データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] ロンドン市長主催午餐会における竹下登内閣総理大臣スピーチ「日欧新時代の開幕」

[場所] ロンドン
[年月日] 1988年5月4日
[出典] 外交青書32号,346ー352頁.
[備考] 
[全文]

 ロンドン市長閣下並びに御列席の皆様,

総理として初めての訪欧にあたり,尊敬する皆様を前に所信を述べる機会を与えられましたことは,私にとって大きな光栄であります。ロンドン市長閣下はじめ関係者の皆様に心から御礼申し上げます。

このマンション・ハウスは我が国の天皇陛下も御訪問になった由緒ある建造物であると聞きます。いまこうして,この席から,重厚かつ豪華な室内を眺めておりますと,英国はまさに歴史と伝統の国であるとの感が迫ってまいります。

しかし同時に,私は,このたびの訪英で,貴国が進歩と革新の国でもあることを改めて強く感じさせられました。昨日ロンドンに到着して,短時間ながら町を眺める機会を得ましたが,街には建設の鎚音が高く,道行く人々の目には活気と自信が溢れており,まさに「新しい英国(New Britain)」の誕生を目の当りにする思いでありました。税制改革,民営化など,新時代に向けての英国の勇気ある挑戦は,着々とその成果を収めつつあり,これらは同じく経済構造調整に取り組む我が国にとっても貴重な参考となるものと信じます。サッチャー首相閣下をはじめ貴国官民の皆様の御努力に対して,心から敬意を表します。

私は,「ビッグ・バン」以後国際金融の中心としての地位を益々高めている当シティにおいて,我が国の経済関係者や多くの人々が暖かく迎えられていることにつき,改めて感謝の念を表明したいと存じます。

ただし,私は,4年間の大蔵大臣在任中,東京市場が一日の活動を終えたあと間もなく開くロンドン市場の存在を,いくたびかうらめしく思ったことを告白しなければなりません。一国の財政金融担当者にとって,いつ為替相場が急激な変動を示すかわからないという事実は,決してよい睡眠剤ではないからであります。

御列席の皆様,

私がこのたび総理として早期訪欧を強く望みましたのは,時代の急激な流れの中で,その国際的役割と責任を急速に増大させつつある日本と西欧諸国が協力の次元を格段に高め,日欧新時代の幕を開いて,世界人類のために大きな貢献を果たすべきだと考えたからにほかなりません。

今日,21世紀の開幕を前にして,世界の各地では,政治的にも経済的にもかつてみないほどの地殻変動的な動きが生じております。

INF合意やアフガン合意など,東西関係には新しい兆しがあらわれました。我が国が位置するアジア・太平洋地域においては,開発途上の諸国がダイナミックな成長を遂げ,世界の経済地図を書き換える勢いを見せつつあります。また,欧州においては,ECの市場統合,政治協力の進展とともに,EC・EFTA間の協力関係が3億6千万の人口を擁する経済領域の形成を促進しつつあります。

こうした反面,地球上には未だに地域紛争,人権問題,さらにはマクロ経済問題や債務累積問題など,多くの難問が山積しております。

このような情勢下において最も必要なことは,価値観を同じくする日米欧三極がそれぞれの責任を果たすとともに,世界の平和と繁栄に向けて力を合わせることでありますが,三極の構成する三角形のうち,これまで日欧という一辺が,日米,欧米という他の二辺に比して,必ずしも十分に緊密とは言えぬうらみがあったことは,否定できません。

しかし,近年の世界をめぐる情勢と日本及び西欧諸国の国際的影響力の増大は,我々にもはや日欧間のかかる事態を放置しておくことを許さなくなりました。国際社会の相互依存関係はかつて想像できなかったほど深まり,経済的にも政治的にも,日米欧三極間の強力でかつバランスのとれた協調が強く求められております。

さればこそ私は,総理就任後最初の通常国会における施政方針演説で,「西欧諸国との協調は,我が国外交の重要な柱であり,政治,経済,文化等あらゆる面において日欧関係に一層の厚みと幅を加えるよう努める」と述べたのであります。

私は,この訪欧の機会に,欧州の現状を膚で感ずるとともに,ぜひとも西欧諸国の指導者の皆様との間で日欧協力の意義を再確認し,協力の方途を探索したいと考えております。

私の訪欧が,日欧,さらには日米欧の関係の健全な発展に資することを心から願ってやみません。

御列席の皆様,

私は,総理就任以来,我が内閣の最大目標として,「世界に貢献する日本」の建設を掲げてまいりました。先進民主主義の主要な一員たる我が国にとって,世界の平和を守り,国際社会の繁栄を確保するため,その増大した国力に相応しい役割を積極的に果たすことは当然の責任であると信ずるからであります。

このような信念に基づき,私は,次の3つの柱から成る日本の「国際協力構想」を,この場をお借りして,世界に明らかににしたいと思います。

第1は,平和のための協力強化であります。

我が国は平和を国是としており,憲法上も,軍事面の協力を行いえないことはご承知のところであります。しかし,我が国が世界の平和について拱手傍観すべきでないことは申すまでもありません。私は,我が国としては,政治的及び道義的見地から,なしうる限りの協力を行うべきであると考えており,紛争解決のための外交努力への積極的参加,要員の派遣,資金協力等を含む,新たな「平和のための協力」の構想を確立し,国際平和の維持強化への貢献を高めてまいります。

第2は,国際文化交流の強化であります。

我が国が世界の人々の日本に対する関心に応え,また自らの国際化を推進するためには,多様な文化の積極的な交流活動に力を注がなければなりません。同時に我が国は,世界的な文化遺跡の保存及び文化の振興のため,適当な国際機関に協力して,積極的貢献を行うべきであると考えております。

第3は,我が国の政府開発援助(ODA)の拡充強化であります。

政府開発援助は,我が国の国際的貢献の面で最も期待されているものであります。我が国はこれまで3度にわたりODA拡充のための中期目標を掲げ,開発途上国に対する支援の強化につとめてきておりますが,私は,今後とも,その量,質両面における改善をはかり,より積極的な貢献を行っていく所存であります。

本日は,以上のような内容を持つ「世界に貢献する日本」という立場から,我が国がどのように日欧協力関係に一層の厚みと幅を加えて行こうとしているかについて,私の考えを明らかにしたいと思います。

私は,政権発足以来,一貫して物心両面で調和のとれた「文化の香り高く豊かな社会」の創造を唱え,重要な基本政策の一つとしてその推進を図ってまいりました。本日は,政治,経済問題に先だって,まず文化面の協力について申し上げることにいたします。特に,文化交流面は,日欧関係に厚みと幅をもたらす上で政治・経済の分野に劣らず,否,それ以上に重要であると考えます。

私は,この演説の冒頭で,「世界に貢献する日本」としての三本柱の一つに国際文化交流を挙げました。広い意味での文化交流こそ,体制や価値観の相違を超え,民族と民族が互いに人間として尊敬し理解し合う基礎をつくる上で,また政治,経済分野における関係をより円滑に促進するうえで,根源的に重要な意味をもつものであります。

国際社会の多様な文化は,いずれも人類共通の財産としてその普遍的価値を広く各国民が享受すべきものであります。文化の相互交流を通じ,異質な文化に対する寛容な心を培うことは,開かれた国際社会,ひいては国際協調と世界平和の構築につながるものであり,また多様な文化の相互交流がもたらす刺激は国際社会の活発化と発展の活力を生むでありましょう。

私は,各国民の優れた文化を守りつつ,世界の異なる文化間の交流を促進し,21世紀に向けて,世界の文化をより豊かなものにすることに貢献すべく心がけていく所存であります。

幸い,我が国民が敬愛してやまない西欧文化と,2千年の伝統に培われた独自の日本文化との間の交流の素地は,十分に奥深いものがあります。我が国は19世紀後半の国家近代化過程において,多くの欧州の文物を学びましたが,日本人は,それを単なる輸入や模倣には止まらせることなく,十分に消化吸収して,真に自らのものとしたのであります。欧州から日本を訪れる多くの識者や文化人が初めて我が国の文化に接する時,ほとんど瞬時に理解と感覚的な評価を示すことが少なくありませんが,これは双方の文化に何らか通じ合うものがあるからでありましょう。

かつては,西洋と東洋を結ぶ「絹の道」がありました。インドの詩聖タゴールは西洋の文明と東洋の文明を互いに融合することによって新しい時代の文明が生まれることを期待しました。私は,欧州と日本の文化の交流が新しい東西の「心の道」を開き,21世紀に向けた新時代の文化の創造に大きく役立ちうるものと考えます。

今後の日欧間において,文化がこのような役割を果たしていくには,言うまでもなく日欧相互の努力と協力がこれまで以上に必要であります。このため,私は当面次のような具対策をとっていきたいと考えております。

第1に重要なのは,人的交流の拡大であります。

人的交流は,直接,日本人と欧州人との間で相互理解を深め,心と心を結び付けることのできる重要な手段であります。しかし,今日の日欧間の人的交流の現実は,貿易収支と同様,いささか不均衡であります。もっと多くの欧州の人々に我が国を見ていただかなければなりません。

日欧間では,政府レベルでも各種の招聘計画が実施されておりますが,私は,知的交流の重要性を考え,今後,欧州の科学者や研究者が1年程度日本で研究を行いうるようなフェローシップを設けたいと思います。

英国のアイデアから出発した英語教師派遣事業は,1987年から外国人英語教師を1年間日本全国の学校に招聘するJET(Japan Exchange and Teaching)計画に発展し,語学面だけでなく,異文化の相互理解の上でも多大の効果を発揮しております。1988年には英米等から約1,500名を招聘し,将来さらに人数を拡大する予定であります。また今後は,フランス語,ドイツ語等他の欧州語教育にも広げて行くこととしました。

御列席の皆様,

もし,私の中学時代に,JET計画のような制度があったなら,私の英語はもっと磨かれていたであろうと,残念でなりません。

また,私は,日本と欧州の青少年が数カ月間相互に相手国で生活するいわゆるワーキングホリデー制度を実施することも考えてはどうかと思っております。

さらに,今後,まだ大きな可能性と協力の余地がある科学技術の分野については,どの分野でいかなる協力ができるか,また,どんなことが望ましいのか,日欧双方の賢人の間で改めて総合的に探究してみることが必要であります。

第2に,日本研究や日本語教育への助成を増加させていきたいと存じます。

欧州でも日本語学習や日本研究にいそしむ人が最近急激に増えていることは,日本への関心を物語るものとして,日本人たる私にとってはたいへんうれしてことでありますが,国際文化交流面から見ても大いに歓迎されるべきでありましょう。私としては,この面で,出来るだけのお手伝いをいたす所存であります。

第3の交流の方途としては,相互の文化の紹介や日欧交流・日欧対話の組織の拡充があげられます。

1981年,ロンドンにおける「江戸大美術展」は大変人気を博しましたが、1991年には再び英国の各地で「ジャパン・フェスティヴァル」が計画されていると聞き及んでおります。明年秋には,ブラッセルにおいて「ユーロバリア」日本祭が行われる予定であります。また,日本では,西欧諸国の文化的催しが盛んに開かれております。現在は気品と詩情に溢れる貴国のサドラーズ・ウエルズ・ロイヤル・バレエ団が公演中であり,また,近く伝統を誇るミラノ・スカラ座のオペラ公演が予定されております。これらは日欧間の相互理解を深める上で誠に有意義な機会となるものと考えます。

日欧対話の組織としては,「日英2000年委員会」が,21世紀に向けた日英間の協力関係の在り方を検討中であり,また,ベルリン日独センターの設立は、日独間のみならず日欧間で学術,政治,経済,文化のあらゆる分野で交流を進めるため大きな力となることが期待されます。さらに,日仏間でも文化会館の建設が計画中であります。

我が国政府としては,以上のような観点から,「心で結ぶ日欧文化交流計画」を実施するために継続的な努力を払っていく所存であり,その実現に向けて所要の措置を講じてまいります。

これら文化面の充実・向上にとって,政治・経済分野における安定,発展が大前提であることはもとよりであります。従いまして,次に政治面の協力について申し上げます。

西側諸国が共有する自由と民主主義という価値観を守るには,連帯と結束が不可欠であります。1983年のウイリアムズバーグ・サミットにおいて,中曽根前総理が,西側の安全保障は不可分であると主張し,我が国がINF問題について,西側内部の協議に参加しましたのも,かかる観点からにほかなりません。また,アジア・太平洋の安定も欧州諸国にとって重要な関心事であると考えます。

まさに西側の安全保障は不可分であります。

INF全廃後も通常兵力削減交渉をはじめ欧州の安全保障をめぐる動きは我が国の安全保障に引き続き影響を与えうることから,我が国としても強い関心を有しております。アジア地域のみならず,中東,アフリカ等における多くの地域紛争も我が国や欧州に大きな影響を及ぼす場合が少なくありません。我が国としては,欧米諸国と協議しつつ,こうした紛争の解決に,あるいは,紛争後の復興努力に,国力と国情に応じた貢献を行っていくことを自らの責任と考えております。

一方,欧州諸国は,アフリカはむろんのこと,アジア・太平洋地域の将来について少なからぬ貢献を行いうる能力を有しております。私は,これらの分野で日欧が協調すれば,より効果的に大きな成果を期待できると信じます。

近く行われる米ソ首脳会談や国連軍縮特別総会,さらに,トロント・サミットは,世界が直面するこれら政治上,経済上の重要問題の解決に貢献することが期待されますが,我が国は西側の一員として,日米欧三極協調の視点からも,欧州との間の政治的対話を一層充実し,国際平和のための具体的な協力関係を強化してまいる決意であります。

更に,経済面での協力について申し上げます。

近年我が国は,自国の経済構造を国際的に調和のとれたものにすること,内需拡大等により世界経済のバランス回復に寄与すること,市場アクセスをできるだけ改善し輸入拡大に努力すること,蓄積された黒字を世界に役立てること等のため少なからぬ努力を傾注してきました。

すでに,多くの具体的成果が現われております。経済は,1987年において完全に内需主導型に転換しました。その実質成長率は,内需寄与度5.0%,外需寄与度マイナス0.7%となり,全体として4.2%を実現しました。

市場アクセス改善も大きく進みつつあります。欧州との関係でも,ここ1,2年間に多くの懸案が解決されました。一昨年及び昨年の2年間で対欧輸入は84.3%の伸びを示しており,本年に入ってもこの傾向は変わっておりません。

さらに,我が国は開発途上国への支援にも格段の努力を払っております。我が国のODA予算は,88年度に総額100億ドルに達し,米国を凌駕して世界最大規模となりました。現在3年間300億ドル以上の資金還流措置,アフリカ諸国等に対する3年間5億ドル程度のノン・プロジェクト無償資金協力等の施策を実施中であります。私は,第三世界における日欧協力について積極的に取り組んでいきたいと考えております。

欧州は,日本や米国と共に,世界経済に大きな影響を与える力を有しております。それだけに,欧州が統合を達成する過程においては,開放的でグローバルな世界秩序の構築を念頭に置き,保護主義を退け自由貿易体制を維持する重大な責任があります。日欧は,ウルグァイ・ラウンドなどを通じて自由貿易体制の維持,強化に貢献すべきであると考えます。

アダム・スミスは,保護統制政策に決別し,自由主義経済に移るべきことを説いた英国の偉大な経済学者であり,この理論は,その後の世界経済発展の基礎となりました。私は,今後とも西欧諸国が先頭に立って,この精神を守り,自由貿易体制を堅持するよう切望いたします。

御列席の皆様,

私は,21世紀を目前にした日本は,これまでの経済発展の成果を真の豊かさに結び付けることによって,さらに大きく世界に開かれた社会を築かなければならないと信じております。すなわち,均衡のとれた国土づくりの上に,心の豊かさやゆとり,個性や家族の団欒などを大切にした創造的で活力ある文化国家を築き世界の国々に貢献しなければならないというのが,私の確信であります。私は,これを「ふるさと創生」という理念として,自分の政治活動の原点に据えております。

欧州の豊かな自然,すぐれた都市・住環境,そして各国の国民の個性と創造性に富んだ生活など欧州の貴重な経験から多くを学び吸収しながら,私は「ふるさと創生」を充実させていきたいと思います。

明治維新におげる日欧交流は近代国家としての日本の建設に大きな役割を果たしてくれました。21世紀に向けて「世界に貢献する国家」を造り上げようとする日本にとって,私は,再び欧州諸国民との交流が役立つことを期待するものであります。

我が国も欧州も世界の平和と発展に大きな責任を有しております。日米欧三極協調の枠組みの中で,米国との関係を発展させつつ,欧州と日本が,地球的視野に立ち,政治,経済,文化のあらゆる分野で,共に考え,共に協力していく関係を深める可能性のつぼみは大きくふくらんでまいりました。いまやそのつぼみを大輪の花として咲かせ,日欧新時代への幕を開ける絶好の時であります。我々は,日欧間のより良き協調関係を構築し,力を合わせて世界のために努力しようではありませんか。

日英両国及び両国民の一層の繁栄と日英関係の新たな前進,さらにロンドン市長とロンドン市の一層の発展,繁栄を心よりお祈りして,杯を上げたいと思います。

乾杯