなす文化が存在します。「愛しているから貴方を殴る」、「貴方に必要だから愛しているから、自分の利益を知らないから殴る」といったものです。シリア政府軍はレバノンに介入し、爆撃や拘束、完全包囲を行う中で、「レバノンを“救済”する」というスローガンを叫び続けました。私は政治の世界を映画で表現する気はなかったのですが、小さな自分の出身村の出来事と世界の出来事が、密につながっていることに驚いたのです。すべては権力の論理、そして自分の意見を述べる権利の剥奪という問題とつながっていました。

カーシルは最も明確な犠牲者です。彼が皆に認められるための唯一の手段は、暴力のメカニズムに入ることです。彼が有する唯一の資本は、身体の力です。それを権力のために用いない限り、認められることはありません。ただし映画で気づくのは、カーシルが暴力を権力のために使うにせよ、まもなく無視され、蹴飛ばされ、以前の立場に戻る姿です。カーシルは、感覚的に自分が道具に過ぎないと分かっています。ここから重大な段階が始まります。小さな暴力のサイクルから逃れるために、また別のサイクルに入るのです。秘密警察の一員や、軍に入ることかもしれません。私の意見では、いかなる国であれ軍人は殺人者の予備軍です。かかる暴力的で野蛮なシステムは、そこから逃れようとする人を利用し、「自分に権力がある」という妄想を植え付けるのです。

Q) 当時、シリアの映画監督は文化省傘下の国立映画総局に属する公務員で、シナリオも検閲を受けています。にもかかわらず、公開禁止になったのは何故でしょうか?

A) 1970年代から80年代、90年代にかけてシリアで映画監督は、検閲に囲まれていました。公式の検閲は検閲委員会という制度によってなされますが、より重要な検閲は「周りを覆っている空気」によるものです。自分は当時、何千人もの人々が刑務所の中に入れられている、特に表現の自由に関わって投獄されている国に自分が暮らしているということを知っていました。制度的な検閲委員会に出会う前に、表現の自由はないと空気が語るのです。これが、人々が自らの意見表明を控えるようになる仕組みです。しばしば「越えてはならない一線」(レッドライン)ということが言われますが、重要なのは人々がそれぞれに考えてしまう、何百万ものレッドラインなのです。

正確に言えば、『真昼の星』を制作した時、兄や妹の夫、その兄弟、そして多くの友人が政治囚でした。検閲委員会においては基準が文面で記されているとはかぎらず、よりハイレベルの抑圧的な権威を想像上の拠り所としています。かくして与えられた選択肢は、奴隷のような公務員か、あるいは敢えて冒険をするかの二択でした。あらゆる芸術は奴隷のような公務員の仕組みの中で息をすることはできません。ここで二つの問いが生まれます。一つは人間であろうとするのか、もう一つは映画や芸術を通じて本当に表現したいと思っているのかということです。これは、私自身の存在に関わる問いでありました。私は個人的にためらうことはありませんでした。人生を通じて、まず人間であることと、そして暴力や検閲のシステムを認めないことを指針としてきました。

国立映画総局では、シナリオを文章の形で提出しなければなりません。検閲委員会がそれを読み、映画として適しているかを承認します。その委員会は、「思想(アイデア)委員会」という名称です。法律上は文面の形で「検閲法」は存在しません。これはすべてが容認されるようにも、容認されることが何もないようにも見えるのです。すべての決定は口頭で下されます。シナリオの委員会を経て承認を得たとしても、治安当局からの電話一本で禁止されることもあります。あらゆる制度は形式であり、治安当局の決定によっては実効性を有しません。

付け加えておくべきことですが、思想委員会は名誉ある歴史も有しています。その内部では本当の戦いが繰り広げられてきたからです。映画人でもある一部の委員たちがシナリオを擁護し、敬意に値する多くの映画が実際に制作の機会を得ることになったのです。『真昼の星』は、治安当局の電話によって公開禁止となりましたけれども。

Q)当時のハーフェズ・アサド大統領もこの映画を鑑賞したとのことですが、そのあたりの経緯も教えていただけるでしょうか。

A) この映画が制作できた理由として、第一に検閲委員会に加わっていた治安関係者がシナリオを読んだ時に、作品の最終形を想像できなかったという経緯があります。書かれたものと絵として映像作品となったものの間に違いがあり、驚きを生み出したのです。第二に、検閲官も、こうした表現を生み出す勇敢な者がいるとは想像していなかったということです。

ダマスカスで行われた最初の上映会には、有識者や政府要人が出席しました。上映後に作品を大絶賛してくださる方もいた一方で、そそくさと会場を立ち去る方もいました。その後、文化省に電話がかかり、非難や脅迫が行われました。しかし上映後に、私は自分がかつてより千倍強くなった気分でした。自分が人間であるということを感じました。公開禁止を求めた者が映画総局にやって来て、私に「作品は芸術的には素晴らしいが、民衆がこれを観るには時期尚早だ」と言いました。私はその人物に「貴方は、民衆の意見を代弁するような証明書をもらっているのか」と言い返しました。

その後、大統領宮殿から作品鑑賞の要請がありました。私の作品と、同時期に制作されたアブドゥルラティーフ・アブドゥルハミード監督の『ジャッカルの夜』(1988)という作品の提出が求められました。当時の関係者によれば、文化省と映画総局は、スクリーンなどの機材やイスといった映画館の装置を大統領宮殿に運び込み、本物の映画館を造ったとのことです。これは、将来大統領が(民主的に)選ばれた時を考えれば、よいことだと思います(苦笑)。大統領の反応については諸説あります。ワシーム・イブラヒームという記者が文化省高官の話として引用したところによれば、「大統領は映画の上映中は笑っていたが、上映後は顔をしかめて立ち去った」とのことです。

Q)(会場の方から)映画の内容に関してですが、強者と弱者がはっきりと分かれていて、弟カーシルと妹サナが徹底的に抑圧され、最終的に二人とも村から消えてしまうのが印象的です。一方、強者で印象的なのは兄のハリールと歌手のフアード・ガージーでした。ダマスカスに移ったシーンで、横断幕にすべてこの歌手の名前と肖像画が示されていました。この兄と歌手の描き方についてどのようなイメージがあったのか伺いたいです。

A) まず女性の登場人物であるサナですが、負けたかもしれませんが、(強いられた結婚を)拒み通したわけですから、より強かったとも言えると思います。兄ハリールですが、当時のハーフェズ・アサド大統領に似ているキャラクターです。ただし私は映画人として政治よりも映画を尊重し、映画の力をより信じています。映画で重視したのは、独裁政権下における歪められた人間像です。アサド政権が生み出した最も腐敗した法則は、「忠誠を誓えば、あらゆる望みが実現する」というものでした。かくして勉学や文化、教育は無意味となりました。というのも、権力、特に治安当局に協力すれば、それらはすべて飛び越えられるからです。車をはじめ、腐敗の恩恵をすべて得られるのです。これが人間を歪めるシステムです。

このシステムの下で、自分よりも先んじる者が存在し、自分が今そこにたどり着けなければ永遠にたどり着けないという強迫観念に囚われ、何をやっても許されるといった状況が生まれます。兄ハリールというキャラクターは、何かを始めたら収まる気配を見せず、終りを迎える前に終わることを恐れている、ある意味性的な絶頂を求めているような存在です。忘我の状態の中で何をやっても許されるというのが兄のイメージです。結婚式が失敗しても、別のやり方で到達するまで周りの全てを破壊していく行為を続けていくのです。

さらに権力というよりは「権力の妄想」も重要です。このような社会に典型的なことだと思いますが、権力を持っていないという劣等感と、それを手に入れたという優越感が折り混ざって、破壊的で、滑稽で、人を死に至らしめる人間を作り出すのです。だから彼という同じ人間が、愛すると同時に、殴ります。その瞬間が過ぎ去るまでは、殴らずにいることができません。その後にはまた、愛していると言うのかもしれません。自身は家族のために自己犠牲を払っていると思い込んでいます。彼は加害者であると同時に犠牲者です。

また兄の「言語」も重要です。兄の言葉には権力の夢という歪みが反映されています。彼自身の言葉が、権力の言説と混じり合っていくのです。バアス党的な言説を用いようと意図しているのではなく、心理的な歪み、どんな手を使っても生き延びたいという願望がそうさせるのです。彼にとっては生き延びるすべは権力しかないのです。兄は弟の首を絞めながら、接吻をする。意識的にしているというよりは、本能的にそうしているのです。

一方、歌手のフアード・ガージーは、最高権力者を示す上で適した比喩を与えてくれます。街区に溢れている彼の肖像画をああいうかたちで用いたことで、それがハーフェズ・アサドを意図していることを全ての観客が理解しました。ハーフェズ・アサドも暗殺やクーデター、友人の投獄を通じて、この兄ハリールと同じ方法で権力の座についたのかもしれません。

最後になりますが、私は、シリアの映画界の達成が、政治的言説の罠に陥らないような「映画の言語」のおかげだったことに誇りを持っています。映画や「映画の言語」をある種神聖なものとみなすことによって、何よりも先ず人間を、人間が歪められていく姿を描くことができたのです。多くの映画人がアサド体制に公然と反対し、先頭に立つ集団になりました。2000年にシリア有識者が発出した民主化宣言「99人声明」は、映画人の集団から生まれたものです。過去十数年のシリアの変化に目を向ければ、必ずこの声明が言及されているのです。

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以上のお話から、政権基盤となっている宗派コミュニティーの出身であるウサーマ・ムハンマド監督が、自身の親しい同郷の友人が人間性を歪められていく過程にいち早く気づき、その根深い問題を映画という芸術を通じて掘り下げ続けたことがよく分かった。また近年世界的に高い評価を受け日本で多々公開されきた新世代監督のシリア映画作品が、検閲システムの内側で無数の戦いを経て足場を確保し、「映画の言語」と創り出してきたウサーマ監督を含む先人たちの無数の努力の上に成り立っていることも感じ取れた。会場には70名近い方が来場され、現代シリアを代表する知識人の語りに耳を傾けた。31年前の検閲下での比喩化された表現故に易々と理解できない部分も多々あったと思うが、監督の解説や経験談を含めて、シリアの映画文化への歴史的な理解が深まったのではないだろうか。

(報告:岡崎弘樹)

日時 10月17日(木)18時から(17時半開場)
会場 東京大学本郷キャンパス山上会館 大会議室
上映作品 『真昼の星』(Nujūm al-nahār) 1988年 シリア国立映画総局
上映時間 105分
作品内容 シリアのアラウィー派山村で従兄弟婚が行われるが、花嫁は強制された結婚を望んでおらず、婚礼は大波乱となる。それでも兄は有力な親族との結婚を妹に強いるべく東奔西走する一方、聴力を失った弟にも愛するがゆえに暴力をふるい続ける。「普通の人間として尊重されたい」と、ダマスカスに逃げ出した弟はつぶやく。小さな家族の崩壊を描きながら、その背後に巨大な権力の仕組みが控えていることを暗示したが故に、国内では上映禁止となったが、カンヌを含め国外で高く評価され続けた。監督の代表作品。
講演者 ウサーマ・ムハンマド監督 (『シリア・モナムール』2014など)
司会 山本薫
聞き手 岡崎弘樹
通訳 森晋太郎
主催 科研費新学術領域研究「グローバル秩序の溶解と新しい危機を超えて」計画研究B01班「規範とアイデンティティ:社会的紐帯とナショナリズムの間」(代表:千葉大学 酒井啓子)
東京大学 日本・アジアに関する教育研究ネットワーク
共催 東京大学東洋文化研究所、中東映画研究会