データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 第六回軽井沢セミナーにおける中曽根内閣総理大臣の講演,新時代を築く自民党の使命,一九八六年体制のスタート

[場所] 軽井沢
[年月日] 1986年8月30日
[出典] 中曽根演説集,354−375頁.
[備考] 
[全文]

【八六年同日選挙の意義は何か】

 このたびの総選挙および参議院選挙で、自民党は衆議院において三百四議席という結党以来の大勝利をさせていただきました。参議院におきましても七十二議席というのは新記録でありまして、この両方の選挙でわが党に寄せられた国民の皆様のご熱誠に対し、改めて厚く御礼申し上げます。同時に身の引き締まる思いで、公約を実行していかなければならないと決意しております。

 既に戦後四十年を経て、四十一年目にして衆参同時という大選挙が行われ、国民の皆さんにこういう結果を出していただきました。これをどういうふうに解釈するか、ということが為政者として非常に大事なことなのであります。

 当面のさし迫った経済政策、あるいは外交政策や安全保障政策等について話すことももちろん大事ですが、それ以上に国家を運営している政治家として考えてみた場合に、現在の大きな世界の流れの中で、あるいは日本の戦後の歴史の中で、これが何を意味し、そしてこれをいかに受け取って新しい道を模索していくか、ということがわれわれにとって大きな仕事なのであります。

 そこで私は、選挙結果が確定すると直ちに党の総務局長を呼んで、

 「わが党にこれだけの大勝利を与えた今度の選挙結果というものを、あらゆる角度から分析して、次の選挙に備えよ。これだけの票がなぜ出たか。この票はどこから出て、そしてこの次も自民党に来るのか、あるいはどこかへ流れていくのか。それを調査し、分析して、われわれは民意に応えるような仕事をしていかねばならない」

 と指示したわけです。

 ここで私は、この三百四議席というものが生まれるに至った、政治の過去の流れというものをまず一つ考えてみたいと思います。

 今まで、政治評論家やマスコミ、あるいは野党の皆さんの間で、よく「五五年体制」ということが言われてきました。それは一九五五年(昭和三十年)に保守合同と左右社会党の統一が行われて、自・社二大政党時代が出現したことから、これを「五五年体制」と言ったわけです。

 しかし、自・社二大政党と行っても、実態は圧倒的多数の自民党と、その半分程度の社会党ということですから、この「五五年体制」からいかに脱却するかが野党の命題であったように思います。

 それから三十年たって野党は多党化し、そして今回の選挙でのこういう結果を見て、野党の皆さんはどうお感じになっているでしょうか。私は率直な感想をお聞きしたいと思っておりますが、ここでは、私がわが自由民主党側としての認識をこの際申し上げてみたいと思います。

 三十年前にスタートした「五五年体制」から、ここに新しい「八六年体制」というものに移行するのであろうか。これだけの大きな選挙が行われて、こういう結果が出たのですから、昔来た道をもう一回たどることは愚劣なことであって、それでは日本の進歩は期待できません。

 これだけの大勝利を自民党に与えてくださった国民の意識の底に何があるのか、国民は何を暗示しているのか、ということをよく分析し合って、民意の方向に添えるように、与党も野党も政局を運営していく。あるいは自分の党の考えをまとめていくという大きな公案(禅宗で参禅者に示して座禅工夫させる問題)を与えられているのだと私は思っております。

 端的に申し上げれば、自民党の勝利というものは、自民党がこれまで推進してきた政策や、行動というものが国民に是認されたということです。今度の選挙で私は、

 「中曽根政治に審判を与えてください。戦後政治の総決算をやりたいと思っているんです」

 ということを申し上げたのであります。

【自分のすべてを賭けて臨んだ選挙】

 私は、昭和二十二年から国政に参画して約四十年になりますが、今度の選挙は、言い換えれば自分の四十年の政治生活の総決算でもあります。今までの四十年のすべてを賭けて、国民に審判を仰ぐ、という決意で臨んだつもりです。総理大臣になれば、当然そういう気持ちになるはずであります。

 それは、自分の過去のすべてが総理大臣としての仕事や政策に出てくるはずだし、その総理大臣の個人の人生を賭けたものがまた政治にはあるわけであります。誰でもそれは同じことだと思います。そういう意味で、私は自分のこの四十年の戦後の政治に随伴し、参画してきたもののすべてを賭けるという決意で臨みました。

 したがって、私は、負ければ当然、退くという考えでありました。幸い勝ってまだ首がつながっているということはありがたい極みでありますが、あの衆議院三百四議席、参議院七十二議席をいただいたしばらくの間、私の精神状態は、ある意味で茫然としたところもあったし、空洞状態にあったということも、本日初めて率直に申し上げます。

 ともあれ、自分の生涯を賭けて勝負した結果が、このような形で表れたということは、個人的にも、また国のためにもなったと思うと、非常に大きな喜びであります。同時にまた、一面においてはどう表現してようか分からないような空虚さというものを感じたことも事実であります。

 そして私は“坂の上の雲”をつかもうと一生懸命、努力してきたのですが、はたしてつかむことができたのかどうか。また次の“坂の上の雲”というものは何か、何がわが自民党にとって、“坂の上の雲”になるのか。それがまだ明確に把握されていない−−そういう状況の精神状態にあったと自分では思っております。

【自民党勝利の原因】

 そういう感覚に立ってみますと、やはり、わが自由民主党は自由主義、民主主義を基本にして、同じ考えを持つアメリカ、ヨーロッパの国々と強い提携関係を維持しながら、政治的・経済的にパートナーとして発展してきたし、市場経済というものを中心にして経済を運営してきたということであります。

 もちろん、その中で言葉どおりの自由経済とか、資本主義経済などというのが理想どおりに行われるはずはないんで、非常に弱い方々や、あるいは社会福祉を必要とする部門もあるわけで、この点にもわれわれは非常に努力してきたつもりです。

 昭和四十九年には「福祉元年」という命題をつくって、西欧の福祉体系に追いつくべく以来営々と努力して、今日では、大体西欧の水準、あるいは場合によってはそれ以上のところまでたどり着いたということです。

 しかし、わが国としての基本的な考え方というものは、自由民主主義と市場経済、そして日米協調を基軸とする平和国家ということであります。そのうえで必要最小限の節度ある防衛力を維持し、日米安保条約でこれを補完しつつ日本の安全を全うする。また、発展途上国に対しては、わが国も過去においては発展途上国であり、そこから努力して今日の先進工業国になったということを考え、現段階における途上国に対しては、われわれは最大限の友情をもって、できるだけの協力と援助をしていく。そういう気持ちでやってきた歴史と実績を持っているわけであります。

 もう一つ疑う余地のない厳然たる事実は、やはり自由民主党は健全なナショナリズムの政党だということです。だからわれわれは“国民主義”という考え方で、国民の皆さんに対してきました。日本のよき伝統の上に、世界に向かっては日本の優れた文化を提供し、新しい文明の創造に日本も若干{そこばくとルビ}の協力をし、チャレンジしていく、という姿勢を堅持してきたわけです。いわゆる健全なるナショナリズムというものであります。

 新聞は、よく私のことを「新国家主義」というような言葉で書きます。何と書いても結構ですが、私は「新国家主義」という言葉よりも、私のニュアンスからすればやはり「国民主義」という言葉のほうが、より適切だと思います。国家主義というと、どうしても権力というものが先に出て、ギラつくものがあります。

 われわれが維持している日本国の歩みというものは、そういう権力構造でギラギラしているところだけではよくならない。夢もあれば、悩みもあれば、喜びも悲しみもある。この二千年、あるいは縄文文化からすれば五千年、八千年と続いてきているアジア大陸の東端の、ダイヤモンドのようなこの列島の中に、一つの共同社会を形成してきた。その人間としての哀歓を共にしてきているんです。

 そういうものに対する情の厚さというものは、われわれは野党よりはるかに大きいものがあると思うし、それを国民の皆さまが感じてとってくださっていると思うのであります。そういうものの集積が根底にあって、その上に最近のいろいろな政策論や改革論というものが花を咲かせ、それに国民が支持を与えてくださったと思うんです。

【社会党の敗因】

 一方、野党の側は、その反対ということになるのは、私が言わなくても分かっていると思います。ただ、一つ申し上げれば、例えば韓国に行くとか行かないとか、自衛隊や原子力発電を認めるとか認めないとか、その程度のことが社会党はまだクリアできていないのです。

 その点、石橋さんは非常に気の毒だった。あの人は勇気のある人で、それを乗り切ろうとしたのですが、結局できなかった。そういう党情というものを国民はよく見ている。その結果が今日の事態になって表れたのではないかと思います。

【改革と信頼感の両立】

 もう一つ大事な点は、われわれはいつも“改革者”であったということです。政府・与党として国民生活に責任を持ち、国際的にも優位な地位を占めなければならんという立場になれば、常に外国と比べながら、負けないように改革を続けていかなければ、国際競争に勝てないわけです。

 そういう意味において、われわれは歴代、外交政策において、あるいは経済政策、文化政策において、さらには国内の環境保全政策において、漸新的な改革をそれぞれの内閣が発案して、それを国民に訴え、支持を得て実行してきました。そういう政策の継続、あるいは継投作戦の巧妙さというものもあります。

 自民党はそういう経営者的な感覚が旺勢であります。そういうマネージングというものは、他の政党よりはるかにうまいのではないかと私は思っています。多種多様な商品を並べる。その商品に対してお客さんが嗜好を持つように工夫もするし、ニーズに応えて新商品の開発もする。それが改革者的な考え方でもあるわけです。

 わが党が改革者であるということについては、最近になって野党の皆さんが「自民党は改革を訴えたが、われわれは現状維持を訴えて失敗した」と語っているのを新聞で読みましたが、正直、野党の皆さんもそう考えているのかと思いました。同じように「自民党は改革者で、われわれは、保守主義者であった」と公明党の人も言いましたが、野党にもようやくそういう反省が出てきたようです。

 このようにわれわれの立場は常に改革者であり、政権を担当している政党ですから、非常に現実主義者である。言い換えればリアリズムであります。この現実主義というものが、政治にとって一番大事なところなのです。

 国民の大多数の方々は自民党や社会党の綱領などを読んだことはないでしょうが、何となく皮膚感覚で、どちらがいいかという感じをつかんでいると思うんです。とくにこのごろは、“新人類”と呼ばれるような世代が出てきている。そして現代のような視聴覚時代に育った子どもたちは、活字より感触でものをキャッチする。そういう層に対しても、自民党はそういう感覚のマヌーバー(働きかけ)、パフォーマンス(行い)をかなりやってきていると私は思っております。

 そしてわれわれは、常に一歩ずつでも、二歩ずつでも前進して、着実に安定感と信頼感を得るように努力してきております。政権を任せる政党を選ぶときに、皮膚感覚で見られる皆さん方が判断する一番の根拠は、安心して政治を任せられるかどうかということなんです。美辞麗句や、気のきいたセリフよりも安心して任せられる相手を選択するのです。

 その点でも自民党は、様々な企画や、勉強会、あるいは政調会の多様な催し物などいろんなことをやっているし、非常にバラエティーに富んで、しかもバランスのとれた政党であります。右もあれば左もある。その右と左がケンカすることもありますが、結局は互いに折れ合って収まっていく。ここが自民党の底力であり、成熟した政党だということであります。その成熟度に対して国民は信頼してくださっているわけです。

 社会党などを見ますと亀裂がかなり目につきます。もちろん自民党内にも亀裂がないとは申しません。自由民主主義ですから議論もあるし、中曽根批判もある。それは結構なことです。われわれは独裁者でもなければ、大政翼賛会をつくろうと思っているのでもありません。みんなの意見が総合されて初めて大きなエネルギーになるんだから、それはいわば台風のような力なんです。

 海があり、太陽の熱気があり、水蒸気があり、風があり……いろんなものが合成されて一つの力になっていく。雨ですらもエネルギーに転化していくのが台風です。私はそういう要素が自由民主党にあり、これが一番大事な宝であるいと思っております。

【変化に対する柔軟対応力】

 またわれわれは、常に変化に対する“柔軟対応力”を持っているということです。これがひどくなると「風見鶏」と言われるのだろうと思うんですが、しかし政治というものは、変化に対する柔軟対応力の競争なのです。決してイチかバチかの勝負をするのではない。オール・オア・ナッシングではありません。

 オール・オア・ナッシングというのは、評論家や学者の世界、あるいは政権を取ることを捨てな{前1文字ママ}政党の世界です。国民が聞いていて全然できそうもない、また合理性がないイデオロギー的立場や、プロパガンダ(宣伝)としてはそういうことを言ったほうが得だと思ってしゃべっても、今やそんなことで欺される国民ではない。非常に国民のレベルは高くなっています。

 テレビの「時事放談」や「世相巷談」を聞いたり、NHKの国会討論や解説を聞いたりしていますから、代議士が選挙区へ行って知ったかぶりをして話すと「それは先生、違うぞ。さっきNHKでこう言ったぞ」と言われる。それぐらい日本人はレベルの高い、またバランスのとれた国民なのです。

 したがって、変化に対する柔軟対応力があるかないかということは非常に大事であります。その点、野党と自民党を比べると、やはり自民党のほうが変化に対する柔軟対応力があって、野党は左へいけばいくほど一発勝負的で、そしてオール・オア・ナッシング的な性格を持ってくる。それは話としては面白いでしょうが、国民はそういうものに投票する気にはならんでしょう。そういう現実主義をわれわれは持っているし、これからもそういう感覚でやっていきます。

【視聴覚時代のイメージ作り】

 もう一つ、現代は視聴覚時代ですから、党首とか、党のリーダーのイメージというものが非常に大事になってきました。これは会社経営でも同じことで、社長の個性とか信頼度とか、幅の広さとかいったものが、その会社の信頼度につながっていきます。

 近ごろの新聞広告を見ると、大きなスペースに社長の顔を出し、自分の会社の宣伝をしているものが多くなっている。昔ならあんなことをしたら「あの社長、頭が変だぞ」と言われたでしょう。しかし、今は社長が陣頭に立ってそれをやっている。

 あるいは社長が外国に出かけていろいろ交渉したりする。中には政府の委員になったり、外国と交渉した結果をテレビの記者がインタビューする。そうするとそこに出るだけで何億円の広告費に該当する効果があるわけです。そういうところに目をつけて会社のトップのマヌーバーというか、パフォーマンスというか、それが会社全体の運命を担うような形にもなりつつあるんです。

 政党でも同じことで、党首や党のリーダーのイメージというものが大事なんです。私はもちろん今度の選挙で演説して回りましたが、ニューリーダーの皆さん方もいろいろと面白い演説をした。その百家争鳴というか、バラエティーに富んだ話を聞きながら、国民の皆さんは、

 「自民党というのは面白い。総裁と反対のことを言っている人もいるけれども、この問題はどう落ち着くんだろうか」

 などと、興味深く見ているわけです。

 しかし、一方では、いずれ、ちゃんと落ち着くに決まっているとみんな思っている。そういう安心感というか、信頼感というものが自民党に対してあるわけで、事実そのとおりに落ち着いていくわけです。このへんが他党に比べて自民党の層の厚さと深みというか、目に見えない大事なノウハウなのです。

 私はある人から、

 「おまえは、テニスをやって、ゴルフをやって、水泳をやって、俳句をやって、座禅をやっている。これらに関係している人口は膨大なもので、おそらく五千万人はいるぞ。そういう人たちの関心を集めているんだから、大した広告マンだ」

 と言われました。

 そう言われてみれば、私がテニスをやっているところがテレビに出れば、ギャルたちは「あ、中曽根さん素敵!」と言うかしれません。何もしない人よりはいいでしょう。いま俳句人口は八百万人といいますから「あ、中曽根は俳句をやるのか、われわれの同志だな」という印象を持つでしょう。日本には禅寺も多いし、座禅をするということに対する共感を持つ人もたくさんあると思います。

 そういういろんなファクターで見ると、近代政党としてのイメージアップという問題については、これからの党の首脳は十分そういうことを念頭に置かなければ駄目だと思います。そういう時代になってきたのです。

 ある有名な、非常に発展してきている会社の社長は、

 「自分はシナリオライターであり、演出家であり、主役であり、宣伝部長であり、そして跡始末部長である」

 と言っておりましたが、情報化時代における会社の社長というものは、そういうマヌーバーなり、パフォーマンスをおやりになる。自由民主党が前進していくためには、これからそういうことをよく考えなければならないと思います。今度の選挙で、NHKが各党の党首の演説を放送しましたが、私はこれを丹念に聞いてみました。そこで私はどういう演説を心がけたか。

【四割のグレーゾーンの争奪戦】

 実は選挙というものは、有権者の六割は投票する政党なり、候補者が決まっているんです。残りの四割が浮動票で、どっちにでも動く層です。これがどちらへ動くかで勝ったり負けたりする。最近の統計を見ると、自民党のミニマムは衆院で二百五十ぐらいで、そこから膨れていく。それが二百七十に膨れたり、二百八十に膨れたり、今度のように三百四に膨れる。この増えたり減ったりする分が、この四割のノンポリ層、いわゆる“グレーゾーン”を言われる人たちの動きです。

 この層の票を取る率が多ければ多いほど、自民党は増えるわけです。今度、自民党はそのグレーゾーンの六割を取ったんです。その結果が三百四議席。これが五割になると三十人ぐらい減る。あるいはもっと減るかもしれない。六割というのは相当の数なんです。私は実は、このグレーゾーンを対象に演説をやったわけです。

 グレーゾーンにいる人たちというのは、だいたいサラリーマン層やご婦人、あるいは若者層であり、都市近郊からの通勤者が多い。農漁村や中小企業、商店の方、労働組合員といった方々は、だいたいどの党に入れるか決まっています。あるいは信仰を持っている方々も決まった政党に入れます。残りのグレーゾーンの取り合いになるわけですが、そのグレーゾーンの争奪戦において自民党は勝ったと私は見ています。さもなければ三百四議席も取れるはずはありません。

 いま、国民が求めているものは何か。それはやっぱり平和とか、あるいはヒューマニティーとか、そういう非常にソフトなものだと思うんです。同時に、最近は健全な民主主義というものを非常に強く欲している。それから国際主義というもの、そして長寿問題や教育問題といったものが大きな関心事です。また、全国民的な関心の一つはガンの問題です。こういうものをカバーして、できるだけ自民党に注目してもらうように私は努力したつもりです。

 さてそこで、今後のことに思いをはせてみるときに、この全有権者の四割を占めるグレーゾーンの六割を取れるかどうか。これが次に六割五分まで伸びるのか、あるいは五割に減ってしまうのか。そこが勝負の分かれ目になるわけですから、それをいかに維持し、あるいは拡大していくかということに、党は全力を注がなければならないのです。

【「一九八六年体制」のスタート】

 私は、自民党が三百四議席を占めるに至った今日が、新しい「一九八六年体制」というもののスタートである、すなわち三百四議席というものは、自由民主党の新しいスタートである、と考えたいものであります。

 そのためにも、私は党執行部そのほかの若返りを断行したわけです。今後もこの若返り路線に沿って、党をさらに前進させていかなければならないと思っているのであります。

 その上で今後のことを考えてみますと、既に申し上げたように、このグレーゾーンをいかに自民党に引きつけるかです。それから国民は、ソフトな面と健全な民主主義を欲しているということを忘れてはならない。例えば飛鳥へ行ったり、太安万侶{おおのやすまろとルビ}(奈良時代の官人・学者)のお墓から遺骨や墓誌銘が出てくると、みんな関心を持って見に行ったりします。そういう伝統や文化に対するプライドと憧れを日本人が持ってきていることが分かるでしょう。

 いま、そういう面を自民党はがっちり守っていかなければならない。それは、国家を永続させるために当然の仕事でもあります。それと先ほど申しました変化に対する柔軟対応力であります。

 ここでわれわれが考えなければならないものとして、例えば農業問題、あるいは石炭問題ということがあります。これは今後の一番大きな、かつ大事な問題であります。こういう問題への対応についても、われわれは本当に親切にその当事者の立場を考えて、この方々が行き得る方法をよく相談し合いながら、たまには苦しいことにも取り組んでもらう。そして、こういう方向に持っていこうではありませんかということで、すなわち変化に対する柔軟対応で前進していくようにやってあげることが、本当の親切なのであります。

 そういうことをやらないでおくと、ある日突然、ガターッときて、土台骨に亀裂ができるようなショックを受けなければならん、ということがないとも限らない。国鉄がそのいい例です。

 国鉄の労働組合の皆さんも、国鉄を守るために一生懸命やっているんでしょうが、今日では国鉄再建のためには分割・民営化はやむを得ないという考え方が、国民の間で広く支持されてきています。組合の中でも、鉄労など四組合のほか、最近はどんどん国労から脱退して新組合ができています。

 こうした事態になった原因はどこにあるのか。今や社会党や総評の皆さんもいろいろと心配して、変化に対する柔軟対応をしようとしていますが、国労の幹部たちはこれまで労使協調宣言にも頑として言うことを聞かなかったんです。

 そうなると、組合員は自分の生活不安や、就職の不安から脱落していき、足元が崩れてくる。それで今になって慌てているという現象が起きているのです。変化に対する柔軟対応力を持たないと、ある日当然、そういう現象が起きてくるんです。それを本当にその人たちの身になって「少々つらいことでも、こっちへ行くのが時の流れですよ」と言ってあげるのが本当の親切というものです。

 われわれは今後もそういう困難な問題については、当事者とよく話し合いながら、それぞれが案を持ち寄り、それをすり合わせて、より健全に生きられるように、そして生活が安定するようにやっていく。そういう形で一歩一歩、変化に柔軟に対応しつつ政策を進めていかなければならないと思っております。

【与野党のセンターライン】

 同時に大事なことは、今度自民党を勝たせてくれたグレーゾーンの皆さんというのは、決して右寄りではないということです。だいたい自民党と野党の中間にある方々で、今まで野党に投票した人が多いわけです。ということは、われわれがウイング(翼)を左に伸ばしてみたということです。

 つまり、自民党は今までの顧客はがっちり押さえたうえで、さらに今度はよそ様のお客さんだった層もつかんだわけです。ということは、今までの分野からさらに中道右派、すなわち新自由クラブや民社党、あるいは社会党右派ぐらいまで自民党の支持層が広がったということです。

 そうでなければ、五十人以上も議席が増えるはずがないわけです。社会党や民主党の減った率、自民党の増えた率を検証してみると、そういう計算になるんです。

 自民党がそのように中道右派までを自分の支持層に加え、「これをもう放さんぞ」という姿勢でいくとしたら、野党の方々は一体どういう姿勢をとればいいのか。これは中道左派、あるいは中道右派まで支持層を広げてこなければ奪還できません。そうなってくれば非常にいいと思うんです。

 そうすると、中道を真ん中にして、日本の政局というものが与党と野党で、中道右派、中道左派、あるいは中道自身が右派と左派の両方が混淆している。そういう状態で国会の与野党の思想勢力というものが培養され、成長していくと日本は安定します。

 私はそれで二大政党になれとか言っているんではありません。少なくともそういう思想を持った人たちが増えていって、その力が目に見えて出てくるようになれば、日本の政治は非常に安定感を持ってきます。そのために克服しなければならない問題は、社会党の石橋さんが象徴的に示したような、日韓問題、原子力発電問題、日米安保条約と自衛隊の問題なんです。

 こういう問題については、自民党は割合に前進しています。防衛費の対GNP一パーセント問題にしても、われわれは「守りたい」と言って、できるだけ守る努力を今でもしております。ところが、野党の皆さんはどうかというと、これに対する理解と、一定の条件付きで肯定的な考えをお持ちの党もあるけれども、しかしそうでない方々も多い。こういういろんな問題について、今後、野党の皆さんがどう対応してくるか。私は非常に注目しています。

 いま社会党では委員長公選が行われており、上田さんと土井さんが立候補しておられる。このお二人が何を訴え、どういう社会党にしようと思っているのか、私たちはいま注意深く見ているところです。そして社会党員の皆さんがどっちを、あるいはどういう考えを支持するか。石橋さんの時とどう違うのか。どこかが違わなければ前進はない。単に男から女に代わったというだけでは前進とは言えません。単なるセックスの転換にすぎません。そこにわれわれは注目しています。

 したがって、自民党三百四議席以後という問題については、日本の民主政治を安定させるために、やはり中道を中心にして、中道右派、中道左派とをセンターラインにして、いかにしてウイングを伸ばし合うか。われわれはもう伸ばしている。これに対して野党のほうがどういうふうに右へウイングを伸ばしてくるか。そこに私は次の選挙の要点があると思うんです。そういう感覚で三百四議席以降というものを見ていきたいと思っております。

【世界的時代転換の兆し】

 そこで、これからはどういう時代になるであろうか。また、どうしたらいいであろうかということを次に考えてみたいと思います。私なりに考えてみて、幾つかの大きなことが出てきています。

 第一は、米ソ首脳会談で、これは近いうちに行われるでしょう。

 それから、ソ連のゴルバチョフ書記長の来日の可能性が最近、非常に強くなってきました。われわれは大いに歓迎したいと思っております。ソ連はまた中国に対しても接近しております。私はチェルネンコ前書記長のお葬式のときにモスクワへ行って、ゴルバチョフさんと一時間ばかり二人で話し合いました。それで帰ってきて国会で報告したのですが、大体そのときの観察と報告のとおりに、ソ連の外交政策が展開されてきていると思っています。ひと言で言うと、ソ連の外交や内政というものは、いま相当行き詰まっている。もう、にっちもさっちも動きがとれんぐらいに行き詰まっております。加えて、この前のチェルノブイリ原子力発電所の事故が、ソ連に非常に大きな打撃を与えております。

 そういう情勢下でゴルバチョフさんは、いわゆるマルクス・レーニン以来の、とくにレーニン、スターリン以来のソ連共産主義の中興の祖というか、一大イノベーション(改革)をやろうとしています。これは「大改革でなければとても生き延びていけない、ソ連は発展しない」と見ているのではないかと私は思います。それだけの近代性とノウハウをゴルバチョフ書記長は持っていると思うんです。

 最近は、米ソ両方ともくたびれてきたようです。レーガン大統領のほうも、財政の赤字、あるいは貿易の赤字を抱えて、経済的に非常に苦労しています。もちろん、アメリカの底力というのは非常に強大です。われわれがとても及ばないほどの底力と民族精神を彼らは持っています。それは、ベトナム戦争において、あるいは朝鮮戦争においても発揮される。結果はいろいろあるでしょうが、それだけの理想主義を持っています。

 そして、これはまずいと思えば、ベトナムからも撤退するという柔軟性を持っている。日本は満州事変を起こしても撤退せず、国際的な重圧を受けても身動きがとれないようなやり方で失敗したんです。しかし、アメリカの民主主義というものは非常な柔軟性を持っていて、まだ鮮度がよいのであります。

 そういうところからも最近考えられることは、暴力や武力信仰というものがだんだん崩れつつあると思うんです。ベトナム戦争や、アフガニスタンの状況などからも感じられることです。要するに、武力とか暴力というものは現代社会においてはペイしない、という傾向が強まっているのです。

 原水爆というものは超弩級{ちょうどきゅうとルビ}の兵器ですが、あれは業{ごうとルビ}の兵器であって、相手が捨てないうちは捨てるわけにはいかん。しかも相手がこれを発展させ、進歩させようとするので、こっちも負けずにやる。そういう拡大競争は財政を苦しくし、経済を悪化させる。このへんで双方が話し合いをしようじゃないか、ということが米ソ首脳会談の背景にあるわけです。だから私は、両方とも真剣だろうと見ておるんです。そういう武力信仰、暴力信仰というものはペイしない。あるいは国際テロしかりです。先般のリビア問題でも、私は東京サミットの議長として声明をまとめましたが、そういうもろもろの現象を見ても、暴力というものは終局的には割に合わないものだということがはっきりしてきたわけです。

 だから、賢明なドゴールやチャーチルは、先に仏印を独立させる、アルジェリアも独立させる、イギリスの連邦もインドをはじめ次々に独立させていったんです。そして今はこの超弩級の核兵器をどのように処理していったらいいのか、という問題になってきているのです。歴史的にみたら核兵器の放棄と植民地の放棄は似た点があるかもしれません。やっかいなお荷物という意味において。

 レーガン大統領が推進しようとしているSDI(戦略防衛構想)というのも、本音は原水爆やICBM(大陸間弾ミサイル)という凶暴兵器をやめたい。SDIによって核兵器が無力になれば、そろってこれをやめてしまうというところまで一挙に持っていきたい。そういう希望であることは私はレーガンさんと話していて強く感じました。そういうところまで進んできて、米ソ会談の準備がいま進められているのです。

 これは大変歓迎すべき現象で、こういう精神的悩みというか、一つの行き詰まりというものを、両方が変化に対する柔軟対応力でうまく処理して、少しでもいい方向に進むように、われわれは側面から協力していきたい。仮にゴルバチョフさんが来日して、日ソ首脳会談が行われる場合にも、そういう基本的哲学を持ってわれわれは臨みたいと思っております。

【時代を救う日本的「共生の哲学」】

 私は、昨年の国連四十周年記念総会の演説でも申しましたが、アジアおよび日本の思想というものは「共生の哲学」であると。八百万{やおよろずとルビ}の神々を持ち、そしてわれわれは動物や植物まできょうだいだと思うような哲学をもって生きているんです。「山川草木悉皆成仏」という言葉を言いましたが、道元さんの本によると「山川国土悉皆成仏」と書いてあります。

 あるいは「天上天下唯我独尊」という言葉がある。これは、おれが一番偉いんだという意味ではないんです。人間の価値の尊厳、誰にも譲れないものをおれは持っているぞ、という意味です。それと、みんなきょうだいであるということ。この矛盾する二つを融合している。それが仏教思想でありましょう。

 日本人はそういう基礎哲学、いわゆる共生哲学というものを持っている。これは、今のような世界的な行き詰まりを打開するために非常に参考になる、貴重な思想であり、哲学ではないかと私は思っています。対決とか、契約といった西洋の思想よりもっと深い、もっとヒューマニズムのある何ものかが、日本やアジアにはあると、私は考えているのであります。

 もう一つは、第二の産業革命が起こりつつあるということです。これは、蒸気機関車、紡績機からエレクトロニクス、コンピュータの情報産業時代に入ってきたということです。鉄、石油という自然的な素材を対象に加工するというプロダクションから、コンピュータのような軽薄短小のものをうまく操作しながらやる産業のほうが大きくなってきている。その知的容量というものが、いま人間生活に大きな影響を与えつつあるのです。

 いまパソコンに熱中している多くの小・中学生たちが、われわれの年代になったときの世界はどうなっているか、日本はどうなっているか、想像できますか。

 私はサミットで、各国の大統領や総理大臣に「あなたのお孫さんはパソコンをやっていますか」と言ったら、みんなやっていると言いました。「そのお孫さんが私らの年ごろになったときの世界はどうなっていますか」と聞いたら、みんな「とても想像できない世界になってるでしょうね」という返事でした。

 日本でも今やそういう流通関係のプロダクションが、マテリアル(材料)のプロダクションよりも大きくなっており、これがさらに進んでいくわけです。そうすると世界というものは、アフリカの最貧国みたいに原始的な生活をやって、独立のために苦闘している社会から、日本や欧米のようにコンピュータで何でも操作する世界まできつつあるわけです。

 私は、科学技術庁や通産省の諸君にこう言ってるんです。アメリカがやっているSDIは、将来恐るべき大きな新技術を生み出すだろう。ケネディがやったアポロ計画は、アメリカの技術をものすごく伸ばした。それ以上のものがSDIから出てくる。ヨーロッパではミッテラン大統領を中心に『ユーレカ計画』というのを国家連合で始めている。この谷間にあって、日本はどうするのか。

 そこで私は「日本で考えろ」ともう一年近くそれを言って、この春、彼らが提案してきたのが『ヒューマン・フロンティア・プログラム』という構想です。

 日本はロボットが非常に発達していて、よその国は一番多いところで二万台程度なのに対して、日本は七万台ぐらいあります。そして今やロボットが人間の筋肉を代替するところまで進んできた。さらにコンピュータを駆使してやっていくと、大脳の人体機能にまである程度前進し得るのです。

 例えば、翻訳機ができる。電話で、日本語でレーガンさんに話したら、向こうには英語で聞こえる。翻訳機はそこまで前進してきています、技術的には。いまコンピュータは人間の大脳の機能にまで迫ろうとしているのです。

 日本は、われわれの一番の長所を生かして、それをやろうということで、いま『ヒューマン・フロンティア・プログラム』の青写真を具体的に書かせています。それで、アメリカがSDIで世界に協力を求めるように、われわれもその基本ができたら世界に向かって協力を求めよう。両方でカネを出し合って、世界的な事業として進めようという話をしているところです。

 そういうふうに、今や新しい産業革命が起きて、国家群によってスペクトラム、虹の七色みたいに、最も発達した社会から原始的な社会までぐーっと並んできた。そうすると、昔は鉄鋼や造船、石油ぐらいだったから、富の差はそれほどなくて、追いつくこともできたけど、今のように情報化技術が入ってくると、その差というものは非常に大きくなってきます。

 そうなると富の分配上、世界的な大問題になってくるでしょう。これを人類の良心においてどう解決していくかという課題が出てきます。第二次産業革命というのは、今までわれわれが予想もしなかったほどの富の偏在というものが出てくる可能性がある。それを発展途上国や、最貧国に不満を与えないように、うまく提携しながら伸びていくということが、われわれが考えなければならないこれからの世界であります。

 とくに、日本のようにエレクトロニクスの発達した国にそれが求められます。そういうノウハウが成熟した国が名誉ある国になるわけです。日本はまだ利己主義が強いので、そういうノウハウを世界に均霑{きんてんとルビ}するところまで視野が及んでいませんが、少なくとも政治家はそういう考え方を持っていなければならないと私は思うのであります。

 こういう二つの大きな問題を抱えつつ、われわれは今後の日本の政治をさらに前進させていかねばなりません。今まで私たちが公約しましたことは、皆さんのご協力でかなり前進しています。これが日本の大きな胴体をつくりつつあるのです。それは行政改革であり、財政改革であり、教育改革です。あるいは長寿社会への対応であり、税制の改革です。

 過去三十年ないし四十年の諸施策についてわれわれは今、一大イノベーションに挑戦しています。これを大きなハイウェイにしてわれわれは前進を続け、その先にいま私が申し上げたような世界があると私は思っています。そうなるとやはり、平和の問題と同時に、発展途上国に対する援助という問題を真剣に取り上げていかねばなりません。

 日本はいまこれだけの大きな黒字を抱えていますが、われわれは内需の振興、輸入市場の拡大、円・ドル関係、つまり国際通貨の長期的、適正な安定といったことをやろうとしておりますし、また産業構造の国際調和への変化、調整といったこともいまわれわれはやりつつあります。

 この道はどうしても避けて通れません。そうでなければ、日本は国際的な村八分になります。ある日突然、ガタッとくるようなことがあってはいけません。常に小刻みながらも前進を続け、変化に柔軟に対応し、たゆまず改革を続けていかなければなりません。

【さらに強めたい二つの力】

 最後に一つ申し上げたいと思いますのは、自由民主党というものの本質、あるいは将来的展望というものを考えてみますときに、わが自由民主党というのは、私は現代の日本においてかけがえのない存在であると思っております。

 これは、われわれの先輩たちが汗水流して築き上げてくださった自由民主党であり、また国民の皆さんが手づくり育ててくださった自由民主党だからです。われわれは一時期、これを担当して次の世代に渡す、その間の責任を分担しておるものであります。そして、われわれが責任を持っている間は少なくとも一〇〇パーセント忠実に、誠実に努力して、より前進したいいものにして、次に渡さなければならんと思っております。

 自由民主党の皆さん方は、みんなそういう気持ちを持ち、またそうした歴史哲学的な洞察力を持ち、何よりも非常に大きな情熱を持っております。マックス・ウェーバーが政治家の要件として言ったのは「洞察力と情熱」です。そういうものを私たちは持っていると思うんです。洞察力とは歴史的先見性であり、情熱とは現実政策に挑戦する力であります。この両方の力を党員にさらに強めて、国民のご期待に添う自由民主党にしたいと考えております。皆さまの方{前5文字ママ}の一層のご支持とご鞭撻をお願い申し上げる次第です。