データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] OECD閣僚理事会安倍内閣総理大臣基調演説

[場所] 
[年月日] 2014年5月6日
[出典] 首相官邸
[備考] 
[全文]

 グリア事務総長、丁寧なご紹介をありがとうございます。先月は東京でお迎えし、今日はパリでの再会となりました。日本とOECDの深い絆を確認でき、大変うれしく思います。

また先月は、非常に示唆に富む、日本への政策提言ペーパーをまとめていただき、心から感謝申し上げます。その冒頭、グリア事務総長は、日本に、次のようなエールを送ってくださいました。

「変化のときは来た」

私も全く同感です。日本は、必ずや、改革を成し遂げます。そして、もうすでに改革は始まっています。

そのことを申し上げたくて、今日、私は、この歴史ある、ラ・ミュエット城にやってまいりました。

 20年近く、日本は、デフレに苦しんできました。資産を持っているだけで、その価値が上がる。デフレとは、人々から、「変化への欲求」を失わせる、恐ろしい魔物です。

前に総理大臣を務めていた7年前、今よりも、日本の景気はよかった。しかし、改革は、なかなか進みませんでした。

それは、デフレという魔物を退治できなかったからです。賃金は上がらず、国民は、好景気の恩恵を受けることはできませんでした。

しかし、三本の矢によって、日本経済は生まれ変わりました。7年前と比べて、景色は一変しました。

アベノミクスが始まってから、有効求人倍率は16か月連続で上昇し、1.07倍まできました。

この春、多くの企業が、賃上げを決断しました。月給が2%以上あがります。消費の拡大を通じ、更なる景気回復を目指します。

日本銀行の分析では、9つある日本のすべての地方で、景気が回復しています。中小企業の景況感も、昨年末、プラスに転じました。非製造業では、何と、21年10か月ぶりの出来事です。

日本は、今まさに、デフレから脱却しようとしている。こう申し上げて差し支えないと思います。

先行きも、視界良好です。あるエコノミストは、これから、日本では、高名な経済学者たちが主張してきた4つの景気循環の波が、すべて上向きになると指摘しています。

日本では、この秋から、リニア中央新幹線の建設が始まります。世界最高の時速505km。先般、この時速を、自ら体験しました。10年前、初めて試乗したときは、揺れも大きく、音もうるさかった。それが、先月、とても快適な乗り物へと変わっていました。

最初の実験成功から40年あまりを経て、いよいよ実用段階へと進化し、900億ドルもの投資がまさに始まります。

ノーベル賞の山中教授が実用化への道を大きく拓いた再生医療にも、今後、とてつもない規模の資本が投下されるはずです。

50年から60年周期で起きる、超長期のコンドラチェフ・サイクルが、底を打ち、上昇を始めた。それが、日本です。

グリア事務総長には、先日、東京・大手町にお越しいただきました。もしかしたら、「工事中」の看板の多さにうんざりされたかもしれません。

1964年の東京五輪から半世紀、東京の中心部では、大規模な再開発が進んでいます。さらに2020年オリンピック・パラリンピックが再び開催される。その準備も、いよいよ本格化します。

大規模な建設投資によって、長期のクズネッツ・サイクルも上向いている。それが、日本なのです。

4つの循環すべてを説明する時間はありませんが、もうお分かりだと思います。

かつて「世界経済のエンジン」であった、活力あふれる日本経済が、再び帰ってきました。

そして、その恩恵は、日本全体に、あまねく広がりつつあります。大胆な改革を断行する「条件」は、整いました。

その判断のもと、先月、17年ぶりに消費税率を引上げました。デフレという魔物に支配され、先送りする間に、高齢者は1300万人増え、社会保障給付は40兆円増えました。経済再生、財政再建、社会保障改革の3つを同時に達成する。私は、改革を恐れません。

日本の電力市場では、60年以上、地域に1社の巨大電力会社が、発電から送電、小売までを独占してきました。これを、2020年を目途に、完全に競争的な市場へと改革します。私は、改革を恐れません。

自由な市場における様々な創意工夫の中から、ダイナミックなイノベーションが生まれる。

医療サービスも同じです。すでに、再生医療では、民間活力を生かす規制改革を実施しました。日本が世界に誇る国民皆保険制度のもと、困難な病気とたたかう患者が希望すれば、様々な先進的な治療に、迅速にアクセスできる。その仕組みづくりに、すでに着手しています。私は、改革を恐れません。

世界で競争する都市においては、政府主導で、大胆な規制改革を先んじて行う。そのための国家戦略特区制度も、いよいよ動き出します。先月から法人税を2.4%引き下げました。グローバルに企業が活動する時代にあって、更なる法人税改革を進めていきます。

もう一度申し上げます。私は、改革を恐れません。

ここから徒歩で行くことができるマルモッタン美術館。その壁には、クロード・モネが描いた「睡蓮」の連作が、壁いっぱいに飾られていると聞きました。

晩年のモネは、視力の低下というハンデのもとにあっても、「睡蓮」を描くことにこだわり続けたと言います。

私も、改革にこだわり続けたい。

モネが、その不屈の精神で、印象派芸術の素晴らしさを揺るぎないものとしたように、改革にこだわり続けることによって、「アベノミクス」は初めて完成する。私はそう信じています。

 私の改革リストのトップに来るアジェンダ。それは、世界の経済パートナーとのEPA交渉を加速することです。

世界最強の経済シンクタンクOECDが、今後急成長を見込むのが、アジア・太平洋地域。日本は、もはや“Far East”ではありません。まさに“Center of the Pacific Rim”。その地理的なメリットを活かさない手はありません。

私は、昨年、ASEAN10か国すべてを訪問し、年末にはASEAN首脳を日本に招待し、互いの絆を深めました。振り返れば7年前、日本とASEANのEPA交渉で大筋合意したのは、私が総理大臣の時でした。

オーストラリアとは、先月、EPAで大筋合意しました。そして、アジア・太平洋に一つの大きな経済圏をつくるTPP交渉も、最終局面にあります。日本とアメリカが協力して、12か国全体での早期妥結に向けて、交渉を更に加速してまいります。

ヨーロッパの皆さん。成長するアジアに投資をお考えであれば、どうぞ日本に。豊かな自然、おいしい水やきれいな空気、欧州にも負けないパウダースノーのスキー場もあります。もし、皆さんの投資意欲を削ぐ何かが見つかれば、すぐに私に教えてください。いかなる岩盤も、私の「ドリル」の前には無傷ではいられません。

アジア・太平洋に生まれつつある大きな経済圏。そのゲートウェイは、日本です。日本は、皆さんの投資を歓迎します。

地域的な貿易自由化は、グローバルな貿易自由化より、「経済厚生」は小さくなる。OECDのエコノミストの皆さんなら、すぐに、そうお考えかもしれません。

しかし、日本が、EUをはじめ、多角的なEPA交渉を進めるのは、単に関税を撤廃するためではありません。新たな経済秩序を構築したいとの思いからであります。

リーマンショックの直後、国家が経済運営に全面的に関与せざるを得なくなった。多くの国で観察された緊急避難的な行動は、ある程度、やむを得なかったかもしれません。

しかし、この危機から立ち直りつつある今、原点に立ち戻るべきときです。

経済成長は、国家によって生み出されるものではない。民間の競争の中から生み出されるものだ、ということです。

通商の自由が確保され、法の支配が守られる。そして、すべての人に平等なチャンスが確保される。そうした価値のもとに、マーシャルが67年前に述べた「自由主義の基盤となる『活発な経済』が復活できる」のだと信じます。

知的資本がフリーライドされてはならない。過酷な労働を強いることや、環境への負荷を垂れ流すことによって、価格競争で優位に立つようなことがあってはならない。

グレシャムが16世紀にポンド金貨の行方を案じたがごとく、悪い技術が良い技術を駆逐するようなことになれば、持続的な成長は危うくなります。

私は、基本的な価値を共有する国々と、公正なルールの下で競争が確保される大きな経済圏をつくりあげてまいります。

その経済圏が、魅力あるものならば、参加を望む国も増えていくでしょう。私は、そうした国々を歓迎します。ただし、そのためには、新たな経済秩序に賛同してもらわねばなりません。

そうやって、公正な競争ルールが世界に広がっていく。それが、私のEPA戦略のゴールです。

ヨーロッパの皆さんとは、最も、その価値観が共有できるはずだと、私は考えています。であれば、細かな立場の違いなど、必ずや乗り越えていくことができる。日本とEUのEPAこそ、一日も早く成立させるべきだと私は考えます。

世界のルールづくりに、OECDは、長年貢献してきました。

ただ、現在のプライオリティは、メンバー内のルールを洗練することよりも、公正な競争ルールを、新興国をはじめメンバーでない国々と、いかにして共有していくかだと、私は考えます。

今日は、この場所に日本の衆議院議員の二階先生もいらっしゃっておられますが、アジア版OECDともいうべきエリアとOECDとの協力関係が、今般、深まることは大変意義深いものと考えております。

「いかなる支援も、単なる鎮痛剤を与えるのではなく、治療をすべきである。」

このマーシャルの言葉と共に生まれたOECDには、公正なルールを世界にあまねく広げていく使命があると考えます。

21世紀の新たな経済秩序を構築するため、OECDのあふれる英知とそのリーダーシップに期待しております。

 さて、OECDに日本が加盟して50年になりました。

この記念すべき年に、閣僚理事会の議長国を務められることは、誠に光栄であります。また、この理事会の成功のため、共にご尽力くださった、副議長国の英国、スロベニア、更にはグリア事務総長以下の事務局の皆さんの献身的な貢献に対して、この場をお借りしまして、感謝申し上げる次第であります。

今日、私たちは、ここで、過去50年を振り返ることは、もはや不要でしょう。むしろ、これからの50年がどうなるかについて、議論すべきです。

「OECD@100プロジェクト」は、その大きな手掛かりとなるものですが、予測は必ずしもバラ色のものではありません。

世界全体の成長スピードが、大きく減速する。技術が世界中に広く伝播することで、キャッチアップ型の成長余地が少なくなることや、人的資本の拡大スピードが低下することなどが、その理由です。

それは、あたかも現在の日本を見ているかのようです。日本は、少子高齢化の課題に直面し、21世紀は人口減少の世紀になることは、ほぼ間違いありません。

しかし、ピンチこそチャンス。私は、こうした時こそ、発想を転換し、構造改革を進める大きなチャンスだと考えています。

150年ほど前、日本の美術品の数々は海を渡り、ジャポニズムという形で、モネをはじめ印象派の画家たちの創作意欲をかき立てたと言います。

日本がこれから挑もうとする構造改革へのチャレンジは、世界経済の将来にも、大きなインスピレーションを与えることができる、モデルとなりうる、と私は信じます。

日本では、付加価値と雇用の7割を占めるのが、サービス部門です。しかし、労働集約度が高く、生産性を上げにくいことが、大きな課題でありました。

例えば、食肉加工工場は、たくさんの労働者が、長時間にわたって単純作業を続ける現場です。

日本ならば、ここで、ロボット技術を活用します。「ハムダス」と呼ばれる、自動で豚肉の骨を除去する日本製のロボットは、すでにここフランスでも活用されています。

チキンには「トリダス」、七面鳥には「タキダス」と、ラインナップも充実しています。

ハムダスに置き換わることで、現場の労働者が半分ですみます。そして人間にしかできない、もっと付加価値の高い労働を担ってもらえる。生産性の飛躍的な向上が可能です。

サービス部門の生産性の低さは、世界共通の課題。ロボット技術のさらなる進歩と普及は、こうした課題を一挙に解決する、大きな切り札となるはずです。

ものづくりの現場でも、ロボットは、製造ラインの生産性を劇的に引き上げる「可能性」を秘めています。

ロボットによる「新たな産業革命」を起こす。そのためのマスタープランを早急につくり、成長戦略に盛り込んでまいります。

日本では、すでに、介護をはじめ様々な分野で、ロボットを活用する試みが、始まっています。日本は、世界に先駆けて、ロボット活用の「ショーケース」となりたいと考えています。

ロボットのみならず、あらゆるイノベーションを起こし続けることが、付加価値を高め、経済成長を牽引する鍵であることは間違いありません。

デジタル革命の立役者であるコンパクトディスク。このイノベーションの物語は、大きなヒントを与えてくれます。

コンパクトディスクは、なぜ直径が12cmなのか?

それは、工学部出身のエンジニアたちが決めたのではありません。バリトン歌手からソニーの社長となった、大賀典雄さんが決めたものでした。

70分近くある「ベートーベンの第九」が、一枚のディスクに入らなければならない。大賀さんの一声で、直径が小さく、収録時間60分という当初案は廃棄され、75分収録できる直径12cmのディスクが生み出されました。

その結果、音楽愛好家からも受け入れられ、このイノベーションが世界の隅々にまで広がったことは、皆さんがご存知のとおりです。

「エンジニア」とは異なる「バリトン歌手」の視点があったからこそ、コンパクトディスクが生まれたわけです。

「エンジニアリングだけがイノベーションを生み出す」という発想を、まずは捨てねばなりません。社会は複雑化しています。経営学や心理学の知見、文化への造詣など、幅広い素養が求められる時代です。

ある調査では、大学の特許出願のうち、アメリカでは15%程度が新たなビジネスにつながっていますが、日本では0.5%程度しかない。

日本では、みんな横並び、単線型の教育ばかりを行ってきました。小学校6年、中学校3年、高校3年の後、理系学生の半分以上が、工学部の研究室に入る。こればかりを繰り返してきたのです。

しかし、そうしたモノカルチャー型の高等教育では、斬新な発想は生まれません。

だからこそ、私は、教育改革を進めています。学術研究を深めるのではなく、もっと社会のニーズを見据えた、もっと実践的な、職業教育を行う。そうした新たな枠組みを、高等教育に取り込みたいと考えています。

オペラ地区で、日本のランチボックスである「弁当(bento)」を売る店には、昼になると、パリの皆さんが行列をつくると聞きました。見た目もかわいく、価格もリーズナブルだ、と人気だそうです。

未体験の方は、さっそく今日の昼、ラ・ミュエット駅からメトロの9号線と3号線を乗り継いで、買いに行ってほしいと思います。

「弁当」の素晴らしさは、箱の中を細かく区切って、米、野菜、肉などのバラエティあふれる食材を、バランスよく配置できる点にあります。

野菜好きにも、肉好きにも、健康第一の人にも愛される。その「しなやかさ」こそが、「弁当」の特徴です。

日本が、そして世界が、進めるべき構造改革のヒントも、この「弁当」の箱の中にあるような気がします。キーワードは、「バラエティ」です。

日本では、長らく、人口の半分に過ぎない男たちが、経済を牛耳ってきました。壁に突き当たるのは、時間の問題だったわけです。

私は、いつもアリアナ・ハフィントンさんの言葉を引用するのですが、「もし、リーマンブラザーズが、リーマンブラザーズ&シスターズだったら、今も存続していた」のではないでしょうか。

世界の消費者の半分は女性です。女性の貢献なくして、女性にとって魅力ある商品など、開発できるわけはありません。

私も含めて男たちの存在が、女性の活躍を阻んできました。だから、日本では、2020年までに、社会の指導的な地位の3割は女性が占める、という目標を設定しました。

男たちが創り上げた「時間だけを重視する働き方」も、改めなければなりません。ワーク・ライフ・バランスに考慮した労働制度の見直しも進め、女性が輝く社会を創り上げてまいります。

内向きな発想も、完全に捨て去らねばなりません。外に目を向ければ、能力あふれる外国の人たちがたくさんいます。こうした人たちに、日本で、もっと活躍してもらう。そのための新たな仕組みづくりにも、先月、着手しました。

今年訪問したアビジャンでは、貧困を理由に学校に通えなかった女の子たちが、日本の支援を受けて、読み書きを習い、裁縫を身につけています。日本が送ったミシンを前に、目を輝かせていた彼女たちの中から、ココ・シャネルのような世界的なデザイナーが生まれる日も遠くないと、私は信じています。

昨年訪れたプノンペンでは、「ジャパン・ホスピタル」と呼ばれる母子保健センターによって、乳幼児の死亡率が半減しました。子どもたちは、きっとカンボジアの将来を切り拓いていくことでしょう。

日本が主催したアフリカ開発会議で、あるアフリカの首脳が、「『働く』とはどういうことか、職場での倫理を教えてくれたのは、日本企業です。」と語ってくれました。

海外でも、若者や女性を育て、共に成長する。これが日本のやり方です。日本に関心を持ち、日本で能力を発揮したいと願う人たちにとって、日本はチャンスあふれる希望の地とならなければなりません。

さらに、日本は、一度失敗した人たちにも、チャンスがあふれる国にしなければなりません。

一番成功する可能性が高い人間は、一度失敗した人間です。シリコンバレーでは、失敗を経験している方が、投資家の評価が高い。失敗した人間は、何を改めればよいか、分かっているからです。

一度失敗して、二度目の総理大臣を務めている、私が言うのですから、間違いありません。

一度失敗すると再チャレンジを許さない、日本特有の個人保証の慣習を、私は断ち切ろうとしています。誰にでも、何度でもチャンスがある、ベンチャー精神あふれる国へと、日本を変えていきます。

男だけでなく、女性ならではの視点と、外国の文化が融合する。そこに、失敗した人の経験が生かされる。

あらゆる人の「可能性」を最大限に引き出す、「弁当」のような経済構造をつくりあげた先に、21世紀の持続的な成長が約束されていると考えます。

 重力は、絶対のものではない。人間は、重力という束縛からも逃れることができる。

そのことを、二人の勇敢なフランス人が、この場所で、見事に証明してくれたのは、230年前のことでした。

このラ・ミュエット城の庭で、モンゴルフィエ兄弟が創り上げた熱気球が、人類史上初の有人飛行に成功したのです。

一人の高校生の作文を紹介させてください。

「このままではいけない。」

「今まで不安そうな親や大人の方たちを、ただ見ていただけだった私たちに、何ができるだろうか。」

「この大好きな福島のために、何をしなければならないだろうか。」

3年前の東日本大震災によって、東北では、愛する家族、家、そして故郷が失われました。

しかし、この苦境からも、自分たちの力で、必ずや再び立ち上がることができる。OECD東北スクールは、悲しみの中の子どもたちに、そう気づかせてくれました。ラ・ミュエット城の庭は、230年を経て、被災地の若者たちにも、勇気を与えてくれたのです。

今日ここに、東北スクールに参加する被災地出身の高校生が、来てくれています。釣巻洋子さん、小山康平さんの2人が、そこで元気な顔を見せてくれています。

お二人と共に、この場で、改めて、大震災の後、OECDをはじめ世界の皆さんが下さった温かい支援に、心から感謝申し上げたいと思います。

彼らは、この夏、パリのシャン・ド・マルス公園で、3年間にわたるスクールの集大成として、フェスティバルを開きます。被災地の若者たちが復興にかける熱意を、ぜひ感じ取って頂きたいと思います。

若い人たちが、希望を失わない限り、未来はきっと明るい。私は、そう信じています。それは、日本だけではありません。アビジャンで私が出会った、ミシンを踏む女の子たちや、プノンペンで私が出会った、母子保健センターで命を救われた子どもたちも、同じです。

誰もが、その持てる「可能性」を開花できるよう「エンパワーメント」すること。その先に、いかなる危機にも揺るがない「レジリエント」な世界が待っているはずです。

アベノミクスこそが、今回の閣僚理事会でとりあげられる、この二つのテーマに対する、日本なりの回答です。活発な議論が行われ、具体的な成果が生まれることを期待しています。

世界は、きっと変えられる。このラ・ミュエット城は、これからも、この確信を、世界中に与えていってくれる場所であることでしょう。日本もまた、その中で、大きなリーダーシップを発揮してまいります。

ありがとうございました。

Thank you very much.