データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 「大平さん、ざっくばらんにいきますよ」(抄)(フジテレビ「総理と語る」)(大平内閣総理大臣)

[場所] 
[年月日] 1979年12月23日
[出典] 大平内閣総理大臣演説集,111−119頁.
[備考] 
[全文]

内閣総理大臣 大平正芳

評論家    竹村健一

竹村 総理ね、ぼくは今度この「総理と語る」をテレビでやることになって、ちょっと過去の視聴率を見てみたの。あまりよくないですね、「総理と語る」という番組は。その話をしたら、一番えらい人が何言うか、そんなこと構わんでもいいような日本は幸福ですよと言うた人もいる。それはそうでしょうね。独裁国なんかだったら、大統領やら総理大臣が何言うかが、自分たちの生活にぱっと響いたりしますから、一見、それはそれでいいように見えるんだけれども、やはり民主主義の国というのは、自分たちが選んだ、その中の頂点にいる人が何をやろうとしているか、何を考えているかということを国民が知らないかんと思うんですね。

 そういう点では、ぼくはもっともっとこういう番組は見られなければいかんと思う。しかし、視聴者にそれを強制するわけにはいかんのだから、やはりおもしろくないと。これただですからさっとスイツチ切られますから、そういうことで、ひとつ今日はタイトルも「大平さん、ざっくばらんにいきますよ」というタイトルでやりますので。

 まず一番、最近のことでは中国訪問、自民党の内紛で大分つらかった後だけに、とっても楽しかったようですね。

大平 過去二回、七二年と七四年と訪中したときは、まだざっくばらんに話ができる雰囲気でもなかったし、だから非常に気が重かったですけれども、今度の場合は、もう相当解放された気持ちでね。

竹村 それで歓迎の準備なんか見ても、いまだかつて、あれだけいろいろ準備したのはないぐらいすごい歓迎のようだったし……

大平 非常に簡素にやるようにしたんだと言ってましたがね。だから、そんなにこった歓迎ではなかったけれども、西安だけは驚いたな。

竹村 どういうふうに……

大平 全市民が出て歓迎してくれたような感じで。

竹村 それで、大平内閣の人気は、中国の方がよっぽどいいから、選挙区中国にかえたらどうだろうと言われたとか。

大平 そういうことを言う人もありました。確かに日本より人気がよかった。それはまず間違いない。

竹村 それで血圧が二十ぐらい下がったという話を聞いた。

大平 それは、現実にお医者さんが測ったんだから、間違いないですね。

竹村 やっぱりね。だから、日本に帰ってくると激務なんだよね。血圧まで変化する。そのぐらい総理大臣の仕事というのはえらいんですね。

 大平さんは、この秋の総選挙の後、ちょっとつぶれかけたんですけれども、失礼な言葉を使いますが、そこで、ぼくは非常におもしろいエピソードを聞いたんですけれどもね。大平さんは口笛がお上手で、よく吹かれると。それで、何かさびしいときやら、つらいときは「荒城の月」を吹いて、景気がよくなると「夜霧の第二国道」というのを吹かれるという話を聞いたんだけれども……。

大平 いや、まあそういうわけでもないですけれどもね。

竹村 ここで一度大平首相が口笛を「荒城の月」でも吹いてもらったら、この番組が一度に視聴率が上がると思うんですが。

大平 いや、まあ、またの機会にしましょう、それは。

竹村 それはまあ無理でしょうな。しかし、内紛劇の中でつらいころ思わず「荒城の月」を吹いておられたという話を聞くと、これは、ぼくがそういう話を紹介するのは、何も奇をてらうのでなくて、総理大臣というのもやはり人間だということを言いたいからなんですよ。ぼくは、前に大平さんから、中学時代に学校に通うとき、住友鉱山か何かのそばをいつも通りながら、ここに勤められたらええのになあと思うてたと、総理大臣までいくとはまさか思うてないという話を聞いたことがありますけれども、そうなんですよね。中学時代はやはりだれだって同じようなものでしょうな。

大平 そうそう。

竹村 口笛の方は乗ってもらえなかったから仕方がないですけれども、石油に移りますが、日本は、戦争が終わった一九四五年時点でアメリカの二%ぐらいの国力しかなかった。それがもう八〇年を迎えるいま、アメリカの五〇%の国力まできた。

 それに反して自給率の方は、戦争が終わったときは、産業もないから九割の自給率があったのに、ぐんぐん低下していっていまや一二%、約一割の自給率しかない。日本が高度成長に移る一九六〇年(昭和三十五年)のころには約五割の自給率があったのが、そのころからちょっと手当てすればええのに、こういうふうになってしまった。このエネルギーの自給率の問題ですね、八〇年代になれば、一番の問題だろうと思いますけれども、その方は、どういうふうに手当ていろいろ考えていらっしゃるか。

大平 一バレル二ドル前後で戦前、戦中、戦後を通じてついこの間まで石油というのは変わらないものですから、こんなに安くてそしていつでも手に入る便利な資源があるのに、これに乗り移らないばかはあるかというわけで、産業も交通も生活もみんな石油にかえてしまったわけですね。非常に先見の明がなかったわけですよ。

 ところが、この四、五年前から石油が四倍になり、さらに今度倍になり、ちょうど金と同じように十年間に十一、二倍になりましたね。ですから、あなたがおっしゃるように、もう脱石油にすべてのことを切りかえていかなければならないというのが八〇年代の大きな課題でしょう。

竹村 ぼくは、自民党政府の政策は、ほかの面ではもう全部ええと言うたことがあるんですよ。日本の新聞は何でも悪いと言うけれども、経済成長は世界一ですね。失業率の低さは世界一だし、福祉の方もいまやシステムにおいては世界一に並ぶようになっているし、というふうにいいのに全部マスコミが悪い悪い言うから、石油も悪い言うしエネルギーも悪い言うたって国民の方は全部悪いうちの一つかいなとかね。ぼくはもうエネルギーは一番悪いと思いますよ、状況が。それが日本の自民党政策の最大の失敗だったと思う。

大平 しかし、目の前にある石油が安定供給されて、しかも安い価格で必要なときに必要な分量がいつでも入るというんですからね。それについつい誘惑されたとしても、あえてとがめられないと思うんですよ、過去の日本はね。しかし、いま日本は大体七五%輸入石油に依存していますが、これを五〇%までに今後十年間にしようという計画で、いま代替資源の開発に取りかかっておるわけですよ。

竹村 その取りかかり方がどうも生ぬるいという気がしてしようがないんですね。ぼくは、ほかのことはおいといても、この問題に本当に真剣にかかってもらわないと、という気がしてしようがない。

大平 ええ、それは真剣にかかりますよ。ことしの予算をご覧いただいたらわかりますように、エネルギー開発予算というのは相当思い切って出してますからね。

竹村 そうですか。GNPに対して何%ぐらいですか。

大平 予算で前年度に比べて三〇%を超える増ですわね。全体は五%ぐらいしかふえないところで。

竹村 ああ、なるほど。全体は五%ぐらいしかふえてない中で、エネルギー開発予算は三〇%、はい、それじゃあ熱意は認めますが、一九七〇年から約十年間エネルギー開発予算の比率がずっと下がってきたということは、ぼくは、熱意があまりなかったということだと思うんです。それは、必ずしもぼくは政府だけの責任とは言いませんよ。政治というものは、非常に国民の意見をくみ入れないかん。国民がエネルギーのことにあまり一所懸命でなかったということだと思う。あなた、最後のご奉公でやっていただきたい。

大平 仰せのとおり、精いっぱいやりますから。

竹村 さて、信頼の問題ですけれども、一つは国際的な信頼、外の信頼を保つということ、もう一つは国内の、つまり国民からの信頼。この面で、次から次へと官公庁の方でカラ出張だとか、ああいうのがありますね。それから、それに関連してやはり行政改革をやってもらいたいという声が非常に強い。

 今度の第二次大平内閣は、ぼくは宇野行管庁長官なんかと会ってても、わりあい真剣みたいですね。それは、単に宇野さんと会うだけじゃなくて下の役人に会っても、今度は、本当に長官真剣なんですよと言うてるから、ぼくは大平さんも多分そうだと思いますけれども、そこらのところを……。

大平 いろんな積弊が一ペんに噴き出しましてね、政府や関係機関で不正経理の問題等が次々出てきたりして、何ということだと、国民は、大変いやな気持ちをされておるだろうと思うし、ここでもか、ここでもかとこう出てくるわけですから。私はまずお願いしたいことは、しかし、それがわかって、解明、究明にかけられておる、日本は、そういう国だということを理解していただきたいということなんです。

 そういうことがやみからやみに葬られないで、ともかくいい悪いは別にして出てきていると、それを究明して刑事責任をとるものはとってもらわなければいかんし、政治責任は厳しく問われておるし、新聞その他マスコミがこれを国民に十分提供して国民が判断してくれておるという。そういう日本は開かれた状態にあるということをまず良しと考えてもらいたいと思うんですね。

竹村 なるほど。それは、ぜひとも強い声で訴えていただきたいですね。

大平 そういうことでない国であると大変であると。だから、まず五十点はそれで取っておるんだと。それをわれわれが六十点にし、七十点にするには、この後の始末をどうするか、この始末をいい加減にしちゃいけないので、この始末をどうつけるかを見ていただいて、それで六十点取らしていただく。

 さらに、今度はこういうことを繰り返さないために、先行きそういうことが起こらないような予防手段をどれだけとったかという点で七十点までもっていけないものかというのが、私はこの問題の処理について考えておることなんです。

 それで、いま一部について司直の手が入って刑事責任を問うておるところもあれば、監督官庁やその政府機関自体で内部にいろいろな仕組みをつくって、真相の解明とどのように処理したらいいかということをいまやっておるところですね。これもだんだんと明らかになってまいります。それから、第三者機関である会計検査院だとか行政監察局とかいうのがまたこれを見て、どのように究明していくか、正していくかというようなことをいまやっておるところです。ただ、これはいままだ始まったばかりで、だからもう少し時間をかけて見ていただきたい。

 それから、予防措置をこの通常国会から出していかなければいかんと考えておりますが、そういった三段構えをじっと見て、それから生ぬるいとか遅いとかいうことだったら、おしかりをいただきたいと思うし、一応やっておる点は、もうよろしいと言うて激励していただくとか、もう何もかもだめだ、だめだとおっしゃらんで、そういう意味でもう少し建設的にひとつわれわれを勇気づけていただき、鞭撻していただきたいというような気持ちがあります。

竹村 日本の新聞は、本当に視野が狭いと思うよ。大平首相は、ぼくは外国の特派員の評価見たら、非常に視野が広い方だと聞いてる。事実そう見える。そうしたら、そういう考えで少しは言ってほしいんですよ。本当に国民がつらい思いをするところはどこなのかと。実は、あんな高級役人をちょっとぐらい首切ることじゃない。それは首は切ってもろうたらええ。しかし、それは国民がすかっとするだけでね。

大平 しかしね、今日の問題は何かとそのとらえ方の問題ですけれども、まず何といっても綱紀がこう乱れておってはいかんじゃないかということが、いま国民が非常にいら立ちを感じられておることじゃないでしょうか。それだから、国会がまずその問題に手をつけて、そして、それをめぐる論議に熱中するということも、私はある意味において理解していただかなければならんと思うんです。ただ、あなたがおっしゃるように、そのことばかりが国会の仕事ではないので、国会というのは、国政全体、外交・内政全体についてバランスのとれたちゃんとした審議を国民のためにせねばいかん立場ですから、それをうつつ抜かして検事的なことばかりに明け暮れておったらいかんということは、私は、それは国会の方々も皆感じられておると思いますよ。だから、国会運営においてそういう点に若干ご不満があろうかと思いますけれども、それは、われわれも気をつけていかなければいかんと思います。

竹村 もう一つの国際的な信頼感ですが、今度でもアメリカが石油の問題で怒るというときに、根本的な流れとしてアメリカの国民が、日本はわれわれの仲間であるという信頼感を持ってたらちょっとぐらいのことは許してくれるし、ぼくはそれが大きな問題にはならなかったと思うんですね。そういう点で、やはり自由世界の仲間にはもっともっと日本というものを知らせる必要があるし、これには予算をもっとつけてほしいと思うんですよ。

 たとえば、政府の対外広報予算を見ますとね、アメリカに劣るのはあたりまえですけれども、イギリスやらフランスやらドイツの何分の一しかないんですね。国力は日本の方が上なのに。

 アメリカなんかでも、いまだに日本は中国とひっついてると、島国でないと思っているのが五割いるそうですよ。南部の高校でテストをしたら、日本の首府はどこかというたら、五三パーセントが北京言うたと言うんだ。それではね、そんなもんと仲よくいきようがないと思う。そういう面では首相の方は何か八〇年代考えておられますか、外国の信頼を得る方法として。

大平 外交の基本は、やはり信義ですわね。国際信義ですから、約束は果たさなければいかん。できない約束はしちゃいかん。そういう基本はちゃんとしておかなければいかんが、その点については、私は、日本はそうお粗末な国とは思ってないんです。ただ、積極的にあなたの言うように国際社会の中で目を見張るような働きをして、相当実績を上げておるかというと、そういう国ではないのでね、比較的外交的には孤立した国で、日本の国自体も国際化がおくれておるし、その点は、私は率直に認めなければいかんと思いますが、これ、一朝一夕に外務省の役人をふやしてみても、広報予算を急にふやしてみてもできることじゃないのでね。やはり地道にわれわれの生活、われわれの考え方、われわれの活動自体をだんだんと国際化していく努力とあわせてやらんといけませんから、もう少しこれに時間をかしてもらわなければいかんが、一九八〇年代はそういうことで相当長足の進歩があってしかるべき時代だと思いますよ。

竹村 どうも長い間ありがとうございました。