データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 座談会「確かな八〇年代の構築(抄)−大切な国際化時代の自覚と責任−」(大平内閣総理大臣)

[場所] 
[年月日] 1980年1月10日
[出典] 大平演説集,120−133頁.月刊「文芸春秋」,昭和五十五年二月号.
[備考] 
[全文]

内閣総理大臣 大平正芳

上智大学教授 渡部昇一

東京大学教授 佐藤誠三郎

 七〇年代に果たした安政以来の夢

佐藤 いよいよ八〇年代が始まりますが,これからどのような時代になるのかを予測し,それに備えるためには,過ぎ去った七〇年代を振り返ってみる必要があると思います。七〇年代は,一口に言って,石油危機をはじめ,予想もしなかったような問題が,次々と生じた時期でしたね。

大平 一九七〇年代は,後になって歴史的な検証をするときに,大変豊かな材料を提供している時代だと思います。

 私は,七〇年代の変化のうちで,一番大きな契機となった事件は,ドルと金の分離だったと思うんです。

佐藤 日本的に言えば,ニクソン・ショックですね。

大平 そう,一九七一年でした。第二次大戦後のアメリカには,世界を指導する自負と自信がありました。パックス・アメリカーナ(アメリカによる平和)と言われるように,多くの国々を自らの意図する世界秩序のワク組みの中に位置づけ,全世界にアメリカ的な平和を確保しよう,また,それができるはずだという満々たる自信があったと思うのです。

 しかし,六〇年代半ばごろから,アメリカは,ドルを防衛する立場に変わっていき,ついに金一オンス=三五ドルという一般の兌換{兌にだとルビ}の停止に追い込まれてしまいました。つまり,世界経済を支えていた信用の基礎が崩れ,世界経済はいかりを失って,文字どおりフロートするようになったのです。

 これは,アメリカを中心とする世界の戦後経済運営の頓挫{とんざとルビ}を意味したわけですが,経済と政治は,不可分ですから,世界は,政治的にもある意味でのフロート状態に入ったわけです。

渡部 総理は,ドルが金離れしてフロート状態になったことを,よくない状況だ,安定していた方がよかったとお考えですか。

大平 それは,できるならば,ドルのような基軸通貨がしっかりしており,それによって世界経済が安定している方がいいと思います。しかし,これはあくまでも願望にすぎません。実際にフロートしてしまい,各国が現実的な通貨体制としてこれを受け入れているのですから,このフロート状態の中で,私たちは,安定を模索していくよりほかに手がないでしょう。

渡部 私たち経済の素人からみますと,フロートした辺りから暮らしよくなった。職業上,外国の本をたくさん買いますが,フロートになって以来だんだん買いやすくなり,ここ二,三年は誠にいいですなあ。

佐藤 ドルが弱くなって世界経済は不安定になりましたが,日本の消費者からみれば,それは,円が強くなって,外国のものが安く買えるようになったことを意味しますからね。しかし,日本経済が強くなったこと自体,国際的不安定化の一つの要因となっています。

大平 世界経済を不安定にした,もう一つの要因は,言うまでもなく石油の供給が制約され,価格が高騰したことです。しかし,これも根底においては,ドル体制の崩壊と結びついていると思うのです。そのために,産油国はこれまでのように簡単に石油を引き渡さなくなったわけですからね。

 いずれにしても,ドルが疲弊し,世界経済を支えられなくなったことが契機となって,七〇年代に不安定な状態が加速度的に進んだのではないでしょうか。

渡部 私は,世界経済が不安定になったこの時期に,日本がようやく白人世界を追い越して,この七〇年代に安政五年の不平等条約以来の夢を実現したと思うのです。まず,平均寿命が世界一になったということは,大変なことです。

 これは年寄りが増えたというばかりでなくて,乳幼児の死亡率が非常に下がり,スラムがなくなったということなんですね。当然,伝染病そのほかの病気も減った。アメリカ人なんか前から生活水準は高かったが,スラムがあるので,平均寿命が下がるわけです。ですから,これは簡単に言って,文明度の一番納得できる一つの尺度で,この最高点に日本が到達したということですね。

大平 そうですね。

渡部 次に可処分所得が極めて高くなったということです。名目的な所得が高くても,税金にあらかた持っていかれるのでは,うれしくありませんが。

 可処分所得が高いということは,自由経済でよく繁栄しているということで,しかも,これに関しては,世界のトップ級である。ということは,幕末以来,白人世界に追いつき,追い越せでやってきたが,物質的な面で,いまおおむね追い越した,ということですね。まだまだ欠点はありますけと。

大平 また,この七〇年代には,私たちの意識も変わり,成長追求中心から,生活の質を重視する考え方に移ってきたと思います。これが,さまざまな社会環境や社会活動の変化をもたらしています。

 そこで,七〇年代のきまざまな試練と教訓を総決算して,十分にこなした上で,八〇年代に臨まなければいけないのではないでしょうか。

 言い換えれば,この試練と教訓を,本当に生かすことができれば,人〇年代に対処できるのではないかと,そんな感じがします。

 どこからくる日本人の柔軟な対応力

佐藤 総理は,先ほど日本人の気持ちも変わってきたとおっしゃいましたが,多くの日本人が豊かになったという実感を持ち,日本的やり方に自信を抱くようになったのは,七〇年代になってからでしょうね。

大平 そう思います。第二次石油危機に対しても,わが国は,どこの国よりも柔軟な対応力を発揮しています。石油価格上昇の影響の大きい生産財の価格は上がっていますが,資本財や消費財の価格は現在のところ,かなり安定しています。

 消費者物価では,国民の皆さんによく叱られていますが,全体としてみると,最近では先進国の中で一番安定しています。これは,国民の対応力が非常に優れていたからだと思います。

 一体,この日本人の対応力は,どこから出てくるのか。それを知り,そこから十分に教訓をくみ取って,八〇年代に備えるところがなければならないのではないでしょうか。

渡部 総理も言われたとおり,その対応力が一番強いのは,民間なのではないでしょうか。ですから,民間が伸び伸びと活動できるような環境づくりを政府がやるという姿勢が一番重要ですね。

佐藤 大部分の日本人は,健気{けなげとルビ}で,やる気があると思います。この点は,シラケていると批判される若い世代も,そう変わりません。多くの国民の健気な努力が,日本社会の活力を支えている。

大平 日本人は就職すると,一生そこで運命を共にするというか,誇りも恥辱も成功も失敗も,すべてを職場に懸けてしまうところがある。企業に対する帰属意識が,欧米の場合と全然違いますね。

 私はそこら辺りに,何か大きな秘密があるような感じがするんです。自分の損得よりも会社の名誉を重んじる。そういう中にヨーロッパ文明と異なった“根っ子”があるのでしょう。

佐藤 日本人も自己実現の欲求がないわけではなく,自己主張しないわけでもありませんが,しかし,自分が属している集団全体の発展を通して,それを実現しようとする傾向が強いと思います。個の主張と集団のまとまりや発展のバランスが,欧米よりもうまくとれているのですね。

渡部 それから,日本ではアラ探し機関が実に発達しているわけですね。これが発達していないと盲点が出たり,適応が遅れたりすると思う。とくに口うるさい新聞がありますし…。

大平 開かれた民主主義というか,日本の取材や報道は,どこの国よりも自由じゃないでしょうかね。私たちにとっては,苦労するところですがね。しかし,これは,世の中をきちんとして,クリーンにするための種だと思っていましてね。

佐藤 政府をほめる新聞しか持っていない社会よりは,政府について行き過ぎるほど批判する新聞のある社会の方が,政治全体がよくなりますし,長期的には安定していますね。

大平 ええ。いま綱紀粛正と行・財政の刷新が国民の強い願望になり,七〇年代初頭の公害撲滅運動以上の勢いを持ってきましたね。これは,ありがたいことです。これがないと政府がやろうとしても,やり切れるものではありません。

渡部 そうですね。

大平 世論の強い支えで,この機会に政府は相当思い切ったことをやらしていただけるし,やらなければならないと思っています。

 八〇年代は優れて国際化時代

渡部 八〇年代においても,日本が経済的に繁栄を続けること自体が,有色民族の心の支えになっていくと思うのですね。

 人種問題というのが,いまでも延々として続いているわけで,外国人の頭の中では口には出さないにしても,金持ち国−−白い,非金持ち国−−有色ということが通念として分かれているんです。ただ一つの例外として日本がある。有色人種で天然資源もない,国土の八〇%が人の住めない山ばかりなのに,白人並み,あるいはそれ以上の平均寿命,繁栄を続けられる国があるということ自体が希望だと思います。

 日本をマネすれば,有色人種でも栄える,ということなんですね。だから,日本がコケるとみんなコケるわけで,日本の使命というのは,国際協力なんて大きなことを言わないでも,日本が繁栄を維持すること,それ自体にあるような気がします。

大平 日本の進歩,発展,繁栄それ自体が世界に対して非常な励ましや刺激になっている,そういう意味の無言の,しかし大きな貢献をしているという見方に,私も賛成です。

 しかし,日本は,独力では繁栄できません。資源や市場を海外に求め,世界の協力と理解がないとやっていけない国です。日本がこれまで繁栄できたのは,もちろん国民の努力によるものですが,同時に国際環境に恵まれていたことも事実です。その日本が世界のため,人類のために何もしないということはもはや許されない。

 人〇年代というのは,優れて国際化時代というか,経済力を高めた日本が世界に目を向けて,積極的に貢献する努力をしないと,世界も納得しないし,日本人の誇りも許さない。そういう時代になるものと思います。

佐藤 日本が繁栄するためには,国際環境がよくなければならないし,国際環境は不安定化していますから,国際環境をよくするために,日本が積極的に国際協力を押し進めなければならないわけですね。

大平 そう。日本自体が国際的な地歩を確立してきたわけですから,国際的責任を進んで果たし,世界の安定と人類の進歩に貢献するということが,日本の経済,財政,政治,外交のすべてに当然の前提として織り込まれていなければならない。そんな時代に入ったと思います。

佐藤 日本は,経済的強者なのですから,それだけ責任も大きいということですね。

大平 そうです。また,資源制約に対する対応力を高めていくことは,そのような八〇年代の行き方について,重要な鍵を握っていると思います。日本は,有限な資源を世界から仰ぎ,付加価値を加えて生存していくわけですから,資源の制約からは抜け切れない。

 ですから,資源の供給制約や価格の高騰に対しても,他の国に劣らないような柔軟な対応が必要です。八〇年代の姿をはっきりと予見することは難しく,対応は容易ではないでしょうが,できない相談ではないと感じているのです。

渡部 なるほど。

大平 七〇年代の十年間に,石油は十倍とか十一倍の価格になり,ほかの資源にしても四,五倍の値段になったが,日本の消費者物価は二倍にとどまっている。これに対して,所得は五倍にもなっています。つまり非常に暮らしが豊かになったということです。日本人というのは,そういう困難な対応をやりながらも,生活の改善ができたわけです。

 ですから,八〇年代にもいろいろ厳しい条件があると思いますが,多くの困難に対応しながら,国際的責任を果たすと同時に,七〇年代に引き続き,生活の充実をさせていくことができると考えています。

 健全な批判精神を持つ若い世代

渡部 これまでのように八〇年代も繁栄を続けるためには,ただ一つ条件があると思います。それは,日本人の素質が下がらないということです。具体的にどう方針を立てるかよりも,日本人の質の維持ということになりましょうね。

大平 私は,その点でも日本人はしっかりしているという印象を持っているのですが,いつも学生と接しておられる先生方のご意見はいかがですか。

佐藤 いまの若者は夢がないとか,シラケているとかいった批判をよく耳にしますが,上の世代が若い世代を批判するというのは,古今東西どこでもよくみられるもので,特に目新しいことではありません。古代エジブトのパピルスに「最近の若いやつはダメ」という趣旨の言葉があるそうです。

 いまの若い人も理想や夢を失っているわけではありませんし,知識の量やバランスのとれた判断力という点では,私たちが学生だったころと比べ,はるかに進んでいると思います。

大平 ある報道機関が行った若者の意識調査によると,父親の立場に対する理解や,日本的やり方への自信は,高まってきているようです。要するに,若い世代がより成熟した意識を持つようになっているのでしょうね。若い世代の問で,保守党政権を支持するという層が,五年ぐらい前までは革新政権支持者より一〇パーセントぐらい低かったが,いまでは逆に一〇パーセントぐらい高くなっているのも,成熟した証拠だと言っては,手前味噌でしょうか。

渡部 妙な言い方ですが,民度の向上という感じがしますね。学生についても,要するに落ち着いてきた。いわゆる過激な書籍に飛びついて,頭に描いた理想社会を何が何でも二,三年のうちに実現させようなんていうようなことを考える人間は,だんだん減ってきたと思いますね。

佐藤 いまの学生は,リーダーが叫ぶとそちらにワッと集まるなどということがなくなり,自分の判断で好きなことをやっています。どのような権威にも留保条件を付ける批判的精神を持つ若い世代の出現−−。これは非常に結構なことではないかと思います。

大平 健全な傾向ですね。

渡部 内閣として“家庭価値”を言い出したのは,大平内閣が最初だと思うのですが,日本は,先進工業国の中で家庭の価値を非常に大別に思っている国なんですね。いいお母さんになりたいなんていう女性が,まだたくさんいる国は,もう珍しいのに…。

佐藤 青少年意識の国際比較調査をみますと,日本の若者は,社会や政治には極めて批判的ですが,両親との関係はうまくいっている。親子が互いに人間的な信頼関係を持っているのは,大変いいことです。子供が乳離れしないとか,親が子離れしないなどという批判は,ぜいたくな批判で,親子がばらばらになって,そっぽを向いているような家庭崩壊の状態に比べたら,ずっといい。

大平 教育ママにもいい面があるというわけですね。

佐藤 ええ。教育ママは子供を愛し,子供に期待を寄せているのですから,少なくとも悪い面だけではありません。

渡部 弊害の質が良好なんですよ。同じ弊害でも…。

佐藤 日本では六十五歳以上の高齢者の七〇パーセントが,自分の子供たちと一緒に生活しています。ほかの先進国では,せいぜい一〇パーセントぐらいですから,日本はケタ外れに高い。アメリカ人やヨーロッパ人にそのことを話すと,みんな驚き,そしてとてもうらやましがりますね。特に高齢者は。

大平 年をとると,そうでなくても寂しくなりがちですから,子供や孫と一緒に生活できれば,こんなうれしいことはありません。

佐藤 そういう人間関係のやさしさときめ細かさが人々を励まし,自信を与え,日本社会の活力を生み出していると言えるでしょう。

 これは,八〇年代に向けて日本社会が持っている大切な資産ではないかと思います。

文化,科学技術でも世界に貢献を

渡部 シェークスピアじゃないけど,「終わりよければ,すべてよし」で終わりがハッピーに終われるような老人,これはやはり社会の共同目標として忘れちゃいけない。

 ところで,いま日本人が国際的責任を果たしていないことと言えば,どういうことでしょう。

大平 経済協力の面をみますと,日本は量的にも少々見劣りがしますし,質的にも無償供与が少ない。条件は,かなり緩やかになってきましたが,先進諸国の中では,まだ劣位にあるわけですよ。これを少なくとも他の先進国並みのレベルにまで持っていかないと,申しわけないと思います。

 更に経済協力以外にもやるべきことは,たくさんあります。例えば,多くの発展途上国は行政能力がまだ弱い。ですから,大きな計画を立てても,それをつめたり,実行に移したりするのが,なかなかうまくいかない。経済協力以前の問題があるわけです。

 そこで,人間の能力開発にも協力しなければならない。留学生を思い切って受け入れるとか,技術者を派遣するとか,この点でも日本は他の先進国に比べて遅れています。

渡部 同感ですね。

大平 まず,日本人が外国人と隔意なく語り,遠慮なく付き合うようになる必要がありますね。これは,私どもの世代の日本人には,なかなかできないのですが,若い世代は,この点でももっと積極的になってほしい。国・公立大学で外国人が教授になる道を閉ざしているというのもおかしいですね。学問の世界は,まさに国家間の壁があってはならないはずなのですから。

渡部 ただ,語学の先生ならともかく,日本に外人の先生がきて,日本語が話せずに公務員である国立大学の教授というのは,どこの国の例に比してもおかしいと思う。せいぜい客員教授ぐらいでないと。私たちが外国によばれていっても,相手国の国語で教えなければ,そこのフルの先生にはなれませんからね。

佐藤 その点,私は少し意見が違います。第一に,世界にはごく少数ですが,日本語で授業できる優秀な外国人研究者もいます。ですから,外国人は国・公立大学の正規の教授になれないという鎖国的制度は,取り除くべきです。実際になれる人が少なくても,原則的にオープンにすべきです。

 第二に,日本語の国際的通用力を考えたら,少なくとも当分の間,日本の大学で外国語で授業する教授がいてもいいではないかというぐらいの,おおらかさがほしい。日本の大学が欧米の大学よりもっとオープンな新しいモデルを提供して悪いということはないでしょう。欧米並みになればいいという発想を超えるべきです。

大平 これからは,発展途上国に対してばかりでなく,先進国に対しても積極的に協力していくことが大事ではないかと思うのです。例えば,アメリカが,いまドル価値の安定に全力を挙げていますが,これも日本の協力がないことには実効が上がらないわけです。

 現在の世界には,ドルが五千億ドルも,六千億ドルもバラまかれていますが,これをうまく処理しないと,通貨情勢は落ち着かず,最悪の場合パニックが起こる危険がある。それに対して,日本や西ドイツは,これまでも部分的には協力していますが,更にもう一歩進んで努力することが必要でしょう。

 石油に代わる新エネルギーの開発も,世界に先がけて積極的に取り組んでいかなければなりません。

 私たちは,いままで受動的でしたから,主体的能動的に責任と役割を果たしていくことに鈍感になってしまっているのではないかと思います。

渡部 先進国との協力というと,防衛負担はどうお考えですか?

大平 安全保障は,単に軍事面ばかりでなく,経済,政治,文化,学術研究など総合的な観点から多面的な努力を必要とします。

 防衛負担は,その中でどのように位置づけていくか,これには,日本国民の合意と支持を十分に得ていくことが重要だと思います。

佐藤 かつては,軍事力は自分の国の利益のための手段でしたが,いまでは集団安全保障という考え方が支配的で,防衛努力も平和と国際秩序を守るための国際協力の一部なのですね。

 日本は軍事大国になるべきではありませんし,またなろうと思ってもなれませんから,軍事費の割合が国際的にみて低いのは悪いことではありませんが,軍事力をある程度のレベルに保っていくことは,国際的責任の一部だという自覚は必要です。また,軍事的協力の面で弱いのなら,経済協力とか,国内市場の開放とか,文化交流などの点で,ほかの国よりももっとやらなければならないでしょう。そういう面でバランスをとる心構えがないと,国際社会の責任ある一員とは言えないのではないかと思います。

大平 そういうことですね。

佐藤 文化交流や学間研究の面では,日本は,古代以来,極端な輸入超過で赤字続きです。そろそろここら辺りで人類のために,科学や文化の面でも積極的に貢献することが必要でしょうね。

大平 八〇年代には,国際社会の有力な一員として七〇年代以上に難しい問題に直面するでしょうが,七〇年代の試練を立派に乗り越えてきた日本人の努力と,日本社会の活力とを考えれば,私たちは自信を持って新しい課題に立ち向かえると思います。政治や行政がなすべきことは,国民の創意と活力が十分に発揮できるような環境づくりが中心です。これからも国民の信頼と合意を形成して,焦らずに,そしてできることから着実に手がけていきたいと思っています。

佐藤 どうもありがとうございました。