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政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 第九回自由民主党軽井沢セミナーにおける講演,内政の四本柱と真正面から取り組む(海部内閣総理大臣)

[場所] 軽井沢
[年月日] 1990年7月28日
[出典] 海部演説集,542−558頁.
[備考] 
[全文]

 持続する景気拡大の基調

 第九回目のわが党の軽井沢セミナーにようこそおいで下さいました。党総裁として心から歓迎申し上げます。

 昨年はわが党にとって大変厳しい一年でした。しかし、今年二月の総選挙では皆さま方のお力添えをいただいて、全候補者が歯を食いしばって奮闘した結果、衆議院の過半数を大きく上回る安定多数を与えていただきました。ここに改めてお礼を申し上げますとともに、引き続きわが党へのご協力、ご指導を賜わりますようお願い申し上げます。

 考えてみますと、日本は内外ともにいろんな意味で、非常に恵まれた環境に今は置かれていると、率直に私は思います。ご承知のように景気のほうは八月で四十五か月続く景気の拡大であります。もう「岩戸景気」や「神武景気」と言われたものを期間の長さでは追い越し、「いざなぎ景気」にも追いつこうとしております。こんなに長く景気拡大が続いているからこそ、落ち着いて政策に取り組むことが出来たわけで、これも皆さまのお陰です。

 また、今年の春、為替・債券・株式のトリプル安に見舞われ、一時は日本の景気にもかげりがくるのではないかと心配されたんですが、五月以降は徐々に落ち着きつつあります。

 国会のほうも、嫌な言葉ですが「衆参ねじれ現象」と言って、衆議院ではわが党が安定多数を占めていますが、参議院は過半数を割るという状態です。総選挙後の特別国会が始まる前は「予算と条約以外の法案は衆議院で通っても参議院で否決されてしまうのではないか」と言われたのですが、わが党はあるときは毅然とし、またあるときは柔軟に野党と話し合って、終わってみれば法案成立率九四・三パーセントという史上二位の好成績を上げたのであります。野党も反対のための反対から、責任を果たす野党にと変わりつつあることは、国民のために喜ばしいことだと思います。

 ソ連・東欧の民主化とドイツの統一

 目を外に転じますと、一月早々、世界に大きな変化が起きました。東欧を中心に起きたこの激変は、その質の激しさといい、スピードの速さといい、想像をはるかに超えるものでありました。

 その証拠に、今年一月に私が訪欧して、コール首相と日独首脳会談をしました時、コール首相は「東西ドイツは必ず統一する。初めは条約共同体でいき、最後は連邦国家に持っていく。そのための十項目を徐々にこなしていく」と、聞きようでは十年ぐらいの物差しで進めていくような説明でしたが、私が帰国して半年たたないうちに、ベルリンの壁がなくなって東西ドイツの往来が自由になりました。

 最高指導者の思惑よりも国民の願いのほうが先行して、西ドイツのマルクが通用し、西の社会制度が東に適用される。もう早く選挙をやって一つの国になろうという、国民のエネルギーが、年末には政治統合にまで行ってしまうという速さになったんです。

 ソ連のゴルバチョフさんも、この間までは議長と呼んでいたのが、いつの間にか大統領になっておられ、共産党一党独裁のソ連が、いつの間にか複数制党を認めるようになり、市場経済を指向して、ガット(関税貿易一般協定)のオブザーバーに入りたいとまで言ってくるように変わってきました。

 ドイツの統一問題についても、初めは「統一ドイツは強大すぎて世界の不安定要素になるから、中立国でなければならない」と言っていた東側も、次第に変わって、ソ連のゴルバチョフ大統領でさえ「統一ドイツのNATO(北大西洋条約機構)加盟のことはドイツ人自身が決めることだ」と言い、この問題はもう具体的に片がついたと私は思っております。

 そういう大きな変化の起きた一月に、私は東西両ヨーロッパの首相とそれぞれ会談をしてきましたが、驚いたのは東側の変化で、国名から「社会主義」の文字を外してしまったなどということは、昨年の夏ごろには予想もできない変化でした。そして次々に東欧の国々が共産主義に訣別し、自由と民主主義、市場経済へと転換を始めたのであります。

 ポーランドには、労働組合の連帯の議長にワレサという有名な人がおりますが、このワレサ氏が半ば公開の席で「我々は第二の日本になりたい。特別な偉い日本でなくていい。普通の日本の市民が体験している明るさ、自由、豊かな暮らし、そういうものをポーランドにほしい。銀行や中小企業経営のノウハウも教えてほしい」と、要するに日本に学びたいという率直な意見でありました。

 ハンガリーでは、同国のネーメト首相に頼まれて、マルクス経済大学というところで講演しました。質問に答える形でお話したわけですが、忘れられないのは、ちょうど日本の鈴木自動車がハンガリーに工場進出する約束ができて、日本のような市場経済に入っていくことがわかっていた時でしたから、学生から「来てくれるのは有り難いけれども、日本はどのようにこの国を管理するのか」という質問がありました。

 私は「自由主義経済には管理するなんていうことは全くなくて、あなた方一人ひとりの自由な意思と、自由なデザインで国の将来を描き、つくっていくんです。日本は協力するだけだから、もっと自主的に、将来に志と夢を持って頑張って下さい。それが、この国が本当に統制経済にさよならし、自由と豊かな国よ今日はと言えるかどうかの分かれ道だ」ということを一生懸命説いたんです。しかし彼らにはよく理解できなかったとみえて、反応はいまいちでしたが、そういう刺激を与えてきました。

 これからの十年間は「民主主義への十年」

 自由と民主主義を求める動きがヨーロッパだけで終わってしまってはいけませんから、私はアジア・大平洋にもその流れが必ずくるように、米ソの対決、対立の時代から、協力と協調で世界中に自由と民主主義を広めていこう、これからの十年間は民主主義への十年間だ、ということをこの間のヒューストン・サミットで宣言したわけです。

 日本が今、対外的にやらなきゃならんことは、世界に平和と繁栄を定着させることであり、そのために新しい秩序をどのようにつくっていくかということを、世界がいま模索しているわけですから、日本はアジアの一角からそれに貢献し、積極的に役割を果たしていくことが大事だと思っております。

 日本は今日までの日米関係を基軸としてしっかり足場を固め、さらに日米欧三極の代表が力を合わせないと、例えばソ連への援助の問題にしても、あるいは中国に対する改革・開放路線の問題、あるいは地球環境、または麻薬とかテロの問題にしても、世界の主要国が力を合わせなければ解決できない問題が目前にありますから、そうした中で日本としての役割を果たさなければならないと、しみじみと思うわけであります。

 その意味で申しますと、やはり今日、アジアの中の日本の立場というものを大事にしながら、日米基軸の外交路線をしっかり守っていくということが、二十一世紀に向けてのわが国の外交路線であります。

 世界の流れは社会主義、共産主義から自由主義、市場経済へと変わってきていることは皆さんご承知のとおりであります。しかし、それでは自由と民主主義の陣営はみんなハッピーかというと、そうではなくて、日米関係も昨年の暮ごろは非常に厳しい一時期がありました。それは例の経済構造協議についてであります。新聞に「SII」と書いてありますが、簡単に言うと、どれだけ努力をしても日米貿易の収支は、日本の黒字が多くて、アメリカの赤字が多いということです。

 プラザ合意のころは、円とドルの為替を操作すれば解消できるのではないかというので、二百五十円前後したドルの価値を百五十円くらいに高くすれば、輸出にブレーキがかかって日本の黒字は減るだろうと思っていたのでありますが、依然として日本製品はよく売れて収支が縮まらないんです。

 例えば、昨年と一昨年の二年間、日本は世界中からたくさん買おうということで、増えた分だけの統計が六百十億ドル、約九兆円以上も余分に買ったんですから、黒字減らしに随分役立ったろう、これでもういじめられなくて済むだろうと思って、よく結果を見ますと、日米関係だけは依然としてそれまでの五百億ドル台が四百九十億ドルと少し変わっただけで、顕著な差は出ません。

 アメリカからは百七十億ドル買うのを増やしたんですが、同じようにアメリカにはたくさん日本製品が売れるわけです。逆に言うと、アメリカは日本からそれぐらいのものを買わなければならないような経済の体質、仕組みになっているということです。だから、日本が二年間で九兆円以上も余分に輸入し、それも昔のように原材料だけでなく、このごろは製品輸入比率が五〇パーセント以上ですから、喜んでくれたのはアジアとヨーロッパで、アメリカとの貿易の帳尻は依然として厳しいということです。

 私はこの間、アメリカで率直にそのことを言いました。向こうもそのことは気づいて、クエール副大統領を中心に、ホワイトハウスに「輸出競争力促進調査会」というのをつくって、これだけ日本が物を買うようになっても日米貿易の帳尻が目立って変わらないのはどうしてか、研究してもらうようにしたんです。

 日米の貿易不均衡を是正するには…

 サミットの後、アトランタで講演したとき、集まって下さった南部各州の知事さんに、私は「皆さんが日本へ売って下さるもので、日本が気がつかないものがあるんじゃないでしょうか例えば」と言って「私の郷里は愛知県で毛織物の産地です。日本ではイギリスまたはオーストラリアから羊毛を買って洋服をつくっているのだとばかり思っていますが、テキサスにもウールがとれる。現にテキサスのウールで洋服をつくっている業者が私の地元にありましたので、ブッシュ大統領やテキサスの知事さんに、日本の総理大臣がテキサス産の洋服を着ていることを知らんだろう、と言いましたら、初耳だとびっくりしていました。こういう努力をお互いに重ねていくことで貿易収支を改善していこうではないですか」と進言してきました。

 昨日は経企庁長官に「日米関係では経済の構造問題が一段落した今だから、日本側からどうすればもっと貿易のインバランスを是正できるかを考えてほしい」ということを頼んできました。

 私はアメリカで「二十一世紀へ向けて、日米関係はSIIからCIIへ」ということを言いました。SIIは構造調整です。スーパー三〇一条なんていう嫌な法律があって、この間は木材とかスーパーコンピューター、通信衛星で、言うことを聞かなければこうするぞ、という厳しい制裁を受けるようなことになってしまいました。

 しかし、今度は構造協議で最終報告もきちっとまとめたし、公共投資も増やす約束をしてありますから、今年は三〇一条は発動されておりませんが、アメリカの議会には、アモルファスとか農業をめぐって三〇一条をちらつかせる向きがあります。そうしたことが起こらないようにし、CII、コミュニケーションの改善に努力しよう、と言ったわけです。

 相互の交流を一層深める中で、罰則をかけるぞといったような状況にならないように努め、問題が起きそうなときには、お互いに話し合って解決しながら進んでいこう。私ども自民党はアメリカとはCIIでやっていかなきゃならん。安倍元幹事長が日米安保三十周年記念でアメリカに行かれたとき、日米の知的交流基金の創設を提唱してもらいました。こういうことを積極的に積み重ねていくことが大事だと思っております。

 七月のヒューストン・サミット(先進国首脳会議)に出席して思ったことは、いずれも自由と民主主義では同じですが、アメリカ、ヨーロッパ、アジアとそれぞれ字が違うように考え方や理想が少しずつ違います。それについては、ECの経済統合、NATO(北大西洋条約機構)の問題など、こちらも動きを見ながら、それに対する対応を深めて、お互い西側の政策協調をやっていく。同時にアジアの問題についてもヨーロッパ、アメリカにもっと関心を寄せてもらう相互依存関係を強めていかねばならんと痛感した次第です。

 私は出発前に、歴代サミットに参加された先輩の総理経験者にお知恵を拝借しましたら「アジアのことは意外に知られておらんからよく説明するように」と、これは一致したご注意でした。

 朝鮮半島の平和と安定のために積極的役割を

 アジアの問題といえば、まずお隣の朝鮮半島の問題で、日本が責任を持って、平和と安定の第一段階にしなければなりません。盧泰愚{ノテウとルビ}大統領とは先般の首脳会談で、過去の歴史に起因する日本と韓国との複雑な問題については完全に意見の一致を見て……私は率直に歴史を認識し、反省の気持ちも述べて「今後はアジアにおけるパートナーとして積極的に協力していこう」と言いました。

 盧泰愚大統領は、ドイツさえ東西統一ができるのに、我々の南北統一ができないはずがない。平和的に、今世紀中に必ずそれを成し遂げたいと思っているので、日本も応援してほしいと言われました。

 日本は、北朝鮮とはまだ安定的な友好関係ができているとは言いにくい状況ですが、何の条件もつけずに、胸襟を開いて政府間対話をしたいと思っておりますから、北朝鮮もどうぞ長い目でお話に応じて下さい。また、短い目では「第十八富士山丸」の気の毒な問題もあるので、これも速やかに解決して下さることを望んでおります。

 このほど北朝鮮へ行かれた社会党の田辺さんや久保さんたちにも、私はこのことを率直に伝えてもらうよう頼みました。帰国されて報告を聞きますと「政権党の自民党と率直に話し合いたい。金丸自民党訪朝団を歓迎する」という向こうの指名だったようです。それは富士山丸問題の人道的解決の端緒になるだろうし、日本と北朝鮮との関係改善にも前向きの姿勢を示されたわけです。

 私は念のために「政府間の対話について反応はなかったか」と聞いてみたんですが、残念ながら政府間対話はまだ先になるようであります。しかし、自民党と北朝鮮が接触をして、話し合いを始めるということは、アジアの一角にあって分裂していた南北朝鮮が統一に向けて動き出したと思いたい。私は九月の訪朝団にそのためのイニシアティブを大きく期待しているところであります。

 カンボジア和平に関する東京会議を開催

 カンボジアは、アジアで今なお戦争の続いているところです。何とかしなきゃなりません。タイ国のチャチャイ首相や、インドネシアのスハルト大統領から「日本もアジアの一員としてカンボジア和平への役割を果たせ」というサゼッションがありましたから、カンボジア和平に関する東京会談を呼びかけました。シアヌーク殿下、フンセン首相も参加して「自発的に戦闘行為をやめる、最高国民評議会をつくる」ことに合意の署名がされたことは、皆さまもご承知のことと思います。

 ただ、率直に言って、ポルポト派が調印しなかったことで、東京会談は一〇〇パーセント目的を達したとは残念ながら言えません。しかし、その後、サミットの場でも私は「シアヌーク殿下、フンセン首相の双方は調印を終わり、その方向に進んでいるから、中断しているパリ会談を再開してほしい」と主張しました。

 フランスのミッテラン大統領も「日本の努力を高く評価する。今日までの日本外交の中で、アジアの問題について汗を流してくれたことに敬意を表する」と述べ「パリ会談で引き継いで和平の成功をめざす」と言ってくれたので、また一歩前進だと思っております。

 また、南西アジアにも日本の外交の幅と深みを伸ばすべきだという意味から、私は五月の連休中に行ってきました。インド、パキスタン、バングラデシュ、スリランカという皆さまにもおなじみのインド亜大陸で、いずれも非同盟・中立の国です。この国々は非同盟だからということで域外の国々とは経済関係や政治関係をこれまで持とうとしなかった。中立だから当然でしょう。

 ところが今度行って、インドやパキスタンの首脳と話していると「日本はこの地域へもっと出てきてもらいたい。政治的にも経済的にもだ」と言います。私が「日米安保条約を結んでいる西側の国として何となく入りにくかったんだけど、入っていいのか。基本的な政策が変わったのか」と念を押すと、今までも東西両方から非同盟・中立はわかっているけど、これくらいはいいだろうという話があったり、交流もあるというんです。

 ところが、冷戦が終わって東西の対立がなくなってしまうと、今までの東にも西にもくみしないということでは、この地域が世界の政治的、経済的な空白地帯になるかもしれないという心配が出てきて「もう政策は変える。みんなと仲良くする。特にアジアの国、日本には政治的にも経済的にもどんどん入ってきてほしい」ということになったんです。

 それならばというので、私は「経済協力は致しましょう。また、政治的にもと言われるなら率直に言わせてもらいます。インドとパキスタンの国境付近のカシミール紛争は、戦争の危機をはらんでいるので、どうか話し合いで解決して下さい。それから、インドもパキスタンも核兵器拡散防止条約に加盟して下さい。それがアジア・大平洋の平和と繁栄につながるんです。日本はアジアから物をどんどん買い、アジアに経済協力や直接投資をしています。インドやパキスタンへもこれからはそうした面での相互依度関係を深めていきたいと思います」と初めて政治的に、やや失礼ながら積極的な発言もしてまいりました。

 こうして、アジア・大平洋地域の平和と繁栄を確保し、日本と付き合っているといいことがあるなと思われながら、ヨーロッパやアメリカに「日本も世界の安定に汗を流しております」ということを見せなきゃならん。

 中国を孤立化させてはならない

 特にその意味で問題になったのが中国との関係でした。私は、中国の天安門事件以後の一年間の動きを見ていて、中国にもいろいろと改革・開放へ向けての動きがあると、私なりに評価しました。戒厳令の解除とか、政治犯の一部釈放とか、この間の方励之氏の海外出国とか、それなりのシグナルを出しています。

 これですべて片づいたとは思わないけど、それなりの努力が行われていることは認めないと、そして改革派を勇気づけないと、中国が前進できません。

 そこで、ブッシュ大統領にも、アメリカは中国に対する最恵国待遇というのを取り消すか取り消さないか、悩まれた時期がありましたから「どうか議会を説得して、最恵国待遇というのは延長して下さい。そうすることが中国とアメリカの関係を深め、世界の仲間に中国をもっと呼び込むための評価になりますから」ということを手紙に書いて出したんです。そうして中国の改革派を援助して、民主化をさらに進めるべきだと私は思っております。

 話は変わりますが、サミットで議題になった地球温暖化問題に世界の指導者が大きく頭を痛めているんです。二酸化炭素などが大量に放出され、それが地球を膜のように覇って、地球の温度を上げる。そうすると北極や南極の氷が溶けて水位が上がれば、特に南太平洋の島嶼諸国は国の面積が小さくなるんじゃないか。

 NHKテレビのシュミレーションを見ましたが、温度が三度ぐらい上がると、銀座四丁目は海面下になると。そういう状況では気象にも変化があらわれ、収穫にも影響が出るし、地球の生態も変わってくる。そうならないよう二酸化炭素などの排出を規制しなきゃならない。

 そこで、日本は西暦二〇〇〇年までに極めて低いところに安定させますとか、他の国も二〇一〇年までに今より二五パーセント減らすとか、いろんな案が出されています。これを英語で「ブリッジ・アンド・レビュー」と言うんだそうです。

 しかし、日本や先進国だけが努力しても、空気はパスポートなしで地球上を自在に移動します。十一億人の中国、八億人のインドなどが、排ガス規制や炭酸ガスの自主規制に協力してくれない限り、地球という一つの容積で考えると、先進国の努力がなかなか顕著な効果として表れないんです。

 そういう国際協力の中にみんなが入ってきてくれるように、いろいろと経済援助などを進めていく必要があります。中国に対する日本の第三次円借款も徐々に再開して、アジアの安定の第一歩とするということで、サミットでは他の国々も日本の立場を理解するということを言ってくれ、これはアジアの問題として片づいたわけです。

 応援したいソ連のペレストロイカ

 問題は、いま新聞やテレビをにぎわしているソ連と日本の関係です。私はマスコミ報道を見ていて、一体誰の、いつの発言を信用したらいいのかということで、一喜一憂することはやめなさいと申し上げておきましたが、全体の流れで言うと、ソ連のペレストロイカ(立て直し)を日本は支持したいと思います。これは成功してもらいたい。そしてソ連も「共産主義よさようなら、自由主義よ今日は」で、我々と同じ物差しでものを言える国になってもらいたいと心から願っておりますから、そのための支援は日本も隣国として惜しむものではありません。

 サミットに参加しているヨーロッパの国々は西の端でソ連と陸続きなら、日本は東の端でソ連と隣同士ですから、お互い一緒に話し合える国にしようということで、ゴルバチョフさんは頑張っている。

 ソ連の昨年からの本音というのは、「戦後四十五年の間にこんなに豊かになった国が東側にある。この日本の経済復興、発展のやり方は、これからソ連の参考になるかもしれないので、経済改革調査団を送りたい」と、ソ連の経済の専門家による代表団を昨年十一月に受け入れたんです。

 この人たちは中小企業庁へ行ったり、通産省、労働省、最後に労働訓練校まで行きました。日本の生産性の向上や流通、中小企業のあり方などが、市場経済をめざすソ連に参考になるだろうと思われたんでしょう。そして今年に入ってもう一度、経済改革調査団を受け入れてほしいということで、四月にやってきました。

 いろんなところを細かく見て歩いて、日本が戦後ゼロから出発して、今日これほど豊かになった秘訣はどころにあるのか。市場経済にするにはどうすればいいのか。この二つの報告は今、ソ連の中で非常に評価されているそうです。さらにもっと知りたいのであれば、今後も調査団を喜んで受け入れます。

 それから意外なことですが、日ソ間の貿易は往復の総額では上から三、四番目にこの数年間は位置しているんです。ソ連にとっての一番はドイツ、二番がフィンランドで、日本が三番目か四番目にいる。相互依存関係の大事さということをソ連も認めているということです。

 そこで私のほうは「知的協力はします。ソ連が同じレベルで経済開発をなさることは認めます。その代わり一つ大事なことを思い出してもらいたい」と。日ソ間にはまだ平和条約が締結されていないし、北方四島の問題が残っています。私は党の国民運動本部長のとき、根室に合宿して青年部の代表たちと北方領土を視察したり、四島の歴史的な経緯なんかについて勉強したことがあります。

 北方領土問題はソ連の拡張主義の残滓

 北方四島というのは、いわゆる千島列島だとか言われておりますが、明治八年の樺太・千島交換条約に千島列島とはシュムシュ島からウルップ島までの十八の島をいうと書いてあります。何よりも有力な国際条約です。それから、北方四島がソ連に占領されたのは、昭和二十年九月三日です。戦争がおわったのが八月十五日ですから、戦後十九日目に不法に占拠されているんです。

 そこで私はサミットで言いました。

 ソ連の拡張主義の残滓がまだアジア・大平洋地域に残っている。それが日本の北方領土問題であり、これは単に日ソ間の問題だけではない。今、東西冷戦時代に終わりを告げ、世界が対決から協調に進んでいくというのなら、日本もソ連の活性化に全力で協力していくから、その代わり、第二次大戦後の東西対立の残滓として残っている北方領土の問題は横へ置き去りにしないで、拡大均衡の形で、知的協力や経済開発への協力と一緒に片づけるようにしてもらいたい−−と。

 今日、日ソ高級事務次官レベルの協議で外務審議官をモスクワに派遣しました。日ソ平和条約に対する作業グループの会議も、兼ねてやらせるわけでして、いろんな発言があっても、私は拡大均衡によるいい結果を心から期待しております。

 したがって、一喜一憂することなく、今日までの全体の流れと、日本のひたむきな願いと、ソ連が今求めている新しい政策、新しい経済システムづくりへの方向などを見ながら、来年のゴルバチョフ大統領の来日のときにはすべての問題を双方が納得して、解決していくための共通の理解と認識が生まれるように、これからの一日々々を大切に積み重ねていきたいと思っているんです。

 サミット参加国は、政治宣言で世界の民主化の支援という、向こう何年にもわたる重要な挑戦を強調した上、経済宣言において北方領土問題の「日本にとっての重要性に留意した」と表現、議長声明で「日ソ関係正常化のうえで不可欠な措置としての北方領土問題の早期解決を支持」とはっきり書いてくれました。

 サミットという多国間協議の場でまとまった公式文書に、北方領土に関して日本支持が盛られたのは初めてでした。しかもそれが、東西関係全体の文脈の中で確認されたことがまた画期的であります。

 対外的な諸々の課題に対して立派に役割を果たしていくためには、国内においてもわが自由民主党の責任は重大であります。私は当面の内政の課題として四つの柱を挙げたいと思います。

 政治改革実現へ不退転の決意で

 第一は、やはり政治改革であります。国会のねじれ現象が生まれた原因も謙虚に反省しながら、二十一世紀に向け、世界に貢献し得る日本になっていくためにも、底板を厚くしていかねばなりません。政治家一人ひとりの心構えは当然ながら、今のあらゆる制度、仕組みの中にも改めるべきものは改めていきたい。個人がいかに心の中に倫理観を確立しても、今の選挙の実態、政治行動の実態に根本的なメスを入れなければ解決できない面も、率直に言ってございます。

 衆議院当選二回の議員たちでつくっている「ユートピア議員連盟」の諸君の報告を見ても、選挙のない平時でも年間一億二千万円平均の政治活動費がかかるという実態は、やはり何とかしなければならない問題ではないでしょうか。

 政治資金の収支については厳しく透明性と公開性を求めていく。資金集めパーティーの自粛を財界から厳しく言われる。選挙や日常の政治活動に必要以上におカネがかからないように努力しますが、かかっている分は逆にナショナルサービス、国に対する奉仕ですから、世界の国々が政党や政治に公的援助を出しているように、日本も考えることが公平なんじゃないか、という議論もそれなりに的を得ていると私は思うんです。

 同時に、選挙の制度や仕組みを政党中心のものに変えることができれば、今のように候補者個人が自分で選挙事務所を作り、後援会をつくり、政策宣伝をして膨大なカネを使うようなことは解消できるのではないか、というのが今の私の率直な気持ちであります。

 それについて、選挙制度審議会から第一次答申をいただきました。私は内閣の最重要課題であるから不退転の決意で取り組んでいくということを申し上げております。党の政治改革本部(伊東正義本部長)の幹部の皆さんも、一昨日から夏休み返上で、全国各地の対話集会に出かけ、直接国民の声を聞き、有権者の意見と、選ばれる側の政党の考えとを調整した形で改革案のとりまとめをしていただいております。

 七月末には第二次答申もいただいて、政党の要件についてのご判断もいただけることになっておりますから、それらを踏まえて、この夏休みは、党の皆さん方の理解と協力を得ながら、さらに国民の皆さんにも強く訴えて、政治改革は解決すべき重要な課題として、第一に取り上げています。政府としましては自民党はじめ各党の声も聞き、一日も早く法案にまとめ、国会に提出、成立をお願いしたいと考えております。

 税制だけでは土地問題は解決しない

 二番目は、土地改革であります。大都市の地価の高騰は、働く人々の夢を奪った−−という角度で今日までに何回も報道されました。もうここで議論している余地はありません。土地対策閣僚会議でも、私は、国土庁長官をはじめ関係閣僚、党の代表の皆さんに、どうすれば土地問題で国民の皆さんの理解と納得が得られるか。せっかく通った「土地基本法」の理念に従って、土地は投機の対象にしてはいけない。有効に使われるようにしなければいけない。遊ばせてはいけないと。

 そのために誘導策も考えますし、税制調査会に今、お願いしている土地税制−−保有税とが、譲渡のとき、買うときの税制、いろいろな角度で十一月ごろまでに報告が出ますので、今年度中に案をまとめますが、率直なところ、税制だけで掌を返したように土地問題は片づくものではありません。

 税制も大切ですが、もう一つは未利用地や遊休地を使ってやろう、出してやろうという方々のご理解、ご協力が必要ですから、そのための世論喚起に皆さん方の一層のご理解をお願いしたいのであります。

 また、国会の中で今、超党派で首都機能移転問題について議論、研究をしてもらっております。首都機能を移転するといっても簡単にはいきませんが「隗{かいとルビ}より始めよ」で、国会議員だけで決めれば出来ることがあるのではないか。それは国会の移転です。

 国会を東京以外のところに移すかどうか。各党の代表が高い次元に立って精力的に議論を進めていただいていると聞いています。政府としてもこれについて非常に注目しておりますし、私も個人として、自民党の首都機能移転委員会に副会長として参加していた経緯もあります。東京への一極集中を排除するという本来の政策目標を達成するためには、やはり必要なことではなかろうかと思います。

 第三は、内外価格差の是正であります。日本の物価は上昇に関しては優等生です。この間の新聞発表で、ちょっと自慢話をさせていただいて恐縮ですが、内外価格差について、ニューヨークやハンブルグと比べると日本の物価は高いという発表が昨年ありました。

 そして今年に至る一年間にニューヨークとの価格差が二〇パーセント以上あったのが一三パーセントに縮まり、ハンブルグは三二パーセントもの差が、今年は一七パーセントへと、内外価格差は着実に狭まりつつあるということです。

 その理由は、為替レートの変化によるというのが一番大きいんですが、また物価の上昇率も、例えばアメリカに比べて日本はうんと優等生です。卸売物価でも小売物価でも二パーセント以上の差があるんですから、これが全部総合されて、内外価格差は縮まってきつつあるんだということをどうぞご理解いただきたいと思うんです。

 いま第二回目の内外価格差解消の対策本部では、さらに二十項目を増やして、より一層の価格差是正を実現する。物価上昇率では優等生だからといって、私どもは安心しておりません。内外価格差のように努力によって下げることができるものは下げていこう。昭和六十年−−五年前と比べても、輸入品は今日まで随分下がったものがたくさんあるわけですから、これをさらに努力していこう。そして「物価の自民党」と言われるように実績を積み上げていくことを、昨日の対策本部で決めてきたところであります。意のあるところをお汲みとりいただきたいと思います。

 国民の理解を得られる消費税見直し案を

 最後の四つ目は、当面の一番厳しい問題ですが、消費税の見直しの問題であります。昨年四月から導入してきました消費税は、いろいろなご批判、ご指摘をいただきながら、次第に定着に向かっていますが、仕組み等についてまだ意見の一致に至っておりません。

 わが党が前国会に提出した「見直し案」も野党の「廃止案」もねじれ現象の国会でともに廃案になりました。今、夏休みを返上して、どうしたら国民の理解と協力を得られ、定着できる間接税になるか、与野党で協議してもらっております。

 法人税の減税や、個人所得税の減税を大幅に先行させ、トータルすれば二兆六千億円の減税をしながら決めた三パーセントの消費税でしたが、実施してみた結果、いろいろと問題点が見えてきました。それをどのように是正し、国民の理解を得られるものにするか、早急に与野党で案をまとめていきたいと努力しております。

 誰でも税金は安いほうがいいし、ないにこしたことはありません。「消費税に賛成か反対か」と質問すれば、反対のほうが多いのは人情です。高齢化社会に備えて「やむを得ないから認める」という項目を設ければ、そっちにマルをつける答がきっとあると思います。しかし残念ながら、そうした突っ込んだ議論が今日までやりにくかったという雰囲気がありました。白紙の立場で、謙虚な気持ちで政府も自民党もこの問題に取り組んで、よりよい方向に解決していきたいと考えております。

 内政の四本柱、いずれも真正面から取り組んでいきます。

 昭和から平成へ時代が移りましたが、お蔭さまで好景気が続いている昨今でございます。国内の政治、経済についても、国際関係についても、自民党が今日までやってきた政策は大筋において間違いありませんでした。総選挙で新しい血も入れ、新しい発展への第一歩を力強く踏み出したところですから、従前にも増してご激励とご指導を賜わりますよう心からお願い申し上げます。