データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 第十回自由民主党軽井沢セミナーにおける講演,転換期の世界情勢と日本の課題(海部内閣総理大臣)

[場所] 軽井沢
[年月日] 1991年7月28日
[出典] 海部演説集,591−608頁.
[備考] 
[全文]

 世界のために日本が果たすべき役割

 第十回という記念すべき軽井沢セミナーにご参加いただきましたことを、党総裁として心からお礼申し上げます。皆さまの日頃からのわが党に対するお力添えによって、私どもも日々着実に政策努力を続けることができるわけですから、内外多端な折、引き続き皆さま方の一層のご理解を心からお願い申し上げます。

 さて、私は昨年のこの席で、歴史を大きく振り返ると六十年を節目に大きな変化があった。六十年前には世界大恐慌があり、その六十年前には、「明治維新」といわれる日本の近代化、大きな改革が行われたと申し上げました。

 昨年のこのセミナーから一年、この間に光と影の両面がありましたが、まず一つは八月二日にイラクのクウェート侵攻という湾岸危機が起こり、国連が初めて世界中の知恵と力を結集してイラクを制裁し、クウェートを解放するという大きな変革が起きました。そしていま世界は、人間が人間を侵略することはこれで最後にしなければならないということに英知を集めております。

 それを影の部分とすれば、光の部分は十一月に世界の百五十八か国と二つの国際機関の代表の出席を得て、天皇の即位の礼が行われ、日本は名実ともに平成時代への第一歩を踏み出しました。

 私は、日本が世界のために果たしていかねばならない大きな転換期がまさに今だと心得ております。そこで今日は、私が最近体験してきた世界政治の中の日本の立場、特にロンドン・サミットと世界情勢、国内問題では政治改革を中心に皆さまのご理解とご協力をいただけますように、幾つかの点についてお話を申し上げたいと思います。

 最初にサミット(先進国首脳会議)について、今年の六月にブッシュ米大統領から、ケネバンクポートにある別荘に「サミットに行く前に寄っていかないか」と招待を受けました。四月にも日米首脳会談はしましたが、ご承知のように日米関係は一番大切な二国間関係であり、湾岸危機をめぐって批判や不満、誤解もあった直後でしたから、私は日米関係がしっかりしていることが一番大切だと考えてロンドンへの途中、立ち寄ることにしました。

 私は向こうで、請われるままにテレビの座談会も時間を区切らずに長時間出るように努めました。そして標語のようになってしまった「日本の貢献は遅すぎる」「少なすぎる」と言われたことに対して、私は言いました。

 「日本は議会制民主主義の国で、法律を通さなければいろんなことが出来ない仕組みになっている。平和回復活動のために最初の分から入れると総額百億ドルを超える支出をしてきた。最初の十億ドルは予備費の中から緊急支出が出来たが、二度目と三度目は補正予算を組まなければ出せなかった。しかもそれは国民に増税をお願いしてまで出したものです。世界中で、国連の決議に基づく平和回復活動に、増税までして法律を作り、予算を通し、拠出した国が他にあったでしょうか。このように日本は出来る限りの努力をしたということを、どうか理解してほしい」ということを繰り返し主張してきました。

 こういう現実を言い続けると同時に、新しい世界の秩序を構築していく時に、出来ることと出来ないことをはっきり表明することも大切な責務だと考え、アメリカで主張しました。ブッシュ大統領も今回の共同記者会見で、日本の努力を高く評価したわけです。

 ソ連の市場経済移行には日本がいい手本

 最近『ワシントンポスト』に載った印象深い記事の中の見出しで「日米関係はお互いにバッシング(叩き合い)をするよりも、同じ方向を向いてバスキング」−−日なたぼっこをしながら同じ方向を向いて共に何をしたらいいかを語り合う間柄になるべきだ、という記事に非常に感銘を受けて、今後とも何を共通にできるだろうかということを、共に考えていくのが、日米関係の基本だと思っております。

 今回、ケネバンクポートの別荘でお話したことの一番のポイントは、ロンドン・サミットではソ連にどう対応するかを、日米でまずよく話をして、いまヨーロッパが考えているようなこと、ゴルバチョフが考えているようなことに対して、どうすることが世界のためになるかと徹底的に話し合おう−−これに一番大きな時間をかけました。

 ゴルバチョフ大統領とは今年の四月中旬、東京で日ソ首脳会談を致しました。私の計算では首脳会談を六回、延べ十三時間余ですが、ゴルバチョフは記者会見で「休憩をはさむと八回、ギネスブックに載せてもいいくらい長時間やったが、平行線だった」と言いました。私も同感、平行線でした。

 日本とソ連は隣同士の国なのに、まだ平和条約も結ばれていない、この不自然な状態を解消したい。ソ連は今、ペレストロイカ(立て直し)に向け、大改革を進めており、後戻りできない状況になっている。

 これに対して日本も協力していきたい。例えば、最近テレビをにぎわした国営市場の売店に食料品が並んでいない。食糧の緊急援助をしなきゃならん。あるいは医療の緊急援助も。チェルノブイリ原発事故による被害にも、日本は医学的な努力もしたいと考えております。

 また、海部内閣になってからだけでもソ連が六回も経済改革や市場の価格形成メカニズムの調査団などが来ておりますが、私は喜んでその度に何回も応対しています。

 一番興味を持たれたのは、ソ連が市場経済に転換する場合、アメリカ流やイギリス流があるようだが、どうも日本流のやり方のほうが役に立ちそうだと。戦後ゼロから出発して四十五年間でこれだけの経済的活力を持った日本には、中小企業とか個人商店というのがあって、それが多くの分野で社会の底力になっているので、そういったことを詳しく調査したいと言うんです。

 日ソ平和条約の締結にまだ曲折

 ソ連とは、日本のテレビ局とソ連の人工衛星が一緒になって地上を映す共同作業をする。サハリンの坊やが火傷をして手に負えないと、札幌や新潟に運んで日本の医者が治療する。

 実に幅広くいろんな分野で協力できるようになっていますし、ソ連の近代化のために技術支援や知的協力はできるだけしているんだから、肝心なことを一つ忘れないように。「平和条約がまだ結ばれていない」ということです。

 それは北方四島の問題で、日本の主催がまだ回復されていないところに問題があるんだから、そこをソ連も歩み寄ってほしい。我々もできるだけ歩み寄って、拡大均衡路線で完全に片づくように努力したいと言って、何回も話したんですが、四月の会談は平行線で終わりました。

 ただ、それまで「領土問題は存在しない」とか、四島問題について触れたがらなかったソ連が、共同宣言に「歯舞{はぼまいとルビ}、色丹{しこたんとルビ}、国後{くなしりとルビ}、択捉{えとろふとルビ}の四島が日本との間にあって解決しなければならない領土問題であり、この問題を解決して平和条約を結ぶための作業を加速化することが両国にとって一義的に大切なことである」と明記されたことは一つの大きな成果でありました。

 しかし、それにはさらに突っ込んだ交渉が進められなければなりません。十五の協定を結んで、今後、技術協力はもっと進めていくということも、文化協力も人的交流も書いてありますが、領土の方はまだ進んでいません。

 ヨーロッパのほうでは「日本は北方領土問題があるから、ソ連への援助には腰が引けているのではないか」といった報道が流れてきたことはご承知のとおりです。

 そこで私はブッシュ大統領に、ユーラシア大陸の西側では米ソ首脳会談によって、冷戦の終結が実現し、東欧諸国では共産主義からの訣別が行われ、本家のソ連でさえ自由と民主主義の国に変わろうと、好ましい姿がどんどん出てきている。

 それを今度はユーラシア大陸の東端のアジア・太平洋地域にも波及させることが、世界の平和と繁栄のために大切だ、ヨーロッパだけでなく、アジアの安定と平和のためにも、共に心を砕き、注目してくれるのが世界のリーダーの責任だろうと言いました。

“新思考外交”のグローバルな適応を

 日本の立場について私は、今度のサミットで北方領土を片づけなければ支援しないとは言わない。ソ連がペレストロイカを成功させることには賛成だし、ソ連が市場経済に参入してきて、これからの世界をどうするかを共に話し合える国になることを願って、できるだけのことをしたいと決意しているので、ソ連にはそれができるよう、新思考外交をグローバルに適応するように言ってくれませんかと言ったんです。

 その頃、ソ連が市場経済へ移行するためのヤブリンスキー提案とか、パブロフ提案とか、いろいろな案が出ていたことはご承知のとおりです。

 大統領側近のプリマコフさんが首相官邸に訪ねて来られたときに、私は率直に「あなたはゴルバチョフ大統領の懐刀と言われる方ですが、一体どちらの提案に近い考えを持っているんですか」と聞いたら「あれは九〇パーセントぐらい同じで、似たようなものだ」と。

 市場経済を目指すということでは同じような案ですけど、両方の言っていることは随分違う。スピードも方法も違うじゃないかと言うと、「サミットの時にはゴルバチョフ大統領自身が書き込んだ新しい案を出すから……」ということでした。

 ロンドンに到着してから貰った手紙を見ると「ソ連は市場経済に転換していく。ただ、途中に混合経済という場合もあるし、社会主義的な経済体制の基盤もある」ということが書いてあったり、「企業の国有化、公有化、私有化と企業にはいろいろな形態があるが、そのどれを選択するかは国民の自由にさせるから、まさに自由経済だ」というようなことがソ連の最近の報告書にも出ております。私はそれについての疑問は聞かなければならないと思います。

 また、共和国と連邦のどちらが税金を取る権限をもつのか。そのへんの中央政府と共和国との権限を明確にしてもらわなければならない。そういう基本的な問題について納得できたら、日本はできる限りの技術支援をG7の国々と一緒になって行うから、外交のグローバルな展開についても考えていただきたいと。

 私は四月の東京会談でもゴルバチョフ大統領に「あなたは、かつてのスターリンの膨張主義の誤りを正すんだと言って、ペレストロイカや新思考外交を打ち出した方じゃないですか。だからノーベル平和賞も得られた。そのグローバルな新思考外交で、スターリンの膨張主義の誤りをアジアに向いても修正してもらわなければいけません。そのことがあなたの新思考外交を本当に花開かせることになると思います」と。

 今度もそういうことを言うつもりですから、どうぞ助言して下さいとブッシュさんに言ったわけです。

 ブッシュ米大統領の言い分に理解

 アメリカは日本の立場を十分理解して「ヨーロッパに対しても同じような立場でものを言うけれども、俊樹、アメリカとしても言いたいことがあるんだ。我々もソ連の市場経済への移行を願うけれども、国家予算の二三パーセントも二五パーセントも軍事費に使い、通常兵器の軍備管理や中距離弾道弾の全廃条約は結んでいるけれども、長距離ミサイルは依然として残っている。どこに向けているのか。標的は言わずと知れた私のところだろう」。

 それから、キューバに毎年十億ドルを超える軍事援助をし、アジアにもベトナムにも多額の軍事支援が行われ、紛争の起こっている世界の多くの地域に今なお軍事援助を続けているような“余力”のある国に資金協力するのは何に使われるかわからない。

 そのへんの体質改善をきちっとし、軍事予算を削減して、軍需生産を民需中心に転換することが明確にならない限り、日本の主張に自分も賛成だ。

 ソ連が本当に歯を食いしばって体質改善するためには、むしろ世界銀行とかIMF(国際通貨基金)などの機関が必要な支援をし、親身になって教え、協力する。そのための技術や人の支援はするが、そこで止めておかないと本当の体質改善にはならないんじゃないかと。

 その点で日本とアメリカの立場は基本的に一致しました。ロンドンでは昨年までのサッチャー首相に代わって、蔵相だったメージャーさんが首相になっておられました。私とメージャー首相の間でも右のような基本的な考え方で一致しました。

 私は、サミットの場でもそうした日本の立場を述べ、参加各国の考え方も聞きながら、とにかくソ連に対しては、本当に自由と民主主義の国になってもらうための支援・協力を今後できるだけやっていく。そうしながら北方領土問題と平和条約のことは拡大均衡路線で前進させていく。サミットの政治宣言などにもそのことは明確に、参加国すべてが認めて書き込まれておりますから、例えば、私が自由民主党公認候補になったように、G7公認候補に北方領土問題もなったわけです。

 国際社会において新思考外交がグローバルに展開されて、ヨーロッパで出来たことはアジアでも出来なければならん、ということがきちっと固まった。

 私はこれを大切にしながら今後、自由民主党の外交政策の中に、これは忘れないで打ち立てていかねばならないテーマであると思っております。

 武器の移転に反対し、国連の機能強化を強調

 もう一つ、湾岸危機に関して批判を受けた国会の予算委員会論議の最中に「日本には顔がない」と言われました。「世界の平和と安定を望むと言いながら、おカネは出した、品物は出したと言うだけで、何もしなかったではないか」とお叱りを受けました。

 何もしなかったのではない、やろうと思っていろいろ試みたんですが、残念ながら世論と与野党論争の壁があって、結果としてご承知のような状況になったわけです。

 あの時、私は第二、第三のイラクのような国をつくらない努力を日本が積極的にやることはできるし、やるべき義務があると考えました。

 特定の地域にずば抜けた兵器を持つ強国ができると、それが第二、第三のイラクを生む土台になる。そこで大量破壊兵器である核兵器を究極的に廃絶する。当面は拡散を禁止する。化学兵器、生物兵器も禁止する。

 皆さん、あの湾岸戦争中に、イラクが直接戦争には参加していないイスラエルにスカッド・ミサイルを盛んに撃ち込んだことを覚えておられるでしょう。あのときイスラエルが直ちに反撃に出てミサイルを撃ち返していたら、湾岸危機は質を変え、戦場をさらに拡大していたでしょう。

 私は、歯を食いしばって耐えたイスラエルの勇気をたたえるとともに、再びあのようなミサイルの拡大、移転は認めないということで今、国連がイラクのミサイルを完全に破棄させることを決議し、実行させているところです。大事なことは、通常兵器の移転を野放しにしないということです。

 日本は今日まで自国を守る節度ある自衛力を整備してきましたが、「武器輸出三原則」をもって、紛争に加担するような無秩序な武器移転はしてきませんでした。

 率直に言って、国連安保理事国の米・ソ・英・仏・中五か国が世界で一番多く武器輸出をしていることは間違いないところです。紛争や侵略といったことを二度と起こさないように、私は国連と相談して五月末、京都で国際軍縮会議を開催しました。

 その基調演説で私は二度と再びあのようなずば抜けた武器を持った国を作らないためには、国連の機能をもっと強めるとともに、武器の移転は国連に報告し、もって透明性と公開性が維持されなければならない、ということを日本の責任・義務として強く訴えたのであります。

 アジア地域での平和と民主主義の動き

 そのことがサミットの宣言にも盛り込まれましたので、日本は秋の国連総会で重ねてこれを訴え、国連にそのような体制・仕組みが出来ていくよう、引き続き努力していきたいと考えております。

 日本はアジア地域からサミットに参加している唯一の国です。参加各国の人々にはアジアのことにも目を向けてもらわなければなりません。

 ソ連を自由主義経済の仲間に入れようとみんなで考えるならば、アジアには、東西両陣営の枠組みで議論することはできませんけれども、中国という大国があります。中国はG7の場ではいろいろと厳しい批判を受けたりしましたが、その経験を踏まえて改革開放路線をとり、人権問題についても、一歩前進二歩改革の努力を自ら続けるようになってきております。

 中国を国際社会で孤立させてはならないし、その改革開放路線を隣国日本はできるだけ手伝わなければなりません。昨年のサミットで日本は、第三次円借款を始めるために他の国々に主張したわけですが、最近のアジア情勢は、中国の隣りのモンゴルが、七十年ぶりに社会主義、共産主義体制から自由と民主主義に変わると宣言し、いま苦しい歩みを始めております。世界はもっとこういうところに温かい目を向けなければならない。

 朝鮮半島では今、いろいろな障害を乗り越えて南北の平和的な統一をしようと努力している。カンボジアの四派の代表と日本は和平への話し合いをしてきましたが、ようやく実現への燭光が見えてきました。アジアでのこのような平和と民主主義への動きに対して、サミット諸国の注目と関心を持ってもらうよう、私は日本の立場をしっかり申し述べてきました。

 ECは日本の自動車輸出問題を重視

 ロンドンからの帰途、EC(欧州共同体)と初めての首脳協議に出てきました。ECは今まで日本に対して「アメリカとは非常に仲がいいが……」と言って、最近の貿易の帳尻を見せて「アメリカからの輸入は増え、アメリカへの輸出はだんだん少なくなって、貿易インバランスは収まってきている。反対にEC諸国に対しては最近また輸出が増え、ECからの輸入が減っている、どういうことか」と公の席で怒られます。

 そこで私も数字を出して「三年前の日本とECの貿易バランスを見て下さい。今日まで三年間、日本は内需中心の経済の拡大を続けて、輸入をどんどん増やし、ECと日本の貿易インバランスも三年間で十五億ドル是正したじゃありませんか」と言いました。

 ただ、この四か月ぐらいを見ると、それがまた反転し、上昇気味になっております。向こうも、この四か月のことを言うわけです。私は「この四か月の問題点はどこにあるかというと、ドイツが東独を統一して、需要がうんと増えたために、ドイツの輸入も増え、EC圏内からの輸入だけでは賄いきれないという事情もあって、日本からの輸出が増えたんだ。ドイツ統一という特殊事情があったことを考慮してほしい」と説明しました。

 さらに「最近はアメリカの景気がやや減速気味で、この数か月、日本からだけでなく、ECやアジアからの輸入も減速気味になっているんだから、そういうバランスも見て下さい。しかし出来る限りの努力を日本はしているし、貿易インバランスだけを語らずに、もっと幅広く政治的な問題まで含めて議論するようにしたい」と申し上げました。

 今、EC側が一番問題にしているのは、日本の自動車輸出の問題です。それもECの域内へ日本の企業が出て行って生産している自動車の台数もトータルしての発言ですから、私は「それは困る。ECとの共同宣言を作るためにも、そういう問題だけは分離してもらえないか」と強く言いました。

 企業が進出して現地生産するということは、単純な輸出入の関係ではなくて、現地に雇用を創出し、そこの産業を刺激する面があるわけですから、日本の協力ということも評価して、日本から直接輸出されてくる車と現地生産の車は質が違うんだと考えてもらわないと話が前進しません。

 これはもう少し将来の課題として検討することにしてきましたが、今後は、アメリカとヨーロッパの話し合いがうまくいき、日本とアメリカの話し合いもよく出来ているように、日本とヨーロッパもいろんな面で話がはずみ、相互理解が進むようにしなければならないと感じました。これがECとの今度の協議の結論ということでしょう。

 雲仙・普賢岳の被災者への対応

 日米首脳会談、サミット、ECとの協議と十日間にこれだけのことをして帰国しました。国内問題に入る最初に、私はまず、雲仙・普賢岳の噴火で亡くなられた方々、ご遺族の皆さまに、心からお悔やみを申し上げますとともに、今なお避難生活を続けておられる大勢の方々に心からお見舞いを申し上げます。

 私も現地にお見舞いに行って、激励もしてきたわけですが、実は私自身、三十年前、初めて衆議院選挙に立候補しようと志を掲げた時、私の郷里はあの伊勢湾台風によって水没しました。長い間水が引かなくて、近所の公民館や学校で多くの人々が避難生活をされたこと、そこへお見舞いに行ったことを思い出しました。

 伊勢湾台風の時は、必ず水が引く日がくる、堤防が直ればいずれ元に戻る、というひとつの目途がありました。しかし雲仙岳はいまなおマグマが活動していて「今後どういう状況が起こるか予断を許さない」と学者の方々が言っておられます。今後起こる結果や、先行きの見通しが分からない不安に対しては、私はより大きな心の痛みを感じます。

 一昨日も長崎県知事さん、島原市長さん、深江町長さん、県議会の皆さんがお出でになりました。政府は今、できるだけの対応をしておりますが、どうにもならない時は党ともよく相談して、法律が必要なら法律に訴えてでも対応していかねばならないと、検討を指示しているところであります。

 証券・金融問題では断固とした措置を

 次に、これは楽しくない話ですが、帰国後すぐ取り組まされたのは証券会社・金融業界にまつわる不明朗な事件でした。

 直ちに大蔵大臣に厳正な対処を指示しましたが、大蔵省もこれまでに監督者として、インサイダー規制をきちっとするとか、株式保有の五パーセント公表条件を取りつけるとか、できるだけの証券取引法の改正もしてきたし、また聞けば「損失の補てんをしてはいけない」、あるいは「無記名の口座取引はいけない」という通達も出したのに、あのようなことが起こって、これだけの不信をかったと言っております。

 法律を改正してでもこのようなことが二度と繰り返さないようにしなければならない。今や金融市場というものがこれだけ国際化した世の中ですから、日本の一挙手一投足が直ちに世界の金融市場にもつながっていきます。

 内外の市場をこれ以上混乱させるようなことがあってはいけないので、私は損失補てんの実態を自主的に公表していただきたいと思います。そして業界の皆さまには、二度と繰り返さないための決意を示してもらう。

 また、大蔵省には証取法の改正を踏まえて、再び起こらないような仕組みを作っていくことが大切だと考えて、このことも大蔵大臣に指示しました。今後のことについては、どういう点が必要になってくるのか、行政改革審議会でも国民的な立場で議論していただき、日本の証券業界、もっと広く金融業界の明朗化と公正のために、きちっとした形を整えていきたいと思います。

 「政治改革」には不退転の決意で

 最後に申し上げたいことは、八月五日から始まる予定の臨時国会に、政府が提案いたします「政治改革」に対して、皆さまのご理解とご協力をいただきたいということです。

 海部内閣が誕生した二年前、私が自由民主党の総裁選挙で選ばれました当時、わが党は国民の皆さまから極めて厳しいご批判を受けました。リクルート事件など一連の事件の反省から、党は「政治改革大綱」を作って、政治倫理の確立と、政治不信の最大の原因である政治と政治資金のかかわりについて、もっと透明にきれいにしようということをいろいろ議論し、対応策を考えました。そして、一部は既に実施されています。

 昨年二月の総選挙のときから公職選挙法を改正し、政治家は有権者に対して買収行為と思われるような寄付行為など、カネを使ってはいけないと、法律でまず一つ区切りをつけました。これだけではいけないことは私も十分自覚しております。

 「政治倫理」に関しては、政治家の資産公開の法律を作って国会に出す。政治活動のためにいただいた政治資金を、個人で使ったのか政治活動に使ったのか分からないというのが一番疑惑を招くので、政治倫理確立のための資産公開法を国会に出しました。

 また、昭和六十年に「国会議員の倫理綱領」を作ってありますので、これをきちっと守るための倫理審査会を拡大強化しようという案を自民党から議長に提出してあります。以来二年間、党の政治改革本部で一生懸命、議論しました。

 二年間で三百三十八回も会議をしたという記録が事務局にあります。そして昨年十二月に自民党で党議決定してもらったのが「政治改革基本要綱」であり、今年五月にもう一回決めてもらったのが「法案作成要綱」であり、六月に政府が作り上げたのが「政治改革関連三法案」であります。

 そして小選挙区の区割り案は、政府や自民党がやりますとまた批判を受けますので、政府の選挙制度審議会にお願いしました。この審議会は学者、文化人、マスコミ界など日本の各界の代表がそろっており、情実なしの純学問的に区割りをしていただきました。これらを八月からの臨時国会でご審議いただくわけであります。

 私は、政治改革は自由民主党にとって時代から与えられた「宿題」だと思っております。どん底からスタートした海部内閣が取り組まねばならないのは、まさにこの「政治改革」であると自らに言い聞かせ、不退転の決意で取り組んできたつもりであります。

 先だって、衆参両院の合同議員総会に行きましたら、ある方が「もう少し議論したらどうか。非常に大事な問題だから」と言われました。しかし、一昨年の参院選挙であれだけお灸をすえられて、その後二年間に三百三十八回も議論して、地方に出かけてご意見を聞き、若手議員の皆さんには外国の選挙制度も見てきていただきました。

 内外の調査も視察も全部終わった結果で言えることは、何としてもおカネが必要以上にかかりすぎないようにしようということでした。必要なカネは集めなければならないけど、それをどう集め、どのように使ったかということが明らかになることが大事です。

 カネ集めの労力を国のため、地方のために

 自民党の一、二回生議員の有志でユートピア議員連盟というのを作っておられますが、一昨年、勇気をもって自分の年間の政治資金の収支を明らかにしました。平均して年間一億二千万円でした。選挙のない平時にです。私はびっくりして、議連の心安い人に「俺の一年生の時はこんなに使わなかった。もちろんなかったからだけど、国から貰えるのは二千数百万円だろう。あと一億円はどうするんだ」と聞きました。

 「総理、あなたの一年生のときは三十年前でしょう。物価指数だけでも桁違いですよ」と言って笑い話になったんですが、考えてみると足りない一億円をどうやって皆さん調達するんでしょうか。企業経営をしていたり、大資産家ならいざ知らず、そういうものに縁のない多くの一般議員はどうするんですかと、私は合同議員総会で訴えたんです。

 みんな、後援者から献金を受けたり、派閥の領袖のところに貰いに行くんでしょう。時には「励ます会」を開いて、パーティー券を買っていただく。それを頼みに行く時の君たちの心の中に、なんか空しいものがあるのではないかと。私はそうしたカネ集めのための時間と労力を、政策づくりや、国のため、地方のために注ぐことができるようにするのが、民主政治の本来の姿だと思うんです。

 二度と不祥事を起こしてはならない

 おカネがたくさんかかるから、それだけは集めるということだけに、貴重な時間とエネルギーが割かれるのはいやではないか。野党の皆さんも同様の告白をされています。特に与党である自民党の議員は、同じ選挙区に複数の人が立つわけですが、党が同じだから政策も同じです。どこで差をつけるかというと、有権者へのサービスしかない。そこから必要以上におカネがかかるようになる。このサービス合戦はエスカレートすることはあっても、控え目にはならない。このへんをもう少しきれいにできないだろうか。古くて新しい課題がそこにあるわけです。

 少し格調高くもうしますと、大学で教える議会制民主主義は政党政治だと言います。政党政治とは何ぞやというと、例えば外交、経済、教育、防衛、治安といった政策に関して、考え方や志を同じくする者が集まって作るのが政党であって、政党は政策や政治姿勢を訴えて国民に優劣の審判を問うものだ、と教わります。

 その一番肝心の選挙に当たって、政策を問うといっても、同じ政策ばかりでは、日本の選挙は政党政治の選挙ではなく、個人選挙だと言われる。そういうことを長い間続けてきたために、このごろではどうも厳しさが足りなくなってきた。そういう状況にある。

 それを反省するならば、一昨年の参議院選挙で惨敗したとき、わが党は二十六ある一人区で三勝二十三敗という惨たんたる成績だった。政党名で投票する比例代表では、自由民主党より社会党のほうが合計票で上回った。我々はこの事実を謙虚に反省し、その原因となったリクルート事件などを二度と起こさないためにも、今この時期に政治改革を断行して、政治の信頼を回復することであります。

 二十一世紀に向かって日本の役割を果たす

 最初に申し上げたように、明治維新から六十年サイクルで昭和の世界大恐慌があり、さらに六十年たって平成の時代になり、世界が大きく変わった。

 さあ、今、政治改革をきちっとやるということは、二十一世紀に向かって日本が果たさなければならない内外の役割を、確実に果たしていくための体制づくりのためにも大切なことだと思います。

 世界が平和と安定を求めて新しい秩序を模索している。その中で経済的に力をつけてきた日本は、その構築のために積極的に参加していかねばならない。

 何が出来て、何が出来ないか。歴史の厳しい反省に立って、平和国家の理念は守るけれども、その枠内で小じんまりと辻褄を合わせているのではなくて、できる限りの貢献をしていく。そうして世界と共に生きていく日本として何が出来るだろうか。そうした課題を政策として国民に訴え、審判を受けなければならないわけです。

 「東京一極集中」の是正にも努力

 また、東京だけがあらゆる面で極めて大きくなり、ニューヨークと比べても、ハンブルクと比べても、パリやロンドンと比べても、生活必需品の価格が高い。内外の価格差の問題が盛んに言われております。謙虚に受け止めて、今ようやくその差が少しずつ縮まるように努力しておりますが、根本にメスを入れるならば「東京一極集中」を是正して、国土の均衡ある効率的な発展と、有効利用を行わなければなりません。

 その一つの方法として首都機能の地方移転がありますが、「まず隗{かいとルビ}より始めよ」で「国会移転の決議」を致しましたが、政府機関、政府機能もできるだけ東京の外へ出すことによって、一極集中の弊害が是正できないだろうかという、ぎりぎりの選択だったと思います。

 政府も今、「首都圏機能移転に関する懇談会」を作って、最高の英知を集めてやっておりますが、これを国民運動を盛り上げていくきっかけにしたいと考え、努力しております。

 知恵を絞って「ふるさと創生」を

 それぞれの地方には、それなりの知恵をしぼって活力を取り戻してもらわなければならない。活力ある地方を作るための懇談会」もできていろいろやっておりますが、私は、地方の皆さんが、それぞれの地方の歴史と文化と伝統を生かして、自民党が「ふるさと創生」という大政策を打ち上げたように、地方は生き生きとした“活力倍増政策”をお願いしたいと訴え続けてきました。

 今、各地で「一村一品運動」が行われていることもよく存じております。これを倍増して“一村二品”にされたらどうでしょうか。

 あるいはまた、ここは保存しなきゃならない文化道路だとか、由緒ある街並みというようなものが、あちこちの町にあるようです。そういう歴史の香りのするものを大切にして、“文化財保護倍増計画”というのもあるでしょう。

 地方の声が議会に反映されるように

 若者の“Uターン倍増計画”もありましょう。いろいろ知恵を出して、活力あるふるさとを創生し、さらにそれを倍増する計画を織り込んで実行していただくと、一極集中が緩んで、地方にかつての生き生きとした活力が蘇ってくると思うんです。

 そのためには、地方の声が議会に反映されて、そこで政策論争が行われ、政党本位、政策本位の政治が行われるようになることを、私は心から念じております。

 今日はいろいろな立場の講師のお話があったようですが、私は内政・外交全般について総括的に所信を述べよという命令を受けて来たのですが、最後に申し上げましたように、今、自由民主党が再生を賭けて「政治改革」の法案を国会に出し、八月からの臨時国会でご審議を願い、ぜひ成立させていただきたいと念願しております。

 良いこと、悪いことのけじめをつけ、悪いことは正しながら、良いことは勇気をもって全力で取り組んでいくのが、私ども自由民主党の使命であります。

 日ごろ、わが党にご好意を寄せていただき、こうして党のセミナーにご参集いただきました皆さまのお心にあえて訴えるわけですが、どうか我々の立場をご理解いただいて、それぞれの地域にお帰りになりましたら、周辺の皆さんにこれらの問題についてもお口添えをいただき、ともにご協力を賜わりますようお願い申し上げ、お礼の言葉とさせていただきます。