データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] マルコス・フィリピン大統領主催晩餐会における田中角栄内閣総理大臣スピーチ

[場所] マニラ
[年月日] 1974年1月7日
[出典] 外交青書18号,48ー49頁.
[備考] 
[全文]

 大統領閣下,マルコス令夫人,並びにご列席の皆様

 大統領よりただいま暖い歓迎のお言葉をいたたき厚くお礼申し上げます。

 このたびこの美しいフィリピンを訪問し,大統領および才色兼備の令夫人にお目にかかれたことは,私の最も欣快とするところであります。また,本日,最高の栄誉であるラジャ・シカツナ勲章を拝受し,光栄これにすぐるものはありません。

 私は,マニラに参ります機上から西太平洋の海岸を眺めつつ,この海洋が民族的にも文化的にも日比両国を結ぶ回廊であつたことに改めて思いを馳せました。有効な交通の手段のなかつた時代には,この海洋は,両国民交流の前に立ちはだかる大きな障害物でした。それでもなお,既に有史以前にフィリピンはじめ南アジアの民族が黒潮に乗つて日本列島にたどり着き,定着したと信じられております。御朱印船貿易が最盛期に達した17世紀の初頭,即ちわが国が3百年に亘る鎖国政策に入る直前のころには,マニラの日本人街には約3千名もの日本人が居住していたと記録されております。その中には有名なキリシタン大名高山右近およびその一族が含まれており,彼は,フィリピンの人々の暖かいもてなしの中に,この地において晩年を過したことは,よく知られているところであります。

 貴国は大統領の卓越した指導の下に,社会正義の実現を目的とする新社会の建設に邁進しておられ,政治,経済,社会の各分野で顕著な成果を挙げておられます。私が今般大統領のご招待をうけて貴国を訪問しましたのも,かかる貴国民の努力と成果をまのあたりにするとともに,貴国民とわが国民との間に,平和と繁栄とを分ち合う良き隣人同志の関係を育成強化しようとのわが国の熱望を大統領にお伝えしたかつたからであります。

 近年日比両国間の人的,経済的交流が急速に増大し,友好親善関係が益々拡大・強化されております。とくに一昨年秋から昨年春にかけての旧日本兵捜索への比国官民の御協力,昨年3月のカラリヤにおける「比島戦没者慰霊碑」建立の際の御好意,更には昨年12月末の日比友好通商航海条例の批准等は両国の友好協力関係を重視されている大統領の御卓見と特別の御尽力によるところ大であり,日本国民に代つて深く敬意を表します。

 私は,日本と貴国が友情をかちとるための地道な努力をおしむものでなければ,日比両国の将来について大いに楽観できると信じて疑いません。問題は,地球が狭くなり,諸民族を結ぶ距離が著しく短縮されるにつれ,われわれは最早「日比両国の関係さえよければ」と安住できなくなつていることであります。

 今日の世界は,あらゆる分野において深刻な変動・変革の時期に直面しております。たとえば中東紛争の未解決と,第4次中東戦争に端を発した世界的な石油危機は,貴国と日本のみならず,アジア諸国全体の経済活動に大きな影響を及ぼしつつあり,わが国としても世界の平和と繁栄のために一刻も早く公正且つ恒久的な解決が中東戦争にもたらされることを希求しております。こうした困難な事態の下に,私は大統領とひろく国際情勢について率直に意見を交換し,貴国そして他の東南アジア諸国との友好親善関係を従来よりも一層堅固なものにしたいと念願しております。

 私は日比両国の間のあらゆる分野,あらゆるレベルでの交流がますます増進されるべきであると確信しております。とくに次の世代を担う青少年の間に相互理解を深めることは,極めて望ましく,かつ必要なことであると思います。わが国からこのような目的で既に「青年の船」が貴国を訪問しております。私はこの計画を更に発展させ,今後毎年貴国はじめ東南アジアの青年をわが国に招待し,わが国の青年と親しく交歓することを目的とした「東南アジア青年の船」の計画を始める考えであることを申し上げます。

 次の世代を担うこれ等諸国の青年が同じ船の上で起居をともにしながら語り合い,友情と相互理解を深めることにより,相互の信頼と協力の精神を養う機会を提供し,次の世代へのささやかな贈り物としたいと考える次第であります。

 今回の私の貴国訪問は甚だ短時間ではありますが,私は大統領をはじめ皆様方との率直な対話を通じ,すでに日比両国間に存在している緊密な友好関係を一層深めることができるものと信じて疑いません。

 ここで私は,御列席の皆様とともに杯を挙げて大統領閣下御夫妻の御健康,フィリピン共和国の繁栄,日比両国の友好,そしてアジアと世界の平和のために乾杯したいと存じます。マブハイ