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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] トロント大学名誉学位授与式における田中角栄内閣総理大臣スピーチ

[場所] トロント
[年月日] 1974年9月25日
[出典] 外交青書19号,56ー58頁.
[備考] 
[全文]

 マクドナルド総長,エヴァンズ学長並びに御列席の皆様

 私は,3年前第6回日加閣僚委員会に出席のためトロントの地をふみ,「豊沃な土地」という名にふさわしい当地の風物に深い感銘を覚えて以来,再び当地を訪れることを切望してきました。本日この夢が果され,加えて由緒あるこのトロント大学より名誉法学博士号の栄誉を受けたことは,望外の喜びとするところであります。

 エヴァンズ学長ほか大学関係者の方々に,深甚なる謝意を表したいと思います。

 私は,過去3回のカナダ訪問を通じ,北極圏から温帯に至る広大な土地,多様な人種と文化が渾然として一体をなし,調和のとれた発展を示しているカナダの歴史に大きな興味を持つてまいりました。カナダ建国以来脈々として流れる旺盛なパイオニア精神に深い共感を覚えてまいりました。今回トルドー首相ほかカナダ各界の指導者及び国民各層と親しくお話しする機会をえて,厳しい自然環境の中に生き,これを克服し,さらには人間の生活向上のために自然を利用して行く雄々しい活力がカナダを支えていることを痛感しました。

 今日,私はトロント大学を訪れ,この学問の府が優れたバイタリティーを持つカナダ国民に未来への道を示し,知識の糧を与える役割を果してきたことを実感いたしました。「ときのうつりかわりとともに成長する木のごとく」国民生活に根をはつている本大学は,将来とも多くの実を結び続けてゆくでありましよう。

 いずれの国においても,その歴史と文化に根ざした独自性を確立し,国民にとつて最良の生活を実現しようと努めるにあたり,その物的資源を利用するばかりでなく,国民の資質と知的資源を最大限に活用して行くことが必要であります。このため日加両国とも,よりよき明日の世界を築く青少年を育てるにあたつて教育の果す役割を非常に重視しております。

 世界第2の広さを誇り,あふれるばかりの水と資源に恵まれたカナダにおいても,また,オンタリオ州の3分の1ほどの狭い国土に,1億1,000万の人口を擁し,資源のほとんどを海外に依存する日本においても,次の世代は自己の能力を存分に開発し,可能性の地平線を広げてゆく意気に燃えております。私は,日加関係の将来をかかる気慨をもつて展望しなければならないと思つているのであります。

 過去10年間に日加間の貿易量が4.4億ドルから約30億ドルへと7倍にも増大したことは,日加関係のめざましい発展を示すものであります。しかしながら,国家間の関係がかかる物的側面のみに限られるものでないことはいうまでもありません。日加両国が共通の運命を確認し,将来のあるべき世界のヴィジョンを持つて,その実現のために力をあわせてゆくことが必要となつているのであります。

 日加両国民の最大の願望は,平和な世界を実現し,これを永続させることであります。そのためには軍事大国間の相互抑制のみでは不十分であります。大国間の緊張緩和への動きを促し,同時に世界各地に内在する紛争の芽を摘んでゆくには,国力や発展段階の異なつた世界の諸国の意識的努力が必要であります。

 日本もカナダも,軍事力によらないで広く政治,経済面での国際協調により,平和に貢献するため堅実な努力を続けております。かかる両国の役割は,地味なものではあるとしても,その重要性は増大するばかりであります。

 日加両国は,自国の政策として核兵器保有国になることを排し,すべての核実験の停止を追求し,核軍縮を含む軍縮の促進にそれぞれ独自のイニシァティヴをとつております。さらに,両国は,人類が核の脅威にさらされることのない世界を作るため,不断の努力を行つており,また,将来にわたりこの分野での貢献を続けて行くでありましよう。私は,カナダが世界の各地において果されてきた平和維持活動の貴重な役割に対し深い敬意を払うとともに,わが国もまた,世界各地の平和の確保に地道な貢献をしてゆきたいとの決意をもつていることをここに明らかにしたいと思います。

 経済の分野では,昨年秋以来の諸事態の進展に伴い,多くの国はインフレの昂進,経済成長の大幅な落ちこみ,国際収支の悪化等多くの問題に直面しております。そのうちでも,インフレの解決は多くの国にとつて最大の課題となつており,わが国においても,目下インフレ抑制に最重点をおきつつ,同時に国民の福祉の一層の向上をはかるべく諸施策を進めております。

 しかしながら,今日のごとくこれらの問題が相互に密接に関連し,しかも各国間の経済交流が緊密になつている状況にあつては,これらの問題について一国のみで有効に対処できる余地は限られております。各国が国内的観点のみに立つて政策を進める場合には,結果として世界経済全体に深刻な困難を招来しかねません。

 われわれが現在必要としているのは,世界経済が縮小均衡の道を歩むことのないよう,各国政府間で今までにも増して緊密な協調を保つことであります。世界経済の秩序を再建し,安定と発展をもたらすために,今日ほどわれわれの英知と協力を必要としている時代はないと考えます。

 世界の投げかけるこのような諸問題に対する共通の認識に立つて,日加関係の幅と深みを増す方途を探究するために,私はカナダを訪れたのであります。

 日加両国は,おかれた立場を異にし,経済的,歴史的,文化的背景も異なるので,個々の具体的問題に対するアプローチは,必ずしも一致していないのであります。しかし,両国国民の強固な意思とたゆまない努力をもつてすれば,個々の相違を克服した新しいダイナミックな協力関係と創造的補完関係を必ず確立してゆくことができるものと信じます。ここでわれわれは,まず両国間の関係を拡充し,深化してゆく意思と努力をお互いに確認し合おうではありませんか。

 そして,日加関係を,政治,経済,文化,科学技術等多岐にわたる諸分野で拡充強化し,太平洋を結ぶ新しく大きいかけ橋を構築してゆこうではありませんか。これは,日加関係の新時代の幕あけを象徴するものであります。このかけ橋は,やがて太平洋を囲み共通の利益を有する諸国にまで延長され,環太平洋国家間の新しい協力関係が形成されてゆくこととなります。その中で日加両国は,世界の安定と繁栄を支える強固な鎖の一環となりうるものと信じて疑いません。

 この度の日加首脳会談においては,文化の分野で両国の一層の歩みよりをはかることが重要な話題となり,そのための具体的措置についても合意をみたのであります。このようなとき,カナダにおける日本研究の重要な拠点であり,両国間の相互理解の増進のため一層の貢献を期待しうるトロント大学を訪問できたのは,私にとり貴重な体験であります。

 私は青年時代にトロント大学のごとき立派なところで教育を受ける機会にめぐまれませんでした。それだけに学問の尊さを人一倍感じて,絶えず学問と取り組んでまいりました。人生の旅路,56才にして貴大学の卒業生のひとりに加えていただき感慨新たなものがあります。

 学問の道は,人類の将来にとつて無限の地平線を切り拓いてゆく長い旅であり,強じんな意志と,創造性と忍耐力を要するものであります。

 私は,日加両国関係の将来も,同様に強じんな意志と,創造性と忍耐力をもつて切り拓いてゆくべき無限の可能性を秘めていると信じます。

 この価値ある旅路にトロント大学が将来にわたり明るい光を投げかけ続けることを祈つて私の挨拶を終ります。