データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] ナショナル・プレス・クラブにおける福田赳夫内閣総理大臣のスピーチ

[場所] ワシントン
[年月日] 1977年3月22日
[出典] 外交青書21号,53ー57頁.
[備考] 
[全文]

ファーレル会長,御列席の皆様

 本日,カーター大統領との実り多い会談を了えた直後,この権威あるナショナル・プレス・クラブの皆様にお話しする機会をえたことは,私の深く喜びとするところであります。

 大統領と私が,いまだ就任直後のときにあつて,世界の中で日米両国が当面している新たな試練に対していかに対応すべきかについて新たな思いをめぐらしている,この時期に会談したことは,誠に意義深いことであります。

 私と大統領との会談における中心のテーマは,「世界の中の日米協力」ということでありました。いいかえれば,世界をより良いものにするために,日米両国が協力してなにをなしうるかということであつたのであります。私は今回の会談において達成された成果に心から満足しております。

 私は,新内閣の発足直後行つた国会演説の中で,今日の日本国民に求められているものは何かということについて述べました。人間は1人で生きていくわけにはまいりません。1人1人の人間が,生まれながらのそれぞれの才能を伸ばし,その伸ばした才能を互いに分かち合い,補い合う,その仕組みとしての社会があります。そして社会がよくなるその中で,1人1人の人間は完成されていくのであります。

 このことは,国際社会についても同じであると思います。相互依存の度をますます強めている今日の世界においては,もはや,いずれの国も一国の力だけで生存することは不可能になつております。すべての国は,国際社会の中で,互いに譲り合い,補い合い,責任を分かち合い,世界全体がよくなるその中で自国の繁栄をはからなければなりません。

 私は,世界の現状を考えるとき,1930年代の悲劇的な世界情勢の推移を想い起さずにはいられません。御列席の皆様の大部分の方にとつては,それは自らの体験ではなく歴史上の事実にすぎないかもしれません。しかし,当時ロンドンにあつた青年時代の私には,この出来事はいまだに脳裏に焼きついている強い印象を与えたのであります。

 当時世界の上に垂れこめていた不況の暗雲から脱出せんとするあまり,主要国が,次々と自由貿易という開かれた経済体制を捨て,保護主義という閉ざされた経済体制へと転換していきました。

 この結果,世界の経済情勢はみるみる悪化しました。1929年から1933年までの間に,世界貿易は実に4割,主要工業国全体としての工業総生産は3割も減少しました。この経済混乱が社会不安と極端な国家主義を招き,ひいては第2次大戦への素地をつくつたのであります。

 もちろん,私は,現在の状態が再び世界大戦への道につながると申しているわけではありません。しかしながら,諸国が再び保護主義に転じたり,あるいは,世界経済が対立する貿易ブロックに分れたりすることがあれば,世界全体にとつて深刻な社会的,政治的結果をもたらすこととなることを真剣に憂えるものであります。このような保護主義への道が世界経済を一層悪化させるだけであることは,過去の経験に照らして明らかでありましよう。

 歴史の教訓に学び,主要貿易国が自由貿易を守り抜いて,自らの破局にもつながる保護主義には2度と再び走らぬことを誓いあうことが必要だと思うのであります。

 世界経済は,未だに石油危機の打撃から完全には回復しておりません。中でも,多くの非産油開発途上国の困窮には,想像を絶するものがあります。これら諸国の困難に対し,先進工業国は協力すべき立場にありますが,その先進工業国もまた,今なお,十分な立直りを示しているとは申せません。

 先進諸国の中で,力のある国がすみやかに自国の景気を正常な姿にもどし,これをもとにして,世界経済に活力を回復することによつて世界全体の繁栄につないでいくことが現実的な手だてであります。いわゆる世界経済の牽引車となるべき国々の責任は,重大なのであります。

 この認識に基づいて,カーター大統領と私とは,日米協力してそれぞれの国の経済活動を活発化し,世界経済全体の活発化に寄与すべきだという点で完全に意見の一致をみました。

 今日,日米両国の総生産は,世界全体の総生産の実に35パーセントを占めております。さらに21パーセントにのぼる欧州共同体の総生産を加えると,これらの自由世界の3大経済圏の総生産は,全体として世界総生産の56パーセントを占めることになります。われわれは,協調して努力することによつて,相互依存関係にある今日の世界経済を安定成長の軌道に乗せる能力と責任とを有しております。

 これら先進工業諸国は,相携えて,お互いの経済回復のために協力することができます。さらには,開発途上国にとつて利益になる貿易,開発の可能性をつくり出し,南北関係の改善に貢献しうるわけであります。長期的には,世界経済全体の調和ある発展を促進することができるのであります。主要な先進工業国間の協力なくしては,これらのいずれの目標も,実現不可能であります。

 日本は,これらの問題に対処するために自国が果さなければならない重要な役割と責任を認識しております。我が国としては国力の及ぶ限り米国及び西欧諸国と力をあわせて努力し,この歴史的課題に応える決意であります。

 このために,政府は,来たる4月1日から始まる1977会計年度において,公共事業の拡大を中心とする景気刺激型予算を編成し,実質成長率6.7パーセントの目標を設定いたしました。この目標が他のいずれの主要先進工業国が目指しているところよりも高い水準であることは,皆様御承知のことと思います。

 この目標達成により生れる効果の1つは,今年の我が国の輸入に着実な増大が見込まれることであります。昨年度においては,我が国の輸出の方が輸入より高い伸び率を示しました。しかし,1977年度には,輸入の伸びが輸出の伸びを上回る見通しであり,これによつて我が国の貿易相手国の景気回復に刺激を与え,ひいては世界経済の回復に寄与することが期待されるのであります。

 この政策には困難がともなわないわけではありません。特にインフレ再燃を回避するため,細心の注意を払う必要があります。また,日本経済は,石油危機による大きな打撃からようやく回復したところであります。原油価格が4倍に高騰した結果,我が国の対産油国支払いは200億ドルの巨額に達し,日本経済を破局から救うためには,これを国民の努力と緊急財政措置によつて吸収することが必要でありました。その後遺症として国家財政は,その3割に近い部分を赤字公債に頼つており,財政赤字の完全解消は未だ容易なことではありません。

 このような諸困難にもかかわらず,政府は,景気刺激政策をとる決意であります。それは,このような政策が国内の経済活動に活力を与えると同時に,日本経済の回復を通じて,その力を世界経済の回復のために役立てるという目的を達成しうるからにほかなりません。

 第2次大戦後30年の間,我が国民は充実した生活環境の確保,基本的人権の尊重,及び国際協調と平和への決意を基本とする自由と民主主義に立脚した社会の建設のため,営々と努力して参りました。この間に,我が国は,この開かれた社会体制の下で1億1,000万人の国民と約5,000億ドルの国民総生産を擁する国にまで成長し,世界経済の成長と発展に積極的に協力する意思と能力を併せもつに至つたのであります。

 過去の歴史をみれば,経済的な大国は,常に同時に軍事的な大国でもありました。しかしながら,我が国は,諸国民の公正と信義に信頼してその安全と生存を保持しようという歴史上かつて例をみない理想を掲げ,軍事大国への道は選ばないことを決意したのであります。核兵器をつくる経済的,技術的能力を持ちながらも,かかる兵器を持つことを敢えて拒否しているのであります。

 このような日本の選択は,日米安保体制の存続を前提としてのみ可能となつたものであります。同時に,この同盟関係は,日米の双方にとつて,その基本的な利益に資するものであると信じます。我が国がこのように経済的にはともかく,軍事的大国ではないこと,近隣諸国のいずれの国に対しても軍事的脅威たりうる存在ではなく,その力を専ら国の内外における建設と繁栄のために向けようと志す国柄であること−これこそ我が国を世界における安定勢力としている重要な要因であることが十分に認識されなければなりません。われわれは,このような日本の在り方こそが世界の平和,安定及び発展に貢献しうる道であると確信いたします。

 我が国は,平和に対する深い関心から,一貫して軍縮,特に核軍縮を呼びかけてまいりました。従つて,私は,カーター大統領が就任演説において「本年,われわれは,地球上からすべての核兵器の廃絶というわれわれの究極的目標に向つて一歩踏み出す」旨を誓われたことに強く勇気づけられたのであります。

 核の廃絶に向つての道は決して平坦ではありません。しかし,努力は始めなければなりません。この意味で,私は,カーター大統領が一定期間の核実験全面停止を提案されたことを,この目標に向つての具体的な第一歩として,歓迎するのであります。私は,日米両国が核実験全面停止のため,実効性のある取り決めの実現に向つて緊密に協力することに深い意義があると信じます。

 通常兵器の管理も,核軍縮に劣らず重要であります。殊に,既に政治的緊張をはらんでおり,武器輸入が増大すればさらに緊張が激化するおそれのある地域において,軍備増強の動きがみられることを,私は,深く憂慮するものであります。昨年の国連総会において,我が国が進んで通常兵器の移転の問題に世界各国の注意を喚起する提案を行つたのも,この危険を認識してのことでありました。我が国は,米国もこの問題に共通の関心を有しておられることに意を強くするものであります。

 我が国は,武器を紛争地域に輸出しないことを国策として堅持してまいりました。私は,通常兵器の移転の問題には複雑な要因が絡んでいることを理解するものであります。しかし,日米両国が,関係諸国との協議と相互信頼とに基づき,この問題の規制のための自粛措置あるいは国際的合意の可能性を相携えて探求することは,価値あるものと信じます。

 日米両政府は,また,アジアの平和と繁栄の促進のために日本と米国とが寄与することの重要性を一貫して認識してまいりました。

 我が国は,アジアにおける自主的な国づくりの努力,わけても東南アジア諸国連合(ASEAN)の進めているような域内協力のための自主的な計画に対しては,積極的な支援をして来ております。今般,日本とASEANとの間に,日本・ASEAN協議フォーラムが設立され,明日ジャカルタにおいてその第1回目の会合が開催されます。日本は,ASEAN域内の経済発展を目的とする種々の計画に対する協力要請について,協力の手をさし伸べる用意があります。

 2国間援助の面では,東南アジア諸国に対して現在我が国の政府開発援助の実に50パー セントがふり向けられており,今後ともこれを量,質両面で拡充していくこととなつております。

 域内外を通じて平和な,そして,域内の多様な民族の物質的・社会的な需要を充足しうるようなアジアを実現することこそ,我が国と近隣諸国との共通の目標なのであります。

 同時に,アジアの平和な発展のためには,グローバル・パワーとして国際政治において指導的役割を果す米国が,引き続きアジアに対して積極的な関心を示すとともに,アジア諸国民の国づくりの努力に対し,積極的かつ建設的に寄与し続けることが不可欠であると考えます。

 ヴィエトナムでの苦い経験から,米国がアジアに対し背を向けるのではないかという危惧の声を聞くことがあります。しかし,私は,そのような心配はしておりません。私は,米国が日本と同様,歴史的に太平洋国家であることをよく知つているからであります。日米両国の将来は,広大で多くの人口を擁し,かつ,潜在的に豊かな太平洋地域の今後の発展と切り離せない関係を有しているのであります。

 皆さん,日米両国は,かつてないほどに近く,かつ,親密な関係にあります。しかし,お互いを当然視することがあつてはなりません。われわれは,お互いの考えを十分に知らせあい,両国の協力関係をより完全なものとする努力を続けなければなりません。とりわけ,これだけ広範な日米両国関係に必然的に伴う小さな問題の1つ1つについて,冷静かつ賢明に処理し,それが決して大きな問題とならないようにすることが必要であります。

 世界における日米の協力関係が増大するのに対応して,相互の意思疎通も更に拡大し,深められなければなりません。現在,両国の国民を結ぶ各種の立派な交流計画が,日米双方における学術機関,企業,財団,協会等を通じて,有識者や団体の努力によつて進められており,両国政府もこのような活動に協力しております。私は,この種の努力を更に促進し,拡大していくことが重要だと考えるのであります。

 私は,5年前,外務大臣として日本と世界各国との文化交流を進めるために国際交流基金を創設しました。これに対応するものとして,米国の側においても日米友好信託基金が設立され,この活動を開始しようとしていることは,きわめて喜ばしいことであります。この基金によつて,学者,芸術家,各種専門家等による日米文化交流が大幅に拡大されることでありましよう。

 私は,日米関係の将来については極めて楽観的な見通しを有しております。両国における善意に満ちた惜しみない努力によつて,日米間には成熟した,責任ある協力関係がつくりあげられました。この協力関係を基礎として,われわれ日米両国民の力を世界的な場において結集し,両国民共通の理想である安定した平和で繁栄する世界を築きあげることこそ,日米両国が今後協力して立ち向かわなければならない最も大きい,かつ,究極的には最も実り多い,課題であると考えるのであります。

 私は,この両国民の協力が立派な実を結び,次代の人々がその成果を享受できることを確信いたします。