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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 上川外務大臣の日系米国人との懇談における挨拶

[場所] 
[年月日] 2023年11月13日
[出典] 外務省
[備考] 
[全文] 

冒頭

外務大臣の上川陽子です。急なお声がけにもかかわらず、お集まりいただき、誠にありがとうございます。

日本の外務大臣として3年ぶりとなるサンフランシスコ訪問になります。米国には現存する3つの日本町(にほんまち)がありますが、その一つであるサンフランシスコの日本町を訪れ、長年日系人コミュニティを支えてこられた皆様にお会いできて大変嬉しく思います。今日の機会を大変楽しみにしておりました。

特に今年はここ北カリフォルニア日本文化コミュニティセンターが50周年を迎えたと伺いました。この素晴らしい施設を維持し、日系人コミュニティの中核として長年の活動を支えてこられたと伺い、身の引き締まる思いです。50周年を迎えられたことに心からお祝い申し上げます。

亡くなられたノーマン・ミネタ元運輸長官は私のふるさと静岡県をルーツにしていらっしゃり、訪日の際には時々静岡県にもお越しになっていたそうで、不思議な縁を感じております。

日系人の歴史の始まりの地の一つであるサンフランシスコ到着を前に、機内から美しい湾の様子を眺めながら、皆様の歴史に想いを馳せておりました。どこへ行っても日系人が活躍する姿を拝見することができ、深いルーツを感じることができました。

日系人の関係と日米関係

日本人にとってサンフランシスコは、1860年に江戸幕府の遣米使節団がこの地に到着して以来、常に米国本土へのゲートウェイであったと伺っております。

日本の戦後復興及び国際社会への復帰への扉を開いた講和条約及び日米安保条約が調印されたのも、この地であります。私達日本人は小さい頃から歴史の教科書でこのことを学び、心に刻んでまいりました。

フロンティアを求める多くの日本人が、まさしく「パシフィック・パイオニア」として、太平洋を渡り、その一部はサンフランシスコにたどり着きました。

皆様の先達は、過酷な環境、多くの差別や偏見、そして日米開戦等、二つの祖国と文化の狭間で、多くの困難に直面し、筆舌に尽くしがたい苦労をされてきました。

そうした困難や苦労を乗り越え、米国社会の敬意と信頼を勝ち取られた日系人の皆様を、大変誇りに思います。

同時に、皆様の先達が抱いた夢や故郷への想いは、皆様によって大切に引き継がれ、このサンフランシスコ湾に下ろされた錨として、太平洋の荒波の中で日米同盟が決して漂流することのないよう、しっかり支えていただいております。

今日、このサンフランシスコはイノベーションというフロンティアへのゲートウェイとなっています。日本の若者が知のフロンティアに夢を見いだし、この地を訪れています。

多数の日系企業がこの地に集まり、学術・研究部門での交流や日本祭り等の文化交流を始め、裾野の広い日米交流が行われています。

このセンターがある日本町を訪ねさせて頂きまして、この地に生きた日本人・日系人の夢や想いが、現代の「パシフィック・パイオニア」達を温かく迎えているように感じられます。

結語

私も30年程前、フルブライターとして米国に留学したことがございます。最初に語学の勉強をしたのがUCデイビス校でございました。海外から日本を見るという貴重な経験を通じて政治家を志すことを決意しました。

岸田総理が昨年5月にバイデン大統領と発出した共同声明で、若い日系人の皆様に日米協力への参画を呼びかけました。

多くの日系人の若者に訪日していただき、米国の将来を見据える機会を持ち、日本の若者と日米関係の未来を共に切り拓いていただきたい、と心から願っています。そのためには皆様の強い後押しが今必要です。

限られた時間ではありますが、この機会に、皆様一人一人の声をお聞きし、日系人と日本・日本の人々との絆を一層深め、より良い日米関係の進展につなげたいと思います。よろしくお願いします。

(了)