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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 選択のとき(抄)(NHK「総理にきく」)(大平内閣総理大臣)

[場所] 
[年月日] 1979年7月30日
[出典] 大平内閣総理大臣演説集,78−94頁.
[備考] 
[全文]

内閣総理大臣   大平正芳

作家       曾野綾子

NHK解説委員長 家城啓一郎

家城 総理大臣に夏休みがおありになるのかならないのか、たぶんないと思うのですけれども、この八月の暑い中、どんなふうにお過ごしになられますか。

大平 八月は前後一週間ぐらい休ませてもらおうと思っていますがね。軽井沢か、箱根か、どちらかにまいりまして。

家城 新聞に総理の一日の動向が出ますけれども、ほんとうにたくさんの人に会われるんですね、会議はあるし−−。

大平 あすこに書いてあるほどのことはないんですね。その間、若干の合間がございますのでね。しょっちゅう寸秒おかずに人に次から次へと会っているわけでもございませんね。

曾野 総理はどうお過ごしかなんて、非常に素人っぽい興味なんですけれども、一週間とおっしゃいましたが、そのあとはもう全部決まっていらっしゃるんですか。

大平 だいたい。

曾野 まあたいへん。毎年そうでいらっしゃいますか。

大平 そうですね。毎年大体そうですね。一力月ないし一力月半先きぐらいまで大体決まっていますね、それがだんだん埋まっていくわけですね。

家城 充電するとなりますと、やはり今度の一週間の夏休みというのは貴重な時間でございますね。

大平 そんな野心を持っていませんからね。

曾野 お短か過ぎますね。

大平 そうかも知れませんけれども、そのぐらいしか取れませんね。

家城 せんだって、日本人は働き過ぎだ、働き中毒というようなことばもありましてね、その働き過ぎ論に対する反省が過剰なぐらい出てきて、「じゃ休めというのか」というそういう議論がある。いま、日本人はそんな休むほどのレベルにまで全体が達しているのか、働き過ぎ論、反働き過ぎ論、総理はどうお考えですか。

大平 私は、先進諸国と日本と比べた場合と、昔の日本といまの日本と比較の仕方があると思うんですね。昔の日本といまの日本と比べた場合にはもう非常に変わりまして、そんなに無理した働きはしておりませんしね。昼夜をわかたず非常な重労働に耐えるなんていう事例はあんまりなくなりましたね。

曾野 総理の場合たいへんでもいらっしゃいましょうけれとも、お楽しみでいらっしゃいましょう。私、たいへん同情がないんですけれども、人間いやなことで働くのはかわいそうでございますけれども、楽しいことでしたら同情する必要ない……。

大平 同情する必要はないですね。私なんかに同情していただこうと思わんですけれども、いまの一般に日本人は働き過ぎるじゃないかということに対して、いま、昔に比べたらそんなに働いていないじゃないかと、ただヨーロッパの諸国なんかに比べては、比較的働いておるほうかも知れませんね。そういう感じはしますけれどもね。

家城 せんだってサミットが終わりましてからNHKで世論調査をいたしましたら、「エネルギーの将来について不安だ」とこうお答えになった方が九二パーセント、それから「長期にわたって影響を及ぼすであろう」と七〇パーセントが心配しておられるんです。このエネルギーの将来について、なかなかわからない要因がまだ多うございますけれども、総理のご展望はいかがでいらっしゃいますか。

大平 私はね、楽観もしなければ悲観もせんです。昔、まあわれわれが石油にこんなに頼らなくても産業も経営してきたし、生活もやってきたしね。だけども石油のほうが便利で安くて能率がいいもんですから、石油に頼ることになってしまいましたけれども、気がついてみると、石油にたっぷりつかってしまっている。輸送業、工業ばかりでなく、漁業から農業にいたるまで、みなもういまは石油を外しては考えられない。われわれの生活自体がそういうふうになっておりますわね。

 「これはえらいことになった」と思いますが、しかし、これを全部早く切り替えていく言うてもなかなかむずかしうございますけれども、ただ、これを切り替える道はないわけでもないし、できない相談でもないと思うのですね。その努力をしていけば、非常に展望は暗いと言われますけれども、克服できない相談ではないと。しかし、それには相当苦労がいると思いますね。

 ただ楽観するわけではないんだが、しかし、悲観する必要はないんじゃないか。手堅く、いま、石油が高くなる、あるいは入手が困難になればそれに代わる道を考える。まず節約する、代替エネルギー、たいへんむずかしいことですけれども、それを開発利用していくということを丹念にやっていって、そのできる範囲内において、われわれの産業の経営なり、生活のやり方を工夫していくというように、日本人は、そういうような点は、相当、どこの国にも負けないように、やれるだけの能力を持っていると思いますけれどね。

曾野 私、たいへんいつも態度が悪いんでございますけとね、見通しというのは、学者の先生方とか、政治家の方々とかいろいろとその道の大家がお集まりになってお考えになるんでございますけれども、正直言って当たったためしがないのですね。それですからね、あまり信じなくてもいい気がするんです。そういう見方はまちがいなんでございましょうか。

大平 それは当たったらたいへんですよ。

曾野 ああ、そうでございますか、それで安心いたしました。

大平 見通しのように、そのとおりに世の中が動くということになったら私はたいへんだと思うんです。世の中はそのとおりにいかないからおもしろいんで、ただその見通しが立てられると、それを一つの判断の目安にしまして、各経済主体が個人もあるいは企業も国も、まあいろいろ工夫するわけですね。ですから、見通しから必ずはずれますけれども、その見通しを立てておるということがむだだとは言えない。

曾野 よき刺激でございますね。

大平 そういう意味において、その限度においてわれわれはやっているわけで。

曾野 いま、総理がおっしゃいましたけれども、どこの国にも負けないように代替エネルギーの問題でもやっていくと、私、日本人はやってのけるような気が確かにするんでございますね。そうしますと、よけいなことかも知れませんけれども、いわゆる先進国は、それでこの危機を乗り切ってしまいまして、非先進国との間に大きな段差が将来つくんじゃないかという気がいたしますけれども、そういうことはお考えになりませんか。

大平 つまり、今までもこういう状態でありながら、だんだんと落差がついてきましたね。ますますついていきましょうね。

曾野 そうでございますね。

大平 しかし、ついていきますけれども、極端に言いますと、インドの昔ふうに生きておられる方々が幸せなのか、それから、もっと非常に進んだ便利な西ヨーロッパとかアメリカの国民が幸せなのかというと、ちょっとまたこれ考えなけりゃならんことになってくるので、私は、落差がつくということはできるだけ避けるように努力しなければならんけれども、それがあると、もう世界は、破滅だと考える必要はないんで、われわれはやるべきことをやると、発展途上国の方々もやるべきことをやるということで、それぞれのユニークな行き方があるんじゃないんでしょうか。

曾野 そうでございます。発展途上国の方々の行き方からわれわれの多くの精神的なものを学ぶということができまして、己が鏡のようなところがございますようで、−−でも、いま伺っておりますと、総理はたいへんいい意味で分裂したお考えをお持ちのようでございますけれども、これは、私違うかも知れませんけど、ごめんなさいませ。私、その分裂した方ってたいへん好きなんでございますけれども。

大乎 分裂−−

曾野 ええ。両極のお考えが同時におありになる。そういたしますと、政治をなさいましておつらくございませんですか。変な質問になっちゃって申しわけないんですが。

大平 一方に思い込んで、一方に片寄ってしまうと苦しいけれども、まあ、こういう、政治というのは、いろんな考え方を、なんと言いますか、調節をしながら、何か非常に立派なものでないかも知れんけれども、まあいまの分別はこういうことじゃないだろうかと、ハイカラなことばで言うとコンセンサス、こういうことじゃないだろうかというようなことを作りながら、いかだを流すようにもっていくわけで、一直線になんかうまくやろうとしても無理ですね。

曾野 当然危険でございますね。ただ、私ども庶民というのは、たいへんセンチメンタルでございましょう? ですから、道徳的なことをパッと総理がおっしゃって下さると非常にうれしい。「だけども世の中というのは悪の面もいたらぬ面もあるんだよ」なんておっしゃると、「もう少ししっかりせい」なんて、そういうことを必ず言うと思うんでございますね。そういうものについてもご覚悟の上で−−。

大平 毎日言われているんですよ。

家城 いま、たまたま分裂ということばが出ましたけれども、いまのエネルギーに関しましてね、いまの生活水準、あるいは生活の快適さ、それを犠牲にしても節約に努力しましょう、とこういう考え方が一つある。逆に、環境がいくらか汚れても、石炭をたくことによって、あるいは原子力発電の不安があっても、自分はやっぱり生活水準を保ちたい、生活の快適さそれを維持していきたい、二つ考え方があると思うのですよ。

 世論調査いたしますと、節約に努力というほうが多いですね、半分ぐらいで現在の生活を維持していきたい、少々空気が汚れても原子力の不安があってもと、こうあるんですね。そういうような選択に一国の総理として非常にむずかしいだろうと思うんですけれども、どんなふうにお考えになりますか。

大平 それはどっらもまちがいでして、いま、われわれが、あるがままの生活ですね、こういう生活水準を維持できている、こういう働き口を持っておる、収入の道をこれだけ確保できておるという経済の全体の仕組みの中で、われわれ生きているわけでございますから、この経済の仕組みを根本的にやり直そうというこれは革命ですけれども、そんなことは誰も望んでいない。

 しかし、これを支えておるエネルギーというものが細ってきたんだから、これはもう思い切って消費も切ってしまう、生産も切る、雇用も落とすということになると、これはたいへんな激変を世の中に与えることで、私は、政治はそういうことをやっらゃいかんと思いますね。

 いまの状態を何とか、エネルギーが足らなくなったらそれをどうして補うかを考えて、いまの状態をできるだけ変えないように、できたらよくしたいんだけども、よくできないにしても、悪くしないようにわれわれは一新懸命にやるべきだと思いますね。それでいて、できないものがあれば、それはもう理解してもらわなければいかんと思いますけれども、そんなに思い込む必要はないんじゃないでしょうか。

 日本人は、そういう時に、そういう変化に対しまして比較的よく私は適応してきたと思いますね。これは偉いと思いますね。諸外国は、先般サミットで大勢の方がこられましたけれども、「すばらしい」と言うてほめられましてね、ちょっとくすぐったい感じがしましたけれども、「こんなにほめられました、このような評価を受けました」なんて言うと、また手柄になっちゃいかんと思って私どもは黙っているけどね。

家城 政治家のタイプで、これはウォルター・リップマンという人が言っておりますけれども、ポリティシャンとステーツマンの違い、ポリティシャン、政治屋というのは煽動すると、ステーツマン、政治家はこれは現実をもって国民を教育すると、「あなた方は政治屋を選ぶのか政治家を選ぶのか」とこう言うのですね。いま、曽野さんおっしゃったのは、まさにいまどういう状況かということを、ちゃんと説明するということが政治家の責任ではないか、そういうことをおっしゃったのですね。

大平 そうだと思いますね。私は、もう一つ言い添えると、リップマン氏の考え方に対して、ステーツマンを必要とするかポリティシャンでもがまんできるか、それは、やっぱりその国情でございまして、いま、非常に偉大なリーダー、偉大なステーツマンシップを必要とする、一方において、それがないとその国は持たないというような状態かどうかですね。

 政治家ばかりを責める人もいけないんで、やっぱり国民の状態で、国民の期待にこたえた政治が行われなければいけないとすれば、その国の事情によってステーツマンを必要とする時はステーツマンシップを発揮せにゃならんだろうし、私もよく言っているんですが、日本のような場合はね、あんまりリーダーシップなんてものはみんないやがりますよ。昔からそうでしょう、日本にリーダーなんか出たことないんです。だいたい国民のはうが非常に積極的で意欲的で行動的だから、それをできるだけうまく調節しながら全体としてひどいことにならんように、できたら全体の歩みがおかしくならんようにしていく、そういうことがいまの政治の最小限度の任務だろうと。

 しかし、それにしても、いまおっしゃるように、いまの現実がどういう状態であるかということに対しては、明確にお話して、理解を求めることはいいと思いますが、それは必ずしも十分できておりませんね。

 できておりませんのは、全体のピクチャーを初めからこうちゃんと順序よく問題にしてくれるといいんですけれどもね。「ここはどうだ」とおっしゃるし、「ここはどうだ」と聞かれるものだから、「ここはこうでございます」なんて説明しておったら、全体として非常におかしなことになりましてね。

 例えば、「増税論を大平さん言っている、これはけしからん」という。私は増税論をいきなり言うんじゃなくて、財政はこのままではいけないんで、財政は再建せにゃいかんと思っていますと、そのためには歳出も削らにゃいかんし、人員も削減せにゃいかんし、しかし、同時に、いまの税制でできるだけ充実した課税を行って、なお足らなければまあ増税のはうもいっペん検討して下さいと言っておるんだけれども、それを税の問題だけに限るとね、こういう前提を抜きにしてしまって、「これはけしからん」とお叱りを受けるんですが、ただ、冷静に政府の言っていることを、全体を公正に見ていただく、判断していただくと、そこでまだここに力点の置き方が足らない、努力が足らないというように指摘していただくといいんだけれども。

家城 それは、増税というのはまさにおっしゃられましたように、安上りで効率的な政府、チープガバメント、そちらの努力を国民がある程度納得しないと増税のほうも「うん」とは言いませんですね。

大平 だから、それをまず行き着くところまで苦しいけれどやらなきゃならんわけですよ。それが予算の編成というやつで、それをやって、なおこれを引き続いてやりますか、それでこれだけの財源が要りますがどうしますかという相談をしますから、その場合に、われわれとしては決断して「こういうことですから、こういたしたい」というように国民の理解判断を求めるようにしたいと思っています。

曾野 それが少しお足りにならないかも知れませんですね、税の問題。私、時々ぶつかるんでございますけれど、「日本は非常に税金の高い国だ」とか、そういうふうにおっしゃる方があるんです。もっと現実的に見れば、先進国の中で非常に高額所得者から取る率は高くて、それから免税点の高い国であるということをね、はっきり、おっしゃるべきです。

大平 ええ、下のはうに安くなっておりますからね。そういうふうになっているわけですから、だからもう少しこの辺り工夫を考えてみてくれんかということで問題にはなると思うのですよ。

家城 ただ、これまでやはり国の財政が四割方借金でやってきているというのは不健全ですね。これを総理はなんとかして再建を、とこうおっしゃるわけですね。

大平 これは、まあ石油問題に関連して、石油の値段が四倍にもなってきた、それだからそれで世の中はたいへん不景気になってきた、歳入が減ってきた、その場合に歳出も減らして、全体として、つつましくやっていくということを選択すれば、それで一つの財政がこんな状態にはならなかったと思うのですけれどもね。

家城 そう思いますね。

大平 しかし、あの当時私はちょうど大蔵大臣をしておりましたけれども、私の選択は、この石油ショックの重荷を一つ財政のほうで負担していこう、「それで企業も国民も従来どおりやっておって下さい。いまここに嵐が吹いているのだから、この嵐の間、私のほうで財政でこの嵐は吹き止めておくから、あなた方は従来どおりやっておって下さい。それで時間をかけてこの財政の負担、つまり国債の増発という問題は片づけましょう」という選択をしたのです。その選択は、私は誤っていなかったと思うのですよ。

 諸外国も「すばらしい選択だった」と言うてくれるのだけれども、しかし、重荷はここまで残ったのですね。だからこれをどうしても背負い切れないとほめられないわけですね。それをいまから残された半分の仕事をやろうというわけですからね。だから、いままでのやったことに対する罪障を払おうというわけですからね。

家城 切り詰めて再建するということ、それで、このままでもって増税でやっていく−−。

大平 まず切り詰めなければいけませんね。みんな「そんなに言われるけれども、われわれは勘弁して下さいと言うけれども、ここまでは切り詰めて下さいよ」と、ある程度の協力は得られると思いますよ。

 しかし、それではね、とても単位が違うのですよ、財源の不足はね。それは何千億という金は出てくるかも知れんけれども、何兆円という金は出てこないのですよ。それほど大きな課題をいまわれわれは持っておるというわけですから、そこで若干増税のほうの負担を増すことをこの際考えてくれないか、インフレを避けるために、われわれの生活を守るために、そうしてくれないかというのが、いまの問題なんです。

家城 一般消費税でいくのか、あるいは所得税、法人税の増収でいくのかですが、増税でいくのか、ここいらは、結局、こっちがだめならこっちというようにのっぴきならない−−

大平 こっちがだめならこっち−−歳出の削減のほうでみんな片づけばそれでそんな必要はないのですけれどもね。そうでなければこちらでいきましょうか、こちらでいきましょうか、両方とも嫌いだったら少しずつ両方やりますかとか、いろいろなことを考えたらいいのじゃないでしょうか、あんまり固く考えないで。

曾野 どの家も完全に幸せではないのでございますね。だから、せめて国家は完全であってもらいたい、社会も理想的であってもらいたい、そういうような気持があるような気がいたしますね。完全を求めるというのは、私なんか想像できないことなんですけれども、けっこうそういう風潮があるような気がいたします。ですから、どこも同じで、家庭も国家も同じなんで不備だらけと言ってしまったほうが簡単でございますね。

大平 そう言うと、「それは理想が足らない」、「熱意が足らない」とおっしゃるけれども−−

曾野 でも現実はそんなものでございましょう。

大平 だから、一所懸命にやっても、なかなか良い点数は取れませんよ。

曾野 それは、どこの家庭もそうだと思いますね。

大平 それが政治だと思いますね。

曾野 私ひとつ、お話が飛ぶかも知れませんけれども、難民問題をお伺いしたい。これは、お金と政治だけではなく、一つの哲学の問題が入って、その時に、総理としてのお立場と個人のお立場とが分裂していらっしゃるのじゃないかなあとか、それを一度伺いたいと思っておりましたのですけれども。

大平 いま、インドシナ難民というのはだいたい八十五万人ぐらい流出したでしょうか。そのうち五十万人ぐらいがまだいき場所が決まらずに収容キャンプで暮らしているという状態で、三十五、六万人がまあ落ち着く場所が決まりましてね、アメリカがそのうちの十六、七万、フランスが七、八万というように引き受けてくれておりますが、日本はほとんどないんですが。この状況を見ておりますとね、やっぱり自分の身寄りというか、身内、相談相手がおる国にいっていますね。

 それからもう一つは、その社会が受け入れる社会と、入れない社会がありますね。日本の場合は、日本にいっても誰も身寄りがないということで、まず希望者がないのです。それから日本の社会というのは、お互いは平気でおるかも知らんけれども、目に見えない壁がありましてね、外国の方々というのがなかなか入れない社会なんですね。それを外国の方もよう知っていますよ。

 それで、結局、私は、日本はいろいろ受け入れの枠をふやしてみても、いくら努力してみても、そんなに日本にこられる人は少ないと思います。したがって、日本としては思い切って財政援助をしてあげるということで、これにこたえないといけないのじゃないか。そして、そういうことでアメリカはじめ、諸外国は納得していますね。「日本は、そういうことでやってくれませんか」と、「実際に定住枠を拡大せいと言ってもあなたの国は無理ですな」ということは、だんだんわかってきましてね。しかしながら、定住枠の拡大もわれわれはやりますよ、努力しますけれども、非常に限られた人数しかできませんね。

曾野 その背後に、せっかく日本人は単一民族でやってきた所にそういう複合的な状況になると、これはセンチメンタリズムを離れて、「助けてあげたい」という気持とは別に、将来問題が起きるというふうな総理のお考えはおありになりませんか。その心配はございますね、それも当然考えられることだと思いますが。

大平 それは、日本人、私ばかりじゃなく、日本人が全体としてやはりこういう単一民族、単一国語で暮らしていくということを、あまり乱されたくないという気持、わかりますよ。わかりますけれども、こんなに地球が狭くなりましてね、相互依存がこんなに高まってきた時に、こんな態度でいいのかということを確かに、日本も考えなければいかんと思うのですが、いま、とても難民ひとつ取ってみても、三百人、五百人はなかなかできないのですからね、観念論としてそう考えても実際は動かないのですよ。非常にユニークな国ですね。

曾野 そうでございますね。

大平 だけれど、こういう国柄だというのはしょうがないので、諸国民が日本に定住されて、しかも、チャンと暮らしていけるというデモクラチックな国であってほしいと思いますけれどもね。何かまだとても距離がありますね。だから、じっくり時間をかけて日本の経済ばかりでなく、日本の生活自体の国際化というのは考えて行かないと。

家城 いま、国際化というようなことばが出ましたけれども、日本はこれからますますそういうふうでなくてはならないだろうと思いますけれども、総理、わが孫や子孫にどういうような社会を残していってやりたいかというふうにお考えになりますか、非常に抽象的ですけれども。

大平 国際化という意味は、日本人が、足が長くなってみたり、外国語が上手になってみたり、非常にスマートな国際人になれという意味ではないのです。そんなことになりませんよ。そんなことにはなれないのだけれども、足は短いままでけっこうだし、色は浅黒くてけっこうですが、やっぱり日本人というのは、尊敬できる、評価できる人種である、日本人というのはやることをチャンとやっておる、日本が世界にあることが非常にありがたいことだと思うような国になれば、ほんとうの日本の国際化じゃないかと思うんですよ。

 そういう方向はできないことはないんで、それは現に、われわれは相当そういう方向へだんだん前進していっていますからね。それで、相当ある面においては、非常に評価を受けるような国になりましたが、ある面においてはまだまだという状態でございますけれども、まだ努力によりまして、相当世界の尊敬と評価をかち得ることはできうるのじゃないでしょうか。そういう日本になりたいということですね。

 日本が一億一千万の国民、これが一億三千万になるか四千万になるかもしれませんけれども、ここで非常に楽しいパラダイスを築こうなんというのじゃなくて、そんなことはできっこないんで、やっぱり世界の領海の中で、世界の地縁の中でわれわれは生きるわけですから、だから日本はチャンとそれだけの責任を心得ておる、役割を心得ておる、それだけの貢献をしておるという国民であってはじめて生存も可能なんだし、そういう国民にはなれないはずはないんじゃないか。

曾野 日本というのは、二番手に何かをやる時には、たいへんスマートに常識のあるようにやるんでございますね。しかし、リーダーシップをとって人道的に日本が最初にこれをやるべきだとおっしゃったことが一度もないような気がします。そういうのは私の不勉強のせいでしょらか。

大平 いま、ここに国際会議場があるとすれば、国際会議でここに屏風が立ててあって、そして、そこにツカツカといってまず席を占めて周囲を見渡して、「おれはどういう順序で発言してやろうか」というように考える前に、そのつい立ての後のほうからまず様子をよく見ておいてね、(笑い)どうだろうか、いま、みんな座っているが、おれもそろそろ出ていってよかろうかとか、なんかまだおずおずしておるような感じがするんですよ。また国際社会に、なんというか、なんとなくアウトサイダーである感じから抜け切れていないわけで、しかし、急に日本人がまたバカに出しゃばっていくのを、必ずしも私はいいとは思わんですけれども、そういう状態から一歩でて、チャンとごく自然に座れる、そして自然に違和感もなくやっていけるというようにだんだんなってきましたよ。なりつつある。

家城 総理、いろいろお話をお伺いして、やっぱりこの一九八〇年代にいよいよ臨むに当たって、この時代をどういうふうに捉えられるか、特に石油の問題、エネルギーの問題が絡んでいかがでございましょうね。総理のご認識。

大平 だから、一九六〇年代、たいへん繁栄の時代でございましたし、七〇年代は一応反省というか、踏みとどまっていろいろな問題が出てきた時代でございまして、八〇年代というのは、きっと時代の精神が変わったいき方を取るのじゃないでしょうか。まあ、量的拡大より質的充実というようなハイカラなことばを使っている人がありますけれども、そんな感じね。目に見えないもの、精神とか健康とか明るさとか清潔さとか、そういったこと、物質的な繁栄は目に見えるけれども、それも大事だけれども、大事かも知れませんけども、もっと大事な目に見えないものがあるんじゃなかろうかとか。

 それから、戦争、平和の問題につきましても、武力を強くすることばかりが能じゃない。やっぱりわれわれは平和に貢献すべき道がほかにもっとあるのじゃないかと、ほんとうに文化的にいろいろ深く広く考えなければならない時代がきたのじゃないかとかね。いろいろな問題で、経済的な繁栄なんかをこれ以上むやみに追求できないかも知れませんけれども、もっとそれでいながら幸せな充実感を求める道がないはずがないのじゃないか、そういうようなことをお互いに国の内外を通じて探究していくべき時代じゃないだろうか、そんな感じがしますね。

家城 どうもありがとうございました。