データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 日米欧委員会第10回東京総会における大平内閣正芳総理大臣のスピーチ

[場所] 東京
[年月日] 1979年4月24日
[出典] 外交青書24号,348ー350頁.
[備考] 
[全文]

 日米欧委員会第10回東京総会の機会に皆様にお会いできるのは,私の大きな喜びであります。

 皆様の多くは顔なじみの方々で,私もくつろいだ感じでおります。皆様方の中には,きっと,昨年末私が首相に選ばれたことでびつくりされた方がいらつしやるに違いありません。実は私自身予想外でした。いずれにせよ,皆様方が今後も変わらず友情と助言と激励を与えて下さるようお願いいたします。

 まず,本委員会がさらに3年間活動を続けることとなつたことは,同慶の至りであります。本委員会は,年を追つてその重要性を増し,プレスティージを高めております。次の3年間の活動がさらに一層有意義であることを期待する次第であります。

 この機会に1980年代に向つての内外にわたるわが国の針路につき私の考え方の一端を申し述べたいと思います。

 今日,いかなる国も国際社会から隔絶しては生存し得ないことはいうまでもありませんが,特にわが国は,国際協調の中にしかその生きる道を見出し得ないのであります。わが国の経済は今や自由世界第2位の規模にまで成長いたしましたが,例えばエネルギーの75パーセントを海外に依存せざるを得ないこと1つを取り上げてみても,日本が,世界と共にしか生きていけないことは明らかであります。

 他方,世界経済に占めるわが国の比重が著しく高まつたことに伴ない,わが国の国際的責任もそれだけ高まつたことは言うまでもありません。今後のわが国の針路は,このようなわが国の国際社会に対する依存関係を従来にも増して強く認識すると同時に,わが国の経済力とその国際政治に占める地位にふさわしい責任と役割をより積極的に果たしていくということに求められなければなりません。

 もとより,相互依存の認識と責任の自覚は,独りわが国のみに限つたことではありません。世界経済に等しく大きな比重を占める米・欧が,一時の不満のはけ口を安易な保護主義の方向に求めるようなことがあるならば,世界全体を大きな混乱と不幸に陥れかねない点は銘記されるべきであると考えます。

 ひるがえつてわが国内に目を向ければ,わが国は,戦後30余年,経済的豊かさを求めてわき目もふらず邁進し,顕著な成果をおさめてまいりました。しかしこれからは自然と人間との調和,自由と責任の均衡,深く精神の内面に根ざした生きがい等に一層配慮していかなければなりません。

 今や経済的豊かさのみを追求する時代から脱却し,文化的な豊かさ,人間性の尊重をめざす時代に至つたとみるべきでありましよう。かかる認識に立つて,私は,文化の重視,人間性の回復をめざして,家庭基盤の充実,田園都市構想の推進等を通じて,公正で品格のある日本的な福祉社会の建設に努めたいと考えております。余暇についても,より充実したものとなることが望ましく,とりあえず週休2日制を一般化するようにしたいと思つております。

 対外面でのホット・イシューは,申すまでもなく日米・日欧間の経済摩擦をいかにして調整するかの問題であります。

 わが国貿易の4分の1の相手国たる米国に対してはもちろんのこと,私は,西欧,特に世界最大の貿易ブロックを形成している欧州共同体との間の経済摩擦についても,その厳しさをなんら過小評価するものではありません。

 経済摩擦の調整については,わが国は,単に短期的のみならず中・長期的展望に立つて対策を講じなければならないものと考えております。具体的には,わが国国内市場の一層の開放を図る一方,わが国の経済が国際経済の重要な一環をなしているとの自覚に立つて,世界経済の調和的発展に積極的に貢献し得るような形でのわが国経済の仕組みを考え,その運営を図つていくことに努めなければなりません。

 以上のような内外の施策を講ずるに当たり,私は,日本独自の良き伝統を維持しつつも,他方わが国と欧米とが共によつて立つ共通の基盤を一層強固なものとするよう努めてまいる所存であります。

 各個人が個性を有するように,各国には各々の伝統,生き方,行動様式があります。欧と米との間に違いがあり,かつ欧州諸国夫々の間にも相違があると同様,日本と欧米との間には,歴史的背景,地理的環境に由来するさまざまな相違があることはいわば当然であります。

 この様なわが国の文化面,社会面での独自性が,往々にしてわが国のイメージを不当に歪め,かつ相互の意思疎通をむずかしくしているようにも思われます。

 しかし他方において,日本は高度工業化社会として,多くの点で米国及び西欧諸国と共通点を有しております。わが国が1世紀前近代化の道を歩み始めた折,範としたのは西欧諸国でありました。

 わが国は,個人の自由と尊厳の確保を目標とし,議会制民主主義の政治体制を信奉し,かつ市場経済,自由貿易の原則に従う等の点において,欧米と基本的な価値観とアスピレーションを同じくするものであります。また,高度工業化社会として欧米と同じ問題に直面し,同じ困難に悩んでいる国であります。主要国首脳会議において,日米欧が成長,エネルギー,通貨など経済面における共通関心事と共通の責任について協議している所以もそこにあります。

 私は,わが国が欧米と文化,社会的背景は異にするものの,同じアスピレーションを有し,同じ道を歩んでいるということが,より良く欧米で理解されるよう訴えたいと思います。

 かかる観点から,私は日米欧の関係者の間で,1つには,社会や文化の異なる国の間で,国際的摩擦や誤解がいかにして生じ,どうすればその防止や除去が可能であるかにつき,今1つには,犯罪の増加,都市の過密化,農村やへき地の遅れ,労働モラルの低下,人間的連帯の弛緩といつたような,高度工業化社会に特有な問題につき,共同研究体制を発足させることが極めて有意義であろうと考える次第であります。

 前述の通り,日本と欧米とは,それぞれが独自性を保持しつつも,共に先進工業化社会として共通の基盤の上に立つております。この事実は,日米,日欧,またさらに日米欧の間に創造的な相互依存関係と,それにも増して有意義な協力の関係の確立を可能ならしめるものであります。日米欧は,単に先進工業国家間の問題にとどまらず,広く南北問題,東西関係などに,共通のアプローチで臨むことが可能であり,このような協力関係は,世界の平和と人類の繁栄に大きく貢献するでありましよう。

 フランスの著名な飛行士で作家のサンテグジュペリは,「愛し合うということはお互いを見つめることではなく,共に同じ方向を見つめることである。」と述べた由であります。もし我々日米欧が,互いに手を携えて,自分達相互の諸問題のみならず,広く世界の諸問題に取り組んでいくことができれば,—また,それこそがわれわれの共通の使命でありますが—そこに日米欧の間の真の友情がつちかわれ,また人類の未来が開かれるものと確信いたします。