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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 沖縄復帰二十五周年記念式典における式辞(橋本龍太郎)

[場所] 
[年月日] 1997年11月21日
[出典] 橋本内閣総理大臣演説集(上),619−625頁.
[備考] 
[全文]

一、本日、内外の多数の賓客のご参列を得て、ここ沖縄の地で、大田沖縄県知事を始めとする沖縄県民の皆様のご支援により、沖縄復帰二十五周年記念式典を開催できますことは、私の深く喜びとするところであります。

 本日十一月二十一日は、昭和四十四年の佐藤総理とニクソン米国大統領の共同声明により、沖縄の本土復帰が決定した記念すべき日であります。沖縄の方々を含めた国民全体の悲願でありましたこの歴史的事業が実現した背後には、揺るぎない日米間の信頼のきずなと、これに携わった日米両国の関係者の平和と安定に対する永続する熱意があったものと理解しております。ここに改めて、当時ご尽力いただいた諸先達に感謝いたしたいと思います。

 一方、こうした歴史の変化の根底に、美しい自然と文化にはぐくまれた、平和で豊かな沖縄を希求する沖縄県民の皆様の絶ゆまざる努力とエネルギーが、過去幾多の試練に耐え、脈々と流れていることを忘れてはなりません。この流れは、一木一草に至るまで焼き尽くした沖縄戦の焼け跡から人々を立ち上がらせ、本土復帰を実現し、その後の沖縄の発展の大きな原動力となりました。本土復滞後の沖縄経済は、着実な発展をしてきております。政府は、こうした沖縄の発展を支援するため、法制を整備し、三次にわたる沖縄振興開発計画を策定して、さまざまな事業を展開してまいりました。その結果、この二十五年を振り返ると、社会資本の整備や、経済水準の向上に多くの成果が挙がっております。もちろん、まだ解決すべき問題も少なからず残っております。

 私は、「対馬丸事件」の援護事業をきっかけとして、若い頃から沖縄に関わり、また政治家としても、「沖縄の復帰なくして戦後は終わらない」と語った佐藤総理に学んでまいりました。そして、昨年一月に総理に就任してからは、沖縄に係る諸問題を国政の最重要課題として、先頭に立って取り組んでまいりました。本土復帰後四半世紀を経て、沖縄の在り方をめぐっては、今また真剣な議論と取組みが求められております。次の四半世紀は、二十一世紀の沖縄の発展のために、新たな展望を切り開いていかなければなりません。本日の記念式典につきましては、そうした沖縄の力強い新たな出発点を記念する特別の意味も込めて、これを開催することといたしました。

二、沖縄の未来を語る場合に避けて通れないのは、現在沖縄本島の約二〇パーセントを占めている米軍基地の問題であります。日米安全保障体制は、日米両国のみならず、アジア太平洋地域の平和と安全にとっても極めて重要な枠組みであり、そのため日本は、日米安全保障条約上の義務を果たしていかなければなりません。そして、こうした負担は、本来、国民全体で分かち合うべきものであります。しかしながら、日本における米軍基地の七五パーセントが沖縄に存在することを始めとして、これまで沖縄に過重に負担が強いられてきたこと、そして、そうした状況が沖縄に与える影響の重みについては、我々の認識が十分であったとはいえず、国民全体として反省しなければなりません。

 沖縄における米軍施設、区域の整理・統合・縮小は今後とも着実に取り組んでまいります。

 昨年十二月には、日米両国が最大限の努力を払った結果、普天間飛行場を始め米軍施設・区域の約二一パーセントの返還等を内容とした「沖縄に関する特別行動委員会(SACO)」最終報告が合意されました。これを的確かつ迅速に実施することが、沖縄の負担を一日も早く軽減する最も確実な道であり、今後ともその実現に向けて、関係各位のご協力を得つつ、全力を挙げて取り組んでまいります。

 その中でも最重要の課題は、普天間飛行場の返還とその代替施設の建設であります。大田知事との最初の会談で、市街地の中に存在する普天間飛行場の危険性に関し、知事の強い懸念を伺い、私はそうした状況を一刻も早く解消すべきであると考え、直後のクリントン米大統領との首脳会談でこれを提起し、昨年四月、合意に至ったものであります。安全、騒音、自然環境などを考慮し、現時点における最善の選択肢として、普天間飛行場より規模を大幅に縮小し、必要が無くなった場合には撤去できる海上ヘリポート基本案を、先般、地元の皆様に提示いたしました。

 普天間飛行場の返還を一日も早く実現したいとの思いと、日米安全保障体制の必要性を考慮し、ぎりぎりの現実的な選択肢として、海上ヘリポート案を提示したものであり、是非、沖縄県民、とりわけ受入先となる地元の皆様には、この趣旨をご理解いただきたく、お願いするものであります。

三、次に、沖縄のこれからの発展について申し上げます。私は、昨年九月、「総理談話」において、またその後の「県民に語るメッセージ」の中で、沖縄県が地域経済として自立し、雇用が確保され、県民の生活の向上に資するよう、また、我が国全体の発展に寄与する地域として整備されるよう、全力を傾注してまいることをお約束いたしました。これを受けて、政府においては、知事にもご参画いただき、沖縄政策協議会を設置し、全省庁挙げて基本的な沖縄振興策づくりに取り組んでまいりました。そうした中で、海外の大学院への留学生派遣、国立組踊劇場(仮称)の整備に向けた進展、航空運賃の引下げの実施、マルチメディア関連事業の展開のなかでのNTT番号案内センターやベンチャー企業の誕生、沖縄での各種国際会議の開催、雇用開発推進機構の設立など、徐々にではありますが成果が現れてまいりました。これらの他にも、沖縄振興のための特別の予算措置による各種の事業が、沖縄政策協議会の下で実施・検討されております。

 また、先に梶山前官房長官の下で設置された、いわゆる島田懇談会においても、市町村から広範な要望が出されております。逐次予算化を図ってきているところでありますが、さらに地域発展に資する施策を地元とともに考えてまいります。

 戦後五十年を経た今日、アジアにおいては、市場経済化への大きな改革の波が押し寄せております。この大競争の時代において、経済構造改革の推進が、我が国全体にとっても必須の命題となる中で、沖縄にあっても、国際的視野のなかで、経済自立化に向けた民需主導型経済への円滑な移行が課題となっております。

 以上のような情勢認識に立って、沖縄の持つ地理的、文化的特性と、かつて万国津梁(ばんこくしんりょう)の精神のもとでアジアに大交易時代を築いた県民特性を活かし、二十一世紀の沖縄の発展の在り方を追求してまいります。このため、基本的なアプローチとして、第一に、加工交易型産業の振興、第二に、観光・リゾート産業の新たな展開、第三に、国際的なネットワーク化を目指した情報通信産業の育成、第四に、これらを育む国際的な研究技術交流の四点を重視したいと考えます。

 こうしたアプローチから、政府として、以下五点の沖縄経済振興策を講じてまいりたいと考えます。

 まず第一に、国際的な産業交流が活発に展開されることを期して、新たに特別の自由貿易地域制度を設けることとし、その地域に設立される法人の地域内で生じた所得につき、相当程度、税負担を軽減する措置を講じることといたします。

 第二に、これまでの工業等開発地区などとともに、新たに地域や事業者を特定して、中小ベンチャー企業、観光産業及び情報通信産業について、沖縄経済の発展に資する内外の投資を促進する観点から、所要の税制措置を講ずることといたします。また、ビジネスサポート機能の強化など、ソフト面の施策についてもその充実を図りたいと考えます。

 第三に、観光・リゾート対策の一環として、沖縄型のデューティーフリーショップの設置を支援するとともに、かねてより懸案とされていた査証手続の簡素化・合理化を図ってまいります。

 第四に、こうした経済振興の側面支援措置として、通信、空港、港湾等インフラの効率的かつ効果的な整備、亜熱帯特性を活かした研究開発及びアジア・太平洋諸国との交流を加速化させるために、先般の沖縄・ハワイ会合が先導的に示したような、国際交流拠点沖縄の形成を積極的に支援してまいりたいと考えます。

 第五の観点として、以上のような対策が所期の成果を挙げるうえにおいても、人材の育成こそが百年の計として重視されなければなりません。国立高等専門学校の設置、沖縄職業能力開発短期大学校の大学校化を着実に実現するとともに、さらなる対応について検討を加えてまいりたいと考えます。

 沖縄の地域振興を考えるに当たり、県土の均衡ある発展に目を向ける必要があります。豊かな自然を有し、大いなる発展の潜在的可能性を有する北部地域の振興は、政府にとっても積極的に取り組むべき課題であります。市街地再開発、港湾などの基盤インフラ整備や、女性の社会参加への支援、北部の水と緑と観光の地域づくりの促進などが重要な課題であり、地元と相談しながら真剣に検討を進めてまいりたいと考えております。

 以上のような考え方を骨子として、沖縄経済振興の在り方についてさらに検討を深め、来春を目途に、沖縄経済自立化に向けて重点的施策の具体的体系化を図り、仮称ではありますが、「沖縄経済振興二十一世紀プラン」をとりまとめたいと考えます。新しい全国総合開発計画においても、今後の沖縄振興の基本的方向を明らかにしてまいりたいと思います。また、沖縄の重要性にかんがみ、沖縄振興に係る特命担当大臣を置き、予算の一括計上を認めることといたします。

四、今年八月、米国をはじめ海外の大学院に留学する沖縄の十人の若者が官邸に私を訪ね、代表の女性から、「二十一世紀の国際都市・沖縄を実現する中核となれるよう、しっかり勉強します。」と力強い挨拶を受けました。この十人の留学生と二十五人の同時通訳者養成機関研修生の県外派遣は、私が知事と一緒に、国際化に対応できる人材育成として考えた施策です。ちょうど二十五年前の沖縄の本土復帰前後に生まれた彼らが、真摯に、かつ希望に満ちた美しい笑みをたたえ、これからの沖縄を形作っていくという重責に向かっていく姿を見送り、私は、沖縄の未来が、彼らに託されていることを実感いたしました。

 二十一世紀の沖縄の在り方を考える上で、私は、八月に当地を訪れた際に、沖縄の美しい自然や今も躍動する独自の伝統文化、広がりと包容力を持った優しい気風などについて、これらは、本土にはない、あるいは失われつつある文化と言えるのではないかと申し上げました。そしてこうした文化を大切にし、経済の発展や産業の振興と調和していくことは、これからの二十一世紀の社会を考えていく上で、非常に重要なことであると思います。

 今、沖縄は、その地理的特性と国際交流の歴史的伝統に根ざし、開かれた交流と世界への貢献を目指して発展する道を選択しようとしています。他を排斥する文化ではなく、他を包容する文化を育て、自他の交流を通じて自らも発展し、豊かになる在り方。それは、沖縄県民の平和と発展を希求する努力とエネルギーに根ざす道であろうと思います。私は、この道が決して容易なものであるとは思いません。次の二十五年は、発展の希望に満ちたものであると同時に、また、乗り越えなければならない幾多の試練を抱えているでしょう。しかし、この沖縄の挑戦が、やがて沖縄独自の価値を生み出し、それが、日本の社会、経済、文化の不可分の特色として、日本全体を豊かにしていくことを期待し、またそのお手伝いをさせていただこうと思っております。

 今日、沖縄がさまざまな形で議論されることにより、私たちは、かつて無いほどにお互いのことをよく知り、理解するようになってきたのではないかと思います。ここに芽生えた信頼のきずなを、二十一世紀に向けてますます強固なものとしていかなければなりません。そして、こうした信頼のきずなで結ばれた国民全体が、希望に満ちた明日の沖縄を、一緒になって作り上げていく決意を、本日の式典により改めて確認したいと思います。そうした意味で、本日は、単に過去の二十五年を振り返るのみではなく、未来に向けて、意義深い、重要な一歩を記すものであることを確信し、沖縄の今後の力強い発展を重ねて祈念申し上げ、私の式辞といたします。