データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 平成26年度 防衛大学校卒業式 内閣総理大臣訓示

[場所] 
[年月日] 2015年3月22日
[出典] 首相官邸
[備考] 
[全文]

 本日、伝統ある防衛大学校の卒業式に当たり、今後、我が国の防衛の中枢を担う諸君に対して、心からのお祝いを申し上げます。

 卒業、おめでとう。

 諸君の、礼儀正しく、誠に凛々しい姿に接し、自衛隊の最高指揮官として、大変頼もしく、大いに誇りに思います。

 本日は、卒業生諸君が、幹部自衛官としての新たな一歩を踏み出す、門出の日でありますので、一言申し上げたいと思います。

 その日のガダルカナル島には、70年前と同じように、雲一つなく、強い日差しが降り注いでいたそうであります。

 昨年秋、練習艦「かしま」のタラップをのぼる、諸君の先輩たちの胸には、かの地で収容された百三十七柱の御遺骨が、しっかりと捧持されていました。そして、御遺骨に、無事祖国へと御帰還いただく。今回の練習航海では、その任務にあたってくれました。

 遠い異国の地において、祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦場で倒れられた多くの尊い命。そのご冥福を、戦後70年という節目の年に幹部自衛官への道を踏み出す、諸君たちと共に、お祈りしたいと思います。

 そして、こうした尊い犠牲の上に、我が国の現在の平和がある。そのことを、私たちは、改めて、深く胸に刻まなければなりません。

 二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。私たちには、その大きな責任があります。

 戦後、我が国は、ひたすらに平和国家としての道を歩んできました。

 しかし、それは、「平和国家」という言葉を唱えるだけで、実現したものではありません。

 自衛隊の創設、日米安保条約の改定、そして国連PKOへの参加。国際社会の変化と向き合い、憲法が掲げる平和主義の理念のもと、果敢に「行動」してきた、先人たちの努力の賜物である。私は、そう考えます。

 「治に居て、乱を忘れず」

 自衛隊、そして防衛大学校の創設の父でもある、吉田茂元総理が、防大一期生に託した言葉であります。

 「昨日までの平和」は、「明日からの平和」を保障するものではありません。大量破壊兵器の拡散や、テロの脅威など、国際情勢は、私たちが望むと、望まざるとにかかわらず、絶えず変転しています。

 「不戦の誓い」を現実のものとするためには、私たちもまた、先人たちに倣い、決然と「行動」しなければなりません。

いわゆるグレーゾーンに関するものから、集団的自衛権に関するものまで、切れ目のない対応を可能とするための法整備を進めてまいります。

 「行動」を起こせば、批判にさらされます。過去においても、「日本が戦争に巻き込まれる」といった、ただ不安を煽ろうとする無責任な言説が繰り返されてきました。しかし、そうした批判が荒唐無稽なものであったことは、この70年の歴史が証明しています。

 「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努め、もって国民の負託にこたえる」

 この宣誓の重さを、私は、最高指揮官として、常に、心に刻んでいます。

 自衛隊員に与えられる任務は、これまで同様、危険の伴うものであります。しかし、その目的は、ただ一つ。すべては、国民の命と平和な暮らしを守り抜くため。そのことに、まったく変りはありません。

 その強い使命感と責任感を持って、これから幹部自衛官となる諸君には、それぞれの現場で、隙のない備えに万全を期し、国防という崇高な任務を全うしてほしいと思います。

 東日本大震災をはじめ相次ぐ自然災害のたび、自衛隊は、昼夜を分かたず、また危険を顧みず、救助活動にあたってきました。自衛隊に対する国民の信頼は、今や、揺るぎないものとなっています。

 「軍事力は、戦うためだけのものである」という発想は、もはや、時代遅れであります。災害救援に加えて、紛争予防、復興・人道支援。あらゆる機能を備えた軍事力の役割は、国際社会において、大きく広がりつつあります。

 24年前、ペルシャ湾における掃海活動から、自衛隊の国際協力活動の歴史は始まりました。湾岸戦争で敷設された1200個もの機雷が、我が国にとって死活的な原油の輸送を阻んでいました。

 「『爆破成功』の声で、世界は日本の存在を知った。」

 派遣された隊員の言葉からは、当時の誇らしげな気持ちが伝わってきます。気温50度にも及ぶ厳しい環境、それも、海の中では石油パイプラインが縦横に走る、緻密さが要求される現場で、3か月以上にわたり稼働率100%。自衛隊の高い士気と能力を、見事に、世界に示してくれました。

 内戦によって傷ついたカンボジアでは、初のPKO活動に臨みました。自衛隊がつくった道路や橋が、平和を取り戻し、復興するための、大きな力となったことは、間違いありません。部隊がタケオの町から撤収する日には、感謝し、別れを惜しむ、現地の皆さん、大勢の子供たちで、沿道は溢れていたそうであります。

 今この瞬間も、自衛隊は、灼熱のアフリカにあって、独立したばかりの南スーダンの自立を助けるため、PKO活動にあたっています。

 ジュバの町で自衛隊員が通う病院。その運営はカンボジアのPKO部隊が行っています。内戦から復興したカンボジアは、今、PKO活動に積極的に参加し、共に汗を流す、パートナーとなっています。その隊長が、現地の自衛隊員に、こう語ってくれたそうであります。

 「UNTACでの日本の活躍は、母国カンボジアの人々の記憶に、今も鮮明に残っている。・・・このカンボジア病院も、本当は、誰よりも日本人に使ってほしい。私たちは、日本人のためならば、24時間いつでも診療する用意がある。」

 これまでの、20年以上にわたる自衛隊の国際協力は、間違いなく、世界の平和と安定に大きく貢献している。大いに感謝されている。私は、自信を持って、そう申し上げたいと思います。そして、のべ5万人にのぼる隊員たちの、揺るぎない使命感と、献身的な努力に、心から敬意を表したいと思います。

 海の大動脈・アデン湾における海賊対処行動では、本年5月、戦後初めて、自衛隊から多国籍部隊の司令官が誕生します。これは、これまでの自衛隊の活動が、国際的に高く評価され、信頼されている証に他なりません。

 世界が、諸君に、大いに期待しています。

 世界が、諸君の力を、頼みにしています。

 その誇りを胸に、自衛隊には、より一層の役割を担ってもらいたいと思います。

 本日ここには、インドネシア、カンボジア、タイ、大韓民国、東ティモール、フィリピン、ベトナムそしてモンゴルからの留学生の皆さんもいらっしゃいます。

 言語や習慣の異なる中での生活、学びの日々は、大変なものであったと思いますが、この日を迎えられたことを、心からお慶び申し上げます。

 それぞれの母国に戻ってからも、どうか、この小原台で培った絆を大切にしてほしい。皆さんの母国と我が国との防衛協力を、更に発展させていくため、皆さんの活躍を期待しています。

 そして日本は、皆さんの母国をはじめ、国際社会と手を携えながら、戦後70年を機に、「積極的平和主義」の旗を一層高く掲げ、世界の平和と安定に、これまで以上に貢献していく覚悟であります。

 南太平洋に浮かぶパラオ・ペリリュー島。この美しい島は、70年前の大戦において、1万人を超える犠牲者が出る、激しい戦闘が行われた場所であります。

 守備隊長に任ぜられた中川州男中将は、本格的な戦闘が始まる前に、1000人に及ぶ島民を撤退させ、その命を守りました。いよいよ戦況が悪化すると、部下たちは、出撃を強く願いました。しかし、中川中将は、その部下たちに対して、このように語って、生きて、持久戦を続けるよう、厳命したそうであります。

 「最後の最後まで務めを果たさなければならない。」

 諸君の務めとは、何か。

それは、二度と戦争の惨禍を繰り返さない。そのために、自衛隊の中核を担う幹部自衛官として、常日頃から、鍛錬を積み重ね、隙のない備えに万全を期すことであります。そして、いかなる事態にあっても、国民の命と平和な暮らしを、断固として守り抜くことであります。

 私は、諸君の先頭に立って、この責務を全うする決意であります。どうか諸君におかれても、全身全霊をかけて、この国民への務めを果たしてほしいと願います。

 御家族の皆様。皆様の大切なご家族を、隊員として送り出して頂いたことに、自衛隊の最高指揮官として、感謝に堪えません。

 皆、こんなに立派な若武者へと、成長いたしました。これは、防衛大学校での学びの日々だけでなく、素晴らしい御家族の背中を、彼らがしっかりと見て育ってきた。その素地があったればこそ、だと、考えております。本当にありがとうございました。

 大切な御家族をお預かりする以上、しっかりと任務を遂行できるよう、万全を期すことをお約束いたします。

 最後となりましたが、学生の教育に尽力されてこられた、國分学校長をはじめ、教職員の方々に敬意を表するとともに、平素から、防衛大学校に御理解と御協力を頂いている、御来賓、御家族の皆様に、心より感謝申し上げます。

 卒業生諸君の今後益々の活躍、そして防衛大学校の一層の発展を祈念して、私の訓示といたします。

平成27年3月22日

内閣総理大臣 安倍晋三