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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 安倍総理大臣アフリカ政策スピーチ『「一人、ひとり」を強くする日本のアフリカ外交』

[場所] 
[年月日] 2014年1月14日
[出典] 外務省
[備考] 
[全文]

ハイレマリアム・デサレン・エチオピア連邦民主共和国首相、ヌコサザナ・クラリス・ドラミニ=ズマ・アフリカ連合委員長、親愛なる友人、ご列席の皆さま。

 私は、TICAD Vの誓いを果たそうと、AU本拠を擁するここ、アジスアベバにやって来ました。「近いうち、必ずアフリカの大地を踏みしめたい」。――横浜で、私はそう言いました。約束を果たせ、嬉しく思います。

 冒頭に当たり、いまいちど、ネルソン・マンデラ・南アフリカ共和国元大統領の足跡に思いを致し、皆さんとともに、敬意の念を新たにしておきたいと存じます。

 人は、希望を失ってはならない。失うとき人は、運命に自ら働きかけることをやめ、その奴隷と化してしまう。マンデラ氏は生涯を通じ、その身をもって、私たちに教えてくれたのだと思います。

 世界は、まことに偉大な星を、失ったのだと言うほかありません。

 さて、親愛なる友人、ご列席の皆さん――。

 TICADの全プロセスを通じ、多くの日本人は、アフリカを、明るい色で想い起こす心の習慣を身につけました。アフリカとは、日本にとっての希望であると、少なくない日本人が思っています。さればこそ、ここで、再び申し上げます。TICAD Vでしたお約束を、我が政府は、ひとつ残らず実行します。

 本日も、新たにお知らせがあります。アフリカ民間セクター開発のため、日本は、アフリカ開発銀行と一緒につくるEPSA(Enhanced Private Sector Assistance for Africa)という事業へ、円借款を出しています。

 2012年に、5年で10億ドル、出すとお約束しました。今回、同じ期間にお出しする円借款の額を、2倍、20億ドルにすることにしました。

 アフリカが、その輝かしい未来を実現するため、日本は、日本ならではの貢献として、何ができるでしょうか。

 TICAD Vで、あるアフリカの指導者が、こう言ってくれたのを思い出します。

 「日本の企業だけだ、働くとはどういうことで、何が労働の喜びか、『倫理』を教えてくれるのは」。

 私は感動しました。日本企業と、そこで働く無名の日本人たちが伝えようとしてきたことを、見事に要約してくれた――、そう思えたからです。

 日本の会社とは、利益を生む場です。が、それより前に、学びと、工夫を共にし、苦労だけではなく、喜びを分かち合う場です。

 「一人、ひとり」の、内なる動機に基づく努力を、大切にすること。また、命令などなくても努力する人間「一人、ひとり」を、最も貴重な資源と考えること。――それが、日本企業の神髄でした。

 日本が成長できた理由も、同じこと。未来を、今より明るくしたい、できるはずだと信じ、努力を怠らなかった無数の日本人、「一人、ひとり」の努力にあったのだと思います。

 皆さんに、ご理解いただきたいのは、日本企業がアフリカにやってくるとき、このような、経営の思想を、必ず一緒に持ってくる、ということです。

 「一人、ひとり」に力をつけてもらい、創造を引き出そうとする思想です。

 例えば、漁船につける船外機を売るとします。漁師の漁撈指導まで、普通はやりません。でも、行動半径を広げることを可能にする漁法を漁師に伝授したとすると、回り道でも、船外機の売れ行きはむしろ安定するでしょう。

 日本の会社は、そういう売り方をします。カスタマー「一人、ひとり」に、技術をわがものとする、真のエンパワーメントを、自ら図ってもらおうとする思想です。これは、ヤマハ発動機が、モーリタニアで実際にやった方法でした。

 ヤマハは、さらに進んで、モーリタニア初となる、造船工場の建設を手伝いました。モーリタニア人を日本に送り、造船技術を習得させました。そうしてできた工場から、この2月、「メイド・イン・モーリタニア第一号」となる漁船が、晴れて進水の運びです。

 「一人、ひとり」を大切にする日本企業がアフリカに来ると、本当の意味で、Win-Winの関係ができます。

 受け入れ国に、労働を苦役とみなす価値観がもしあるなら、それは、日本企業と付き合う中で変わります。

 「一人、ひとり」の工夫、努力を尊ぶ労働の場は、喜びの場にさえ、なり得るからです。

 日本企業が数多く進出した東南アジアの国々で起き、いまなお起きている、静かなる文化的変革とは、私の見るところ、こういう変化を伴います。

 日本企業を触媒として、次にこれを経験するのは、アフリカの国々であり、人々であるに違いないと思います。

 一緒に来てくださった、日本企業代表の皆さまと共に申し上げます。

 どうか、アジアで皆さんが長年かけて織り上げた成長のタペストリーを、今度はアフリカの、思い切り明るい色の糸を使って、紡いでいただきたいと思います。

 「カイゼン」という思想――。働く現場で「一人、ひとり」を大切にする、日本産の思想に目をとめ、いち早く、応用の可能性を考えたのが、エチオピアの、故メレス・ゼナウィ・アスレス首相でした。

 「カイゼン」は、「整理」と、「整頓」から始まります。

 「整理」とは、工場フロアからムダなものを取り除いて、動線を整えること。「整頓」とは、流れが良くなったラインに対し、必要な道具を、取りやすいよう並べることです。

 整理と、整頓によって、ラインは美しくなります。美を感じて、達成感をもつところに、国境や、文化の差はありません。同じラインで生産の能率が上がれば、達成感はさらに増します。

 ことほどさよう、「カイゼン」は、経営ノウハウとして、どんな国、文化にも、応用が効きます。

 そればかりではありません。取り組むうちに、「一人、ひとり」の創意と工夫を大切にする文化が、染み込み始めるという、それに、「カイゼン」の奥深さがあります。

 「カイゼン」は、何しろ徹底的にボトムアップ。トップダウンではありません。そこにあるのは、草の根を支える「一人、ひとり」に対する信頼です。人間に対する普遍的信頼に基づく思想が、カイゼンなのです。

 また、働く人たちは、ささやかな達成を重ね、着実な自信を育てます。「セルフ・エスティーム」を、はぐくむ行為でもあるのが、カイゼンです。

 「一人、ひとり」が、確かな自信を身につけ、毎日たゆまず働くうち、会社は伸びるでしょう。そういう会社、職場が、ひとつ、またひとつ増えて行くと、社会は次第に安定し、やがてそこに、民主主義の、確かな土壌ができてくるでしょう。

 しかも、すべては、アフリカにもともとあった豊かな文化や、人間を大切にする発想に、相通ずるものです。――カイゼンとは、アフリカが、本来の姿を再発見するわざなのだといえるかもしれません。

 日本と、日本企業と深く付き合ってくだされば、アフリカが、その本来備わる力をテコに伸びて行くことが、きっと容易になります。未来への、確かな種子を手にできると信じます。

 そして、我がアフリカ外交が、この先、焦点を合せようとするのも、アフリカの「未来」にほかなりません。

 まさしく、未来のアフリカを担う若者たち。それから、アフリカの将来世代に命を与える女性たち。2つのグループに、日本外交の機軸を合わせます。

 アフリカでは、農村生活百般を、女性が担う現実があります。女性のエンパワーメントは、二重の重要性をもつでしょう。

 若者と、女性、「一人、ひとり」にフォーカスを絞るのが、我が国のアフリカ外交だと、申し上げたいと思います。

 「道普請人(CORE: Community Road Empowerment)」という日本のNPOに、格好の実例があります。

 でこぼこ道しかない村での話です。陸稲(おかぼ)を出荷するには、トラックが入って来られる所まで、作物を運ばなければなりません。一家総出です。子どもは、学校へ行けなくなります。

 そんなとき「道普請人」は村人に、簡易舗装の方法を伝えます。それは、土嚢を使うこと。道が村へ通じ、集荷のトラックが入ってくると、子どもは重い作物を運ぶ労働から解放され、学校へ通えるようになります。

 「道をつくれば、学校へ行ける」というわけです。

 やがて、土嚢舗装を学んだアフリカの若者たち自身から、道づくりを請け負う事業家が現れました。それも、スラムから、という後日談つきでした。

 アフリカの未来は、自らの力で困難を克服する、意欲ある若者たちにかかっています。

 アフリカでは、若年人口が増え続けています。若者たちに明るい未来を示せるなら、アフリカの未来もまた、明るくなるに違いありません。

 TICAD Vでは、職業教育がいかに大切か、確かめ合いました。「産業人材育成センター」を、つくるとお約束しました。

 その第一歩として、「エチオピア・カイゼン・インスティチュート」は、アフリカ初の「産業人材育成センター」として、内容を拡充し、始動することが決定しました。

 ABE Initiative(African Business Education Initiative for the Youth)も、進んでいます。日本とアフリカの、ビジネスの将来を担う若者をアフリカから選んで、日本の大学へ留学してもらう事業です。

 留学中に、日本企業でインターンをしてもらい、ゆくゆくは、日本とアフリカをつなぐネットワークを育ててもらおうとするイニシアティブです。

 日本では、既に、58を数える名だたる大学が、受け入れましょうと言ってくれています。

 それから「スポーツ・フォー・トゥモロー」の事業。2020年にオリンピックを開く日本は、アフリカの若者に、スポーツをする喜びを体得してもらいたい、その助けになりたいと思っています。

 既にブルキナファソで、野球を広めている日本の若者がいます。モロッコの卓球を、手塩にかけて育てた日本人コーチがいます。

 青年海外協力隊隊員諸君の、功績です。

 これからは、アフリカ各国で、より多くのオリンピアン、パラリンピアンを育て、東京に送り込んでくれると期待しています。

 若者のことはそれくらいにし、ここからは、アフリカにとってと同様、日本にとっても、成長を続けるため最も大切な課題をお話します。

 女性の力を、いかに活用できるか、です。日本経済は、女性が輝きながら働くこと抜きに、成長できません。

 「アベノミクス」は、「ウィメノミクス」を抜きには、成功しない。日本にとって女性の活用は、ラクシュアリーなどでなく、ネセシティです。

 同じことは、アフリカの将来について言えるのではないでしょうか。

 生活を切り盛りし、将来を予測して、リスクをマネージしてきたのは、アフリカにあっては、もっぱら母であり、妻である、女性だったと聞き及びます。

 女性に知識を与え、潜在能力を開花させ、その地位を向上させることは、アフリカ社会、アフリカ産業の発展・高度化に、まっすぐつながる道だと信じます。

 つとにこのことを実践している、日本の若い女性がいました。

 モザンビークの貧しく衛生状態の悪い街で、女性たちに、生きて行くうえで必須の知識を伝える栗山さやかさんです。

 「ありがとう、みんな」という意味の、「アシャンテママ」という名前のNPOを、栗山さんはたった1人で始めました。

 彼女が開く、保健や妊娠についての講習会に出た女性は、1回につき、1つスタンプをもらえます。20個貯まると、例えば蚊帳一張りと交換できます。

 もしかすると、東京で、女性ファッション店に勤めていたとき、似た手法を目にしていたのかもしれません。

 日本政府は、栗山さんがたった一人で続ける仕事に、負けてはいられません。

 女性に十分な教育と研修、農業技術習得の機会を与え、村落コミュニティの意思決定に、参画できる手助けをしたいと思います。

 女子生徒の就学率を、増やす一助になりたいと思います。

 助産師や、看護師を増やして、妊娠から出産、子育て、栄養管理まで、ユニバーサル・ヘルス・カバレッジを広めたい。そして、日本が進めてきた「人間の安全保障」の精神を、伝えていきたいと思います。

 アフリカ女性が輝くとき、アフリカは、必ずや、光り輝きます。

 その一助となることが、私たちにとって、アフリカ外交の眼目なのだと、強調したいと思います。

 最後に、AUと日本の協力についてお話しします。

 地球儀を俯瞰してみますと、北に欧州、東にアジア、西に南北アメリカを配するアフリカは、文字通り、世界のセンターステージにいることがわかります。

 そんなアフリカを牽引する、AUの努力を、我が国は、後押ししたいと念じています。

 ちょうど一年前、マリの危機に際し、日本は、真っ先に支援を表明した国の一つでした。

 本日は、アフリカの紛争・災害に対応するため、約3.2億ドルの支援の実施を準備しています。

 含まれているのは、例えば、中央アフリカの、アフリカ主導中央アフリカ国際支援ミッションに対する、300万ドルの支援です。

 同国には、日本から、人道支援も実施します。

 また、悪化した南スーダン情勢に対応するため、約2500万ドルの支援も準備しています。

 AUCにも専門家を送り、「カイゼン」はじめ、日本のもつ知的資産をご提供するつもりです。

 昨日はハイレマリアム首相と会談し、ここアジスアベバと、東京を、直行便で結ぶことにしました。

 東京には、2020年に、またオリンピックがやってきます。アフリカの皆さんからは、東京に対して多くの支持を頂戴しました。改めて、感謝申し上げます。

 東京・アジスアベバの直行便が、たくさんのお客さんを、東京に運んでくれることを願っています。

 アフリカは今や、資源がもつ潜在力、経済の成長力で、世界の希望をになう大陸となりました。

 この希望に永続する力を与えるには、アフリカの人々一人、ひとりが、自分たちの能力に自信を持ち、未来を築く努力を重ねていくことが、大切なのだろうと思います。

 そのため、日本と、日本企業には、お役にたてる力があるということを、本日は、申し上げました。

 私自身、アフリカの輝かしい未来に向けた努力を力強く支援するため、必要なら何度でも、アフリカを訪れたいと思っています。

 ご清聴ありがとうございました。