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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 福田赳夫内閣総理大臣の日欧関係に関するスピーチ

[場所] ブラッセル
[年月日] 1978年7月19日
[出典] 外交青書23号,343ー349頁.
[備考] 
[全文]

 シャヴォアール国際プレス協会会長,御列席の皆様

 本日,欧州統合の発祥の地ともいうべきここブラッセルにおいて,統一ヨーロッパを象徴する欧州共同体に関係の深い皆様方を前にして,広い視野から眺めた日欧関係の現状と将来について,私の日頃の考えを申し述べる機会を得たことを心から喜んでおります。

 第2次大戦後の日欧関係は,表面的には,経済問題,とりわけ貿易を中心として展開して来たかの如き印象を与えております。しかし日欧関係を単純に経済的側面からのみ理解しようとすることは,いささか片寄つた見方であり,また皮相的な見方でありましよう。過去数世紀にわたる日欧の交流の歴史を正しく踏まえて,今日の日欧関係の表面に出ているものの根底にあるより基本的な問題に心を向けることが重要であります。これらの基本的な諸問題を正しく理解することこそ今後長きにわたる創造的な日欧関係の建設にとつて不可欠であると考えるのであります。

(日欧関係の歴史)

 日本と西欧との出会いは16世紀に遡ります。しかしこの日欧の出会いは,我が国が17世紀に鎖国時代に入つたことにより,双方にとつて実りのある関係へと発展するに至りませんでした。そしてその後,産業革命を経て文明と進歩の先導者となつた西欧と我が国との直接の交流は,大きく制約されることとなつたのであります。

 日欧関係が再び緊密化する契機となつたのは,19世紀後半の我が国の開国とそれに伴う急速な近代化の流れであります。それは,政治,経済,法律,軍事,科学・技術更には文芸から衣食住に至るまで,西欧に学び,西欧を取り入れようとする極めて意欲的かつ組織的な努力の過程でありました。当時の我が国にとつては,「近代化」は「西欧化」と同義語であつたのであります。このような日本の欧化努力の時代を通じて,西欧が我が国に印した足跡は,計り知れないものがありました。

 もちろん,西欧諸国から見た時,日本は遠い極東の島国であり,多くの場合,文化,芸術等の限られた分野における異国趣味的な好奇心の対象以外の存在ではなかつたかも知れません。そして,このように片寄つた条件の下で成立した日欧間の関係は,お互いに相手を対等の仲間として尊重するという真に実りある協力関係というには遠いものであつたかも知れません。

 しかし,それでもなお,戦前の西欧は,我が国との間に軍事,政治上の関係を含む様様なかかわりを持つていたと言う意味において,日本にとつては戦後の西欧より遙かに身近かな存在であつたのであります。

(日欧関係の現状)

 これに引きかえ,第2次大戦後の世界において,日本と西欧との関係は,残念なことにきわめて疎遠なものになつてしまつたように思われます。これは,必ずしも日欧双方の責にのみ帰すべきことではないかも知れません。戦後の国際環境の変化にも大きな原因があつたものと思われます。また,戦後かなりの期間,日欧は,共に身辺の整理に追われて,互いに他を顧るいとまを十分に持ち合わせなかつたことも事実でありましよう。いずれにしても,戦後においては,日欧が相互の関係のあり方について真剣に検討することがなかつたことは,これを率直に認めざるをえないのであります。

 日欧関係と対比した場合,日米関係の歴史は,遙かに日の浅いものであり,しかも日米両国は,約30年前,激しい戦火を交えた間柄であります。それにもかかわらず,日米両国の間には双方の営々たる努力の積み重ねにより,現在,極めて幅広く,かつ層の厚い相互理解と協力の関係が発展しつつあります。その理由として,安全保障の結び付きや緊密な経済関係を挙げることはできましよう。しかしそれだけが,日米関係を今日の域にまで育んだ理由ではありません。日米両国が,共有する価値観の自覚の上に立つて,共通の目標を追求していること,これこそが正に今日の揺るぎない日米関係の基礎をなしているのであります。

 これに対して,戦後の我が国の西欧との接触は,往々にして米国を仲介とし,いわば米国を主として西欧を従とする形で行われて来ました。他方西欧側の対日アプローチも,日本をほんとうの友人,真のパートナーと見ず,何か異質のもとして扱つてきたように見受けられます。

 しかし今や日欧関係が米国を媒介とした間接的な関係で事足りるという時代は過ぎ去りました。今や,日欧が共通の利害,価値観を共有しているとの自覚に立つて,共通の目標に向かつて,真の連帯と協調に根ざした関係の発展を図るべき時が来ているのであります。

 それでは,日欧が共に求むべき共通の目標,共同して努力を傾けるべき共通の関心とは,具体的に如何なるものでありましようか。

(平和と繁栄のための協力)

 私は,まず,我々が,平和と繁栄の確保について共通の利害を有していることを指摘したいと思います。日本と西欧との間には,日米安保条約又は北大西洋条約機構に比すべき安全保障の取極めはありません。しかし相互間に条約はなくとも,平和と繁栄の確保について,日欧間に幅広い共通の利害があることは何人も否定できません。今日の世界において,平和も繁栄も不可分のものであり,これを確保することは,もはや国単位では考えられない状態に達しております。NATOの連帯は,世界の平和と安全の維持に貢献しております。同様に,アジアという複雑で流動的な地域において,唯一の先進民主主義工業国としての我が国の存在が政治的安定要因となつており,アジアの安定と繁栄に寄与している事実に対して,皆様の注意を喚起したいと思います。

 我が国は,国際協調を基本とする自由と民主主義に立脚した社会の建設を目指して,戦後30余年にわたり営々と努力して参りました。今や,我が国は,他の先進民主主義工業諸国とともに世界の安定と繁栄に積極的に協力する意思と能力を併せもつ国家にまで成長したのであります。

 過去の歴史をみれば,経済的な大国は,常に同時に軍事的な大国でもありました。しかしながら,我が国は,諸国民の公正と信義に信頼してその安全と生存を保持しようという理想を掲げ,軍事大国への道は選ばないことを決意したのであります。核兵器をつくる経済的,技術的能力を持ちながらも,かかる兵器を持つことをあえて拒否し,その持てる力を,内にあつては国民一人一人がよりよい生活を送るための環境づくりに向け,外にあつては開発途上国の国々による自立と繁栄の基礎を確立するための努力に対する協力に向けることをもつて国の基本方針としているのであります。

 これは,史上類例を見ない実験への挑戦であります。そして,このような日本の選択は,従来の通念からいえば,一見非現実的にみえるかも知れません。しかし,戦後の我が国が置かれた条件の下では,それは,決して非現実的ではなく,きわめて自然な帰結なのであります。

 今日の西欧が,政治的,経済的,文化的に同質の国々から成る一体性を形成しているのに対し,日本は,社会体制の異なる国々と境を接し,経済的,社会的な発展の形態及び段階の異なる多数の開発途上国と隣人関係にあります。このような我が国の立場上,地理的遠近や,制度,理念の如何にかかわらず,いずれの国とも友好関係を維持しなければならないのであります。

 また西欧や北米が,相対的に自給度の高い経済圏であるのに対して,我が国は,人口稠密で何ら見るべき資源に恵まれない国であり,海外諸国との交流によつて国の存立を図つていく以外の方途はないことは自明でありましよう。

 しかし,同時に,私が強調したいのは,我が国の在り方が,このような国際環境の下で止むをえず生じた事態ではなく,それが日本国民の自主的な決定であつて,世界のために積極的な意味のある選択であることであります。我が国は,軍事大国への途を排し,平和国家として平和的建設の面でアジアひいては世界全体の安定と繁栄に貢献することこそ「世界のために役立つ日本」のあり方であるとの信念に立つて,このような選択を行つているのであります。

(世界経済への協力)

 次に,世界の経済問題についても,日欧の協力が不可欠であります。われわれは,戦後長きにわたり互いに相手を経済面における競争相手として捉え過ぎてきた観があります。しかし今日,日,欧,米を含めてわれわれすべてが解決を迫られている世界的課題を考えれば,日欧が兄弟垣に相せめぐことは到底許されないことではないかと思うのであります。

 一方では資源有限時代において人類の生存と繁栄を確保しなければならないという問題があります。他方では世界経済の相互依存関係がますます高まりつつあるという現実があります。このような状況の下で,われわれが協力して果たさなければならない役割は増大の一途を辿つているのであります。世界不況からの脱却は,当面の急務であります。更により基本的には,開放的な国際経済体制の維持発展,開発途上国に対する経済協力の推進,原材料及びエネルギー資源の安定的供給の確保等は,世界のために,われわれが共同して指導的役割を果たさなければならない課題なのであります。今週ボンで開催された主要国首脳会議は,正にそのような課題に対処しようとするわれわれの共同の努力に他なりません。

 本年1月,牛場ストラウス共同声明の形に結実した日米間の経済協議も,また本年3月,牛場大臣とハーフェルカンプ副委員長との間で合意された日・EC共同声明も,同じ観点から,日,欧,米が,日米,日欧という2国間だけの問題としてでなく,世界経済の安定的拡大のために,それぞれに,また,共同して何をなすべきか,また,なしうるかという見地から取り組んだ点に,大きい意味があつたと考えます。

 これらの共同声明が,世界貿易の問題の解決を,保護主義による縮小均衡ではなく,自由主義による拡大均衡に見出そうとする考え方で貫かれていることは,重要であります。この考え方こそ,世界経済全体の一層の繁栄を追求するに当たつての指導理念でなければなりません。

 保護主義が世界の繁栄のためにいかに危険であるかを理解するには,1930年代の悲劇的な世界情勢の推移を想い起すだけで十分でありましよう。御列席の皆様の大部分の方にとつては,それは自らの体験ではなく歴史上の事実にすぎないかもしれません。しかし,当時ロンドンにあつた青年時代の私には,この出来事はいまだに脳裏に焼きついている強い印象を与えたのであります。

 当時世界の上に垂れこめていた不況の暗雲の下で,主要国は,それぞれ自国のおかれた苦境から何とか脱出しようとして,次々と自由貿易という開かれた経済体制を捨て,保護主義という閉ざされた経済体制へと転換していきました。

 この結果,世界の経済情勢は,みるみる悪化しました。1929年から1933年までの間に,世界貿易は実に4割,主要工業国全体としての工業総生産は3割も減少しました。この経済混乱が社会不安と極端な国家主義を招き,ひいては第2次世界大戦への素地をつくつたのであります。

 われわれは,歴史の教訓に学び,結局は自分自身を滅ぼすことになる保護主義に再び走らぬことを誓いあうことが今日きわめて重要であると考えるのであります。

 我が国自身,国際協力によつて世界経済の現在の困難を克服するために,積極的に努力を行つております。我が国は,種々のむずかしい制約にもかかわらず,その3分の1を公債に依存するという思い切つた手段により超積極予算を組みました。我が国の実質成長目標は,先進国の中でも一段と高いものであります。こうした内需拡大を中心として景気振興を図る経済運営を行うことにより,我が国としては,世界経済の拡大に寄与することを目指しているのであります。また我が国は,関税の前倒し引下げ,数量制限品目の一部自由化ないし輸入枠拡大,為替管理の自由化,輸入金融の拡大等の具体的措置を通じて輸入の拡大に努めております。

 このような措置により,今や日本市場は,米,欧と比肩すべき開放された市場になつており,対日輸出機会は大いに拡大されております。現に,本年1〜6月の我が国統計によれば,EC諸国からの我が国への輸出は,前年同期比36パーセント強の伸びを見せ,我が国からの輸出の伸び19パーセントを遙かに上まわるに至つたのであります。いずれにしても日欧間の貿易が,それぞれの総貿易の中で僅かに数パーセントを占めるに過ぎない現状において,今後ともこのような傾向が伸長し,日欧間貿易が大幅に拡大する余地は十分にあると考えます。西欧諸国の側においても,我が国に対する輸出促進のための努力を倍加されることを強く期待したいと思います。

 このような日欧貿易関係の健全な発展を図るという観点から,私は,是非とも西欧諸国に理解願いたいことがあります。我が国は,戦後国際経済社会に復帰するに際して,西欧から対等のパートナーとしての地位を認められませんでした。その後種々の改善は見られたものの,未だに一部にはその残滓が残つております。このような差別的取扱いの存続が,日欧関係そのものの建設的な発展に対しても心理的な影をおとしてきたことは否定できません。私は,西欧諸国が,日欧関係の真の安定した発展を図るとの立場から,この問題に真剣な考慮を払うことを強く望みます。

(日欧相互理解の必要)

 私は,日欧関係における日欧共通の目標は何かということについて,政治経済両面にわたつて,私の考えを述べて参りました。

 しかしながら,このような日欧関係の強化のどの一つをとつても,問題の技術的な解決を超えて,その背後に日欧間における相手方に対するより深い相互理解の実現という問題が横たわつていることが忘れられてはなりません。

 もちろん,日欧間の相互理解の水準を欧米間の相互理解のレベルにまで引き上げることは,決して容易に達成できることではありません。このためには,たゆみない不断の努力の積み重ねにより日欧間のパイプを太くし,日欧関係の円滑な発展を確保することであります。われわれは,そのためのあらゆる努力を払わなければなりません。

 このような相互理解増進のための第一歩は,実際は,きわめて手近かなところにあるのではないでしようか。例えば,日欧それぞれの地域研究の推進,日欧双方における各界・各レベルの間の人物交流の促進,特に次代を担う青少年,教育関係者の相互受入れ等について,この際,日欧双方の関係者が協力して実施を図ることが重要な意義をもつものと信じます。その意味で,最近日・EC双方の議会関係者の間で合意を見た議員交流計画も,相互理解増進の具体的措置として高く評価したいと思います。

 このような日欧間交流強化を具体的に推進する見地から,私はここに「青年日本研修計画」を創設することを発表したいと思います。この計画によつて,欧州の青年が毎年50名程度日本を訪れ,現代の日本を政治,産業,社会,文化等の各面にわたり,実地に勉強する機会が与えられることになります。

 これら青年の選考の方法として現代の日欧関係に関する論文コンテストを行い,日欧双方の関係者から成る委員会が審査にあたることは如何かと考えます。この「青年日本研修計画」が,極めて小さな形でではありますが,今日緊急に必要とされている日欧関係強化の努力に対する呼び水となることを期待いたします。

(結語)

 今日,西欧が直面し,闘つている諸問題は,先進民主主義体制が共通して直面している試練ともいうべきものであります。これらの問題は,我が国にとつても無縁のものではないばかりか,我が国自身,自らの問題として,その解決に取り組んでいるものであります。

 今日われわれ民主主義体制は,種々の異質の価値体系からの挑戦に直面しております。このような状況の下で,われわれが洋の東西を問わず,自由と民主主義という基本的理念の尊さに対する自覚を新たにし,これを守り抜こうという決意を固める時,そこには地理的隔絶も,人種,文化,伝統の相違も乗り超えた真の連帯と協力への可能性が生まれてくるのであります。

 われわれは,「同舟の客」であります。日本は,強固で繁栄する西欧を必要としております。同様に,西欧にとつても,安定し健全な日本が必要な存在であるはずであります。

 世界の安定と繁栄のための日欧の協力こそ,日欧双方のためだけではなく,人類全体のために明るい未来を保証する大きな可能性を秘めていることを私は確信するのであります。

 御静聴ありがとうございました。