データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] ヴィエトナム国際関係学院における小渕総理大臣政策演説,アジアの明るい未来の創造に向けて

[場所] ハノイ
[年月日] 1998年12月16日
[出典] 外交青書42号,246−251頁.
[備考] 
[全文]

ヴィエトナム政府閣僚の皆様、

ヴー・ズオン・ファン国際関係学院所長代行、

ご列席の皆様、

 本日は、ヴィエトナム政府要人をはじめ多数の有識者の皆様の前で、21世紀に向けてのアジアのヴィジョン、とりわけわが国のアジア外交についての考え方をお話しできますことを光栄に存じます。本日、私にこのような機会を与えて下さったファン所長代行はじめ関係者の方々に厚く御礼申し上げます。

 今回のヴィエトナム訪問は1991年以来7年振りですが、高層ビルが立つハノイの町並みを目の当たりにし、ドイモイ政策によるヴィエトナムの発展ぶりに深い感銘を受けました。ドイモイ政策の実施に当たっては、様々な課題が残されているとも聞いておりますが、戦争の傷跡も生々しい時期に育った私は、長期に亘る戦争のもたらした種々の困難を克服し、国造りに励むヴィエトナムの人々の姿に深い共感を覚えます。また、ヴィエトナムがASEAN加盟後わずか3年でこのように立派にASEAN首脳会議を主催されたことを、私は心から賞賛したいと思います。

 ヴィエトナムのこのような目を見張る発展振りは、ヴィエトナムの人々の伝統に裏打ちされた教育水準の高さからすれば、実は驚くに当たらないことなのでしょう。ヴィエトナムの識字率は9割を越えており、街角は書店が多数並び、賑わう様子をよく見かけます。前回の訪問でも、車窓から、物を売る傍らで熱心に読書をしている人々の姿が見え、心を打たれたことを今もよく思い出します。

 私はこれまで日越友好議員連盟の会長として、或いは日本ベトナム文化交流協会会長として日越関係の促進に尽力してきましたが、今回、日越外交関係樹立25周年という節目の年にヴィエトナムを訪問できたことを大変喜んでおります。私は次の25年間に、日越両国及び両国民間の友好協力関係が更に発展することを確信しています。

ご列席の皆様

 日越両国を初め東アジア諸国は、この四半世紀の間、戦争や植民地支配からの独立の際の動乱による傷跡を克服しながら、世界の他の地域がうらやむような経済発展を遂げてきました。私は、この発展を支えてきたのは、勤勉、忍耐、堅実、他人への心遣いといったアジアの伝統であると考えます。しかしながら、昨年の夏の通貨危機以来、アジア諸国は深刻な経済困難に直面しています。経済危機によって「アジアの奇跡」は崩れ去ってしまったと言う人もいます。しかし、「アジアの奇跡」をもたらしたアジアの伝統と価値は依然として人々の内に息づいており、このことが必ずや21世紀に向けてアジアの再生を可能にするものと確信しております。また、今回の経済危機が連鎖的にアジア諸国に伝播したという事実は、改めてアジア諸国の相互依存関係を浮き彫りにするものであり、アジア諸国が一体となって、必要な改革に取り組んでいくことが今まで以上に必要であることを示しております。私がここで強調したいのは、我々が21世紀に向かうに当たって、我々の中に綿々と生きるアジアの本質というものに今一度立ち返り、これを生かしつつ、アジアが一体となって経済危機克服のために協力していくべきであるということです。

ご列席の皆様、

 さて、我々は、21世紀にはどのようなアジアを築いていくべきなのでしょうか。私は、アジアの21世紀を「人間の尊厳に立脚した平和と繁栄の世紀」にするべきであると考えます。私は、人間は生存を脅かされたり尊厳を冒されることなく、その個性を生かし創造的な生活を営むべき存在であると考えています。国家や市場もそのために資するものでなくてはなりません。しかしながら、国家も市場も、その運営に細心の注意を払わなければ社会的弱者へのしわ寄せなど却って人間の尊厳を傷つけることにもなりかねないことは、我々のこれまでの経験が示しています。我々は、21世紀のアジアを、全ての人々が平和と繁栄を実感でき、誰もが未来はより明るいということを確信できる社会にしなければならないと考えます。そして私は、勤勉と、高い教育水準、すぐれたモノ作りの能力、高い貯蓄率といったその本来の特質を適切に生かしつつ、アジアが一体となって協力するならば、その実現は十分可能であると考えます。

 私は外務大臣であった本年5月、シンガポールにおいて政策演説を行い、21世紀に向けての日本と東アジアの展望として、現下のアジア危機を乗り越え、21世紀を「平和と繁栄の世紀」として新しい世代に受け継ぐべきことを訴えましたが、これはこのような考え方の一端を示したものです。

 さて、目を現実のアジアに転じれば、最近のアジアは多くの困難を経験しております。経済危機は長期化し、政権の安定を脅かしたり、暴動や犯罪の増加を招いたりした例も見られます。また経済危機が、貧困層、高齢者、女性や子供といった社会的弱者に与える影響は深刻化する一方、環境問題等人間の中長期的な生存のための重大な課題についての対応にも制約が生じています。

 また、5月にインドとパキスタンが相次いで核実験を行いました。これは、国際的な核不拡散及び核軍縮のための努力に対する重大な挑戦であり、国際社会全体に大きな衝撃を与えました。更に8月末に北朝鮮が我が国を超える形でミサイルを発射したことは、北東アジアの安全保障に重大な影響を及ぼすものとして、我が国国民を始めとしてアジアの多くの人々を不安に陥れました。その上、北朝鮮は秘密核施設保有の疑惑が持たれており、国際社会に深刻な懸念を引き起こしています。

ご列席の皆様、

 このようなアジアにおいて「人間の尊厳に立脚した平和と繁栄の世紀」を実現するために我々は、何をなすべきでしょうか。

 まず基礎の部分をなすのが、アジアにおける平和と安定の確保です。設立以来31年を数えるASEANの取り組みは地域の平和と安定に重要な役割を担ってきました。近年ではASEAN地域フォーラム(ARF)といった取り組みも軌道に乗っています。そしてこれらアジアでの取り組みを根底で支えるのがアジアにおける米国のプレゼンスであります。その関連で強固な日米安保体制が重要であると考えています。

 さらに、主要国間の協調的な関係の構築が重要です。私は、この10月から12月にかけて、金大中韓国大統領の訪日、私のロシア訪問、クリントン米国大統領の訪日、江沢民中国国家主席の訪日と、アジアの平和と繁栄に大きな役割を有する国々との一連の首脳外交を展開しましたが、これらの国々の首脳とはそれぞれ二国間関係の強化に加え、アジアの平和と繁栄を実現するための方策について真剣かつ率直な意見交換を行いました。緊密な「対話」を通じて「協力」関係を強化し「信頼」関係を深めることが何よりも大切であるとの信念に立ちながら、各国とパートナーシップの構築に合意し、或いはその強化を再確認しました。

 また、私は11月にはAPEC首脳会議に参加し、21カ国・地域の首脳と一堂に会すると共に、アジア太平洋共同体精神に基いた開かれた地域協力を目指しつつ、アジア地域の成長のための基盤強化の方策について話合いました。

 そして本年のそのような取り組みを締めくくるのが本日のASEANとの首脳会議であります。この首脳会議はASEANと日中韓3国との首脳会議の一環として行われますが、このASEAN側のイニシアティブは東アジアにおける広い地域協力の実現を目的としています。こうした目的を支えるためには、北東アジアにおける対話の強化も必要です。私は、この場をお借りして、日中、日韓、中韓の二国間関係が成熟の度合いを深めている現状に鑑み、日中韓という北東アジアの主要国が3国間で対話のネットワークを強化することを提唱したいと思います。例えば、地域の共通課題である環境問題等について日中韓で話し合うことも日中韓3国間の対話のネットワーク形成に向けた端緒となり得るものと考えます。また、私は北東アジアの平和と安定の確保については、現在行われている四者会合の進展に期待するとともに、将来的な検討課題として我が国及びロシアを加えた六者の話し合いの場を設けることを提案しています。

ご列席の皆様

 ここで私は、先程述べたアジアにおける平和と安定、主要国間の協調関係といった基盤の上に、我々のビジョンである「人間の尊厳に立脚した平和と繁栄の世紀」をアジアにおいて構築するためには、3つの分野の努力が重要であると考えます。

 まず第一は、「アジアの再生を図ること」です。アジア経済の回復は、アジア諸国の政治・社会の安定の前提をなすものであり、わが国はそのための牽引車たるべく最大限努力しております。経済の相互依存が進む中、わが国経済の再生はアジア経済の回復にとって重要であり、また、アジア経済の回復は日本経済の回復にとっても重要です。確かに、日本経済はかつてないほど厳しい状況にありますが、私は決して悲観してはおりません。日本経済はこれまで戦後の廃墟からの復興、二度に亘る石油危機や急速な円高などに対して、その都度、国民の懸命な努力により難局を乗り越えてきました。こうした経験こそ日本の強みとも言えます。豊富な対外純資産、高い貯蓄率、先進技術力など日本経済のファンダメンタルズは決して悪くありません。今般策定した、恒久的減税を含めれば20兆円を大きく上回る事業規模の緊急経済対策を始めとする諸施策を強力に推進することにより、日本経済は必ず再生し、アジア経済を再び力強くリードするようになると確信しております。

 同時に、わが国は経済困難克服のため経済構造改革等の努力を懸命に行っているアジアの友邦に対し、今後とも支援を継続し強化していきます。わが国はこれまでに世界最大規模のアジア支援策を表明し、着実に実施しております。

最近のアジア諸国の実体経済の低迷に鑑み、300億ドルの資金支援を含むいわゆる新宮澤構想については早急に具体化を図り、できるものから実施に移します。また、アジア諸国の経済構造改革及び実体経済の回復を支援するための特別円借款として、3年間で総額6000億円の優遇金利の特別枠の創設を決定しました。また、アジア経済の再生にとっては人材育成が重要であり、今回新たに各国産業の中核を担う人材約1万人の現地研修を実施することにしました。更に、大規模かつ急激な資本移動などの問題に対応するため、国際金融システムの強化に積極的に取り組むと共に、米ドル、ユーロと共に国際通貨体制の一層の安定に寄与すべく、円の国際化についても真剣に取り組んでいきます。

 我々が行うべき努力の第二は、「人間の安全保障を重視すること」です。「人間の安全保障」とは人間の生存、生活、尊厳を脅かすあらゆる種類の脅威を包括的に捉え、これらに対する取り組みを強化するという考えです。現在アジア諸国が直面している経済危機は、それぞれの国で貧困層、女性、子供、高齢者といった社会的弱者を直撃し、こうした人々の生存や尊厳に対する脅威となっています。我々は、まずアジア経済危機の影響を受けている社会的弱者対策を緊急に進める必要があり、わが国としても引き続き政府開発援助、APEC等多国間の枠組み等を活用してこの分野の取り組みを推進して参ります。また、我々は、経済危機の中にあっても環境破壊、薬物、国際組織犯罪等といった人間の生存、生活、尊厳を守るために対応が不可欠な中長期的問題についての協力も忘れてはなりません。わが国は、この度、関係国際機関がこの地域で実施するプロジェクトに対する支援を機動的に実施するため、国連に「人間の安全保障基金」を設置するため5億円(約420万ドル)を拠出することにしました。

 また、こうした人間の安全保障に関する問題は人間一人一人の生活に密接に関わることから、NGOを始めとする市民社会における活動が最も効果的に力を発揮できる分野であり、各国政府・国際機関としてもこのような活動への支援・連携が重要と考えます。わが国でも、最近いわゆる民間非営利団体(NPO)に法人格を認めることによってその活動を促進する法律を制定しました。

 第三は、「知的対話をより一層推進すること」です。アジア経済危機をはじめとする我々が直面する諸困難を克服し、新たなアジアの未来を拓いていくためには、アジア地域の英知を集め、その知的成果を蓄積すると共に、政策に反映していくことが必要です。多様な文化が共存するアジアにおいては、そのような知的対話の果たすべき役割が大きいことは明らかです。

 このような観点から、私は5月のシンガポール演説で知的相互協力の必要性を訴えました。これは12月初めに東京で「人間の安全保障」をテーマに開催された「アジアの明日を創る知的対話」として具体化されました。この会議では、アジアの代表的な知的リーダーが集い、人間の安全保障を重視した新たなアジアの発展に向けてのビジョンと具体的方策を議論していただくことができました。この機会に私は、知的対話の第2回会議が来年ASEAN内で開催されると共に、今後中長期にわたって知的交流が一層促進されることに期待と支援を表明します。

 また、21世紀に向けて知的資産への先行投資が重要であるとの観点から、東京に世界からの大学院レベルの留学生や内外の研究者等の交流・連携・情報発信の拠点を建設することとしました。これが、アジアの将来の知性の育成と交流にとっても役立つことを願っています。

ご列席の皆様

 ASEANは設立以来31年に亘り、政治的結束を維持しつつ、加盟国を拡大し東南アジア地域の平和と安定に大きく貢献してきました。また、経済面では域内協力を強化し、貿易・投資の自由化を着実に進めることにより高い経済成長を実現してきました。私は、このようなASEANの結束と努力に改めて支持を表明するとともに、わが国とASEANとの協力及び関係強化の必要性を強調したいと思います。

 昨年の日・ASEAN首脳会議で今後の日・ASEAN協力について広範な分野に亘る合意文書が作成されましたが、この1年間、具体的な協力が着実に進展していることを喜んでおります。昨年の合意に基づき、11月にバンコックで日・ASEAN経済産業協力委員会の第一回会合が開催され、ASEANの産業再生のための協力についての行動計画が採択されたのも、その一例と言えましょう。

 本日の午後から行われるASEANとの首脳会議においては、これらの協力の進展を踏まえつつ、わが国とASEANとの協力についていくつかの新たな提案を行き{前2文字ママ}たいと考えています。特に、わが国としてはASEAN今次公式首脳会議で21世紀に向けての展望と行動計画として「ビジョン2020・ハノイ行動計画」を採択される予定と聞いており、こうした取り組みを高く評価しています。このASEANのイニシアティブを尊重しつつ、21世紀に向けた日・ASEAN協力のあり方を検討し提言するため「ビジョン2020ー日・ASEAN協議会」の設置を提案したいと考えております。民間有識者を中心に構成されるこの賢人会議からは今までにない斬新な内容の提案が行われることを期待しています。

 また、今般、ASEAN創立30周年を記念して設立された「ASEAN基金」が活動を開始したことに伴い、本年5月私がシンガポール演説で表明した2000万ドルを「日・ASEAN連帯基金」として拠出する運びとなりました。この基金が今後、教育、人材育成、ビジネス交流等ASEANの発展と日・ASEAN協力関係の強化のために活用されることを期待しています。

ご列席の皆様

 アジアは長い歴史と伝統、多様な文化を持つ豊かな地域です。現在アジアは様々な困難に見舞われていますが、アジアがこれまで追求してきた、アジア本来の特質を生かしつつ民主主義や市場経済といった普遍的価値を実現していくという方向は間違っていないと考えます。アジアが現下の危機を克服して「人間の尊厳に立脚した平和と繁栄の世紀」を実現するためには、将来に希望と確信を持ちながら、アジア本来の特質を生かしつつ共に努力していくことが重要であると考えます。我々はその過程で新たな明日のアジアを築き、広く人類全体の歴史に貢献できると信じています。

 ご清聴ありがとうございました。

 カム・オン・ザットニュー(ヴィエトナム語で大変有り難うの意)。