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自著を語る

北宋絵画史の成立

塚本 麿充 (著)

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◇ No.71 2016/3/31
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塚本麿充『北宋絵画史の成立』を語る

 美術全集に載っているカラー図版をパラパラとめくる至福の時間を経験したことがある方は
多いと思います。しかし本書で扱ったのはもっと生々しい“美術”のあり方です。一般に作品
というのは、それ自体単独で存在してはいません。その周りに、何重もの人々の波によって
覆われており、具体的に言うと、美術館、お寺やコレクターたちによって、必死に守られています。
このような社会や特定の人間集団のなかで機能づけられた作品を、ここでは“文物”とよび、
その意味を考えるのが本書の目的です。

 私は大学に来る前の十年間、博物館で学芸員として働いていました。一つの作品を見、借用し、
展示するためには、この、何重もの人波を乗り越えていかなければなりません。最初は煩わしい
とも思っていたのですが、次第に、この作品を取り囲む人の波こそが、作品を守り伝承していく、
価値創造の主体であることに気が付きました。この本を執筆した背景には、このような私と作品の
関係性をいかに構築していくかという葛藤の歴史がありました。

 本書で扱うのは北宋時代の絵画の歴史です。北宋というと中国藝術史上最高峰と言われる時代
なのですが、それがどのような人々によって作られ、鑑賞されていたのか、という「場」の問題を
考えることが本書前半の課題です。そして北宋は靖康の変によって突然にその「場」を失うのですが、
その後、モノたちが新たにどのような価値を付加されて、社会の中で生き延びて行くのかを考察したのが、
本書の後半となります。本書のタイトルを『「北宋絵画史」の成立』としたのは、これによって、
作品が社会のなかで生き続ける生命の歴史を描くことができたらいいなぁと願っていたからです。

 かつて(北宋絵画の研究者であった)恩師が、「わしは「早春図」(北宋・郭煕が描いた山水画の名品)
に食わせてもらっとるんや」と仰っていたことが、強く心に残っています。なぜただの「モノ」に人間が
食わしてもらえるのか、当時はよくわかりませんでしたが、今では少しだけその意味がわかるような気
もしています。

中央公論美術出版、2016年2月刊
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